犬人猫(イヌトネコ)

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「さようなら」君の言葉は白かった。

冬の寒い日のことだった。アメリカに留学したぼくを追いかけるように、半年後、彼女がアメリカにやってきた。そして、半年ぶりに会った彼女に別れを告げられた。眼前に広がる彼女の言葉が、確かに見えたような気がした。 「さようなら」君の言葉は白かった。 ぼくが彼女に初めて会ったのは、大学でゼミが始まる前日の懇親会だった。彼女は小柄で、お酒はあまり飲まないような雰囲気の子だった。 「乾杯!」 誰だかわからないけど、明らかに陽キャな雰囲気の男子が声を張り上げ、懇親会が始まった。人見知

    • 孤独、独、独 in Germany.

      数週間ぶりにnoteを開いてみると、応募欄にぴったりのハッシュタグが用意されていた「#今こんな気分」。 題名にある通り、ぼくの今の気分は孤独、独、独 in Germanyなのである。ぼくは1人でドイツにいるのである。 幸か不幸か、社会人3年目にしてドイツ駐在の役を任された。ほぼ100%の確率で羨ましいとの声が、ぼくに降り注ぐであろう。しかし、とにかく孤独との戦いなのである。 もしも求人があったのなら、こんな感じであろう。 「フランクフルト勤務、全額家賃補助あり、在宅(た

      • ごめん。アーメン。

        会社の帰り、ドア付近に立って、電車の外を見ていた。停車駅に止まり、ドアが開いて、また閉まる。ドアのゴム部分に、1匹の羽虫がぺしゃんこになっているのを見つけた。 どうやら、ドアのところに運悪くとまってしまい、ドアが閉まるのにも気づかず、そのままぺしゃんこにされてしまったようだった。 人間の文明の発達により、一つの命が失われた。1匹の羽虫の人生はどんなだったのだろうか。飛んで飛んで、疲れたらどっかにとまる。そんな人生だったのだろうか。友達は、家族はいたのだろうか。まだまだ飛び

        • shakaijin DAY720+1

          コロナの影響から、通学の「つ」文字もない一年を過ごした大学四年生を終えた4月。社会人の始まりに向かって、桜が秒速5cmで花びらを落と始めたあの日から、早くも2年が経った。 あっという間と言えば、あっという間だったのかもしれない。ろくにバイトもしてこなかった自分にしては、意外と働けていて、少し頼りにもされてきた、そんな2年間だったように思う。 Instagramの友達のストーリで社会人3年目が始まることに気づくまで、社会人2年目が終わることにすら気づかなかった。というよりか

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        「さようなら」君の言葉は白かった。

          shakaijin DAY59

          日曜日の夜は明日が会社というプレッシャーにやられる。寝つきは悪く、夜中に何回寝たか、何回夢を見たかわからない。寝ようと思っても、深い眠りにはつけず、脳と体が疲れていく。朝はなんだかんだですっきりと起きることができるのだけれど、何故だか肩がすごく凝っていたりする。 睡眠時間に比例するかの如く、体は重く、それに反比例するかのように朝日を見た心はすっきりとしている。変な感覚だが、毎週こんな感じなので、慣れたと言えば慣れた。 梅雨はどこへ行ったのかと思うような、すっきりとした青い

          shakaijin DAY1

          大学4年時はコロナのせいで、家の中にいることがほとんどだった。通学の「つ」の字もない一年を過ごした。活動範囲はほぼ地元のみで、友人と軽い運動をするくらいだった。アメリカから帰国し、思い描いていた一年とはかけ離れた一年を送るとともに、これまでに無いほど何もしない日が続き、本を読んだり、散歩をして写真を撮ったり、人生の中で一番長い休みだったように思う。 桜が例年よりも早く咲き、「地球温暖化かな?」なんて思っていたら、あっという間に大学を卒業していた。大学の卒業式は、偶然にもぼく

          自分にとって大切なこと

          この新しい日常の中で、自分にとって大切なことを見つけることができたように思う。それは『言葉』だ。 コロナ禍を経ていろいろなことに思いを巡らせたり、考える機会が多くなった。人と会うことはできない、外に出ることもはばかられる。そんな新しい日常の中で、本に触れる機会が自然と増えていった。小説から入り、せっかくだから何かためになるものとして自己啓発本を読むようになった。そんな生活をしている間に、本の内容よりも、作家の使う言葉に惹かれるようになっていた。 言葉があることで私たちは意

          自分にとって大切なこと

          非日常が日常になった。

          去年、一月の中旬に留学から帰国した。 久々の友人との再会、久々の日本の空気、久々の日本社会、何処か懐かしく、何処か物足りなさを感じながら、日本での日常を送り始めた。 帰国してから一ヶ月ほど経った頃だろうか、世界でコロナウイルスが蔓延し始めた。一気に日常が非日常と化した。外に出ることさえ少し恐ろしい、そんな緊張感が張り詰める生活が始まった。 緊急事態宣言、親のテレワーク、大学の授業はすべてリモート、店に入る前には消毒とマスクが必須.....たくさんの非日常が生まれた。

          非日常が日常になった。

          「大変」なのは、ぼくではなく、社会だ。

          コロナが蔓延し、ぼくは「大変」になった。 浪人をして大学に入学、アメリカに留学をして休学、帰国と同時にコロナが蔓延。アメリカにいて就職情報など微塵もなかったぼくは、周りに遅れをとり4月からスタートを切った。2歳も歳が違うのに、やけに大人びている就活生に囲まれながら、合同説明会というものに参加をした。1度だけ。 「これからまだまだあるから大丈夫っすよ」と部活の後輩に教えてもらい、そいうものなのかと申し込みだけを終えた。 ピコンっ、とメールが入る。 「コロナウイルスの感染

          「大変」なのは、ぼくではなく、社会だ。