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恩師①〜転機となるK高校の受験〜

(0)自分の人生を変えてくれた人

高校受験。
私の人生はここで変わった。
そこで恩師である部活の顧問に会いました。
過去のノートに書いてあること、考え方、全てこの人の指導があるからなのは間違いないです。
恩師との学びやエピソードを書きます。

(1)3つの基準と最後の直感

高校選びの際3つの基準がありました。
①勉強をしっかりやる学校。
②厳しく指導してくれる良い指導者がいる。
③選手をリクルートしない。

理由

①に関して
当時学年で成績トップにいて、高校でも勉強を頑張りたい。バスケットボールだけは嫌だと思ったこと。

②に関して
県優勝、全中にいけるチームと言われていました。
素行✖︎、規律✖︎しかし上手いので勝てました。
ただバスケは全く楽しくなかった。
勝ちたいもあったが、それ以上に本気で指導してくれる人に会いたかった。自分成長のために力を尽くしてくれる指導者のもとでやりたい。
欲を言うと出来たら本当に怖く、実績のある先生ならいいなと思ってた。

③に関して
能力の高いチームゆえ、自分はスタートメンバーだが4番手。県選抜級の上手い3人に勝てなかった。
人がとれる環境で勝つのでなく、人の取れる環境を倒すという、自分で道を切り開く挑戦がしたかった。

中3になりK高校にいきたいと思ってました。
①と③の条件を満たしており、最善の学校と思ったから。ただ良い指導者という条件まで満たしている学校はなかったから、暫くはここにしようくらいでした。
3ヶ月後の8月、たまたまK高校のバスケ部顧問の噂を聞きました。

「本当に怖い、本当に厳しい、ヤクザみたい、バスケは上手くなる、妥協を許さない、実績がある(具体的的にはしらなかった)、タヌキみたい」

運良く②の条件まで満たしてくれてました。
すべての条件が揃った、この学校以外ない。
絶対にここにいくときめました。

実は公開練習も、それ以外の情報収集もしてないので監督のことなんて全く分かりません。
あるのは噂だけです。
ただ絶対この人についていけば自分は成長する。
直感がそう答えました。


(2)この人に信じてついていこう

直感で最後選んだ高校選択ですが、結論から言うとこの学校にしてよかった。
これ以外思ったことはありません。
入部してすぐ、この人についていこうと思いました。
その出来事を紹介します。

○「関東大会に行くぞ」

1年生が入部確定したときの先生とのミーティング。

「3年後、県ベスト8、関東大会にいくぞ。リクルートしない学校で勝つぞ。」

まじか。
俺と同じこと考えてる人がいた。
リクルートしないでも勝つぞなんて夢物語と言われることを本気で思ってる人がいた。
こんなこと言う大人がいるんだ。
ワクワクした。心から嬉しかった。

 ○「先生、これ言っていいの?笑」

高校1年の初めての大会。
先輩方の代表決定戦の応援。
どちらが勝つか分からない試合の中での先生の一言

「バスケットは能力と身長だけじゃないところ、見せてやれ!!」

先生そんなこと言っちゃっていいの??笑
相手の先生怒らない?笑
正直びっくりした。
けど大事な勝負所で相手への無礼と捉えられてもおかしくない言葉を、選手の気持ちを上げるために言ってた姿がカッコ良かった。バスケエリートじゃない私たちの学校にとって本当に心強いと見ていて感じた。
この人は絶対自分を応援してくれる。
このコートに立って先生に言われたいと強く思った。

 ○バスケを通じての成長。

3年間言われた言葉はたくさんあるがその一部。
・誰もやる人がいないなら自分がやれ。
・時間がないを言い訳にするな、時間は自分で作れ。
・やることをやらないで受験等で成功なんてずるいこ  
 とをするな。
・バスケをやらせてもらえることに感謝しろ。
・お前らに頑張れと言ってるんだからお前らより俺が
 頑張るのなんて当たり前だ。それがお前たちへの敬
 意だ。
・手を抜く、中途半端は絶対に許さない。
 (怖すぎて妥協できなかった)

バスケだけやる人間、感謝できない人間を許してくれませんでした。本当に厳しい人でした。
しかしそれ以上に己に対して厳しい人でした。

 ○「勇気をくれた」

自分の代の代表決定戦。
ライバル校と対決。
自分はチームのエース。
相手のエースとの対決。
エースが働いた方が勝つと誰もが言っていた。
シュートが前半1本も入らない。
正直焦っていた。
後半一発目のシュートが初めての自分の得点。
そこから立て続けにシュートが2本入ったガッツポーズ。先生は決めるたび自分よりもガッツポーズ。(笑)
その時に言った言葉。

「やるときやるのが男だ!今がその時だ!!」

「やるときやるのが男だ」

3年間先生に言われ続けてきた言葉。
人のせいにしない。自分がやろうとしろ。誰もやらないなら自分がやれ。自分の行動で道を切り開いていけ。それら全てをひっくるめている言葉。
今の自分の生き方の核たるモノ。

自分のために大声で全身で伝えてくれた。
こんなことをサラッとやれる大人は少ないと思う。

「お前がチームを勝たせてこい」
あの時の先生はこれを「やるときやるのが男だ」と言う言葉で伝えたかったんだと思う。

実は前半ダメダメでも先生は一切怒らなかった。
自分がやるのを信じて待ってくれてたんです。
だからシュートが入った時にあんだけ喜んでくれたのかな。

 ○大学でバスケやれ。

実は高1の代替わりの時から試合には主軸で出ており、エースとして見てくれていました。
うちの高校は年に数回先生と面談をやります。
高校1年生の初めての面談で先生に言われた一言。
「大学でバスケやらないか?」
「青山学院とかどうだ?」

え?笑

「何言ってるの、正気かこの人。」
青山学院は当時大学日本一。
今では世界大会の代表の選手を輩出している。

実績もない、中学でも4番手。
こんな下手な俺が3年後そこでバスケやるの?

3年間で8回面談したけど、3年間
「大学でバスケやらないのか?」

引退が近づくにつれて
「大学でバスケをやれ!」でした笑

ちなみに他の人は、「今どう言う風に頑張りたい?」とかだったみたいです。

「大学でやれ」この言葉で自分の世界が変わった。
自分にも、努力次第でそこまでいけるかもしれないと思えたし自信がついた。

無理だと言うんじゃなくて可能性に挑戦してみようと初めて思った。

3 あとがき

恩師エピソード①はここまでで。
近いうちに教員編をかきます。
まだまとめたくはないので一言だけ。
中学でうまくいかなくよかった。
中学で全中いったりしてたら、今の人生はない。
強豪校に勝つためのあの日々は本当に楽しかったし、自分には合っていたと思う。
15歳の頃の自分に感謝。



 










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