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随筆(2020/7/29):才能→風格→自信→魅力→ロマンティック特大感情(2)風格から自信に持っていく

3.風格が「自信」をブーストさせる(自信を完膚なきまでに叩き潰されてない限りは)

才能による、才能と一体化した、肯定的に承認された立ち位置、風格。
一旦そのような風格を得ると、それはかなり揺るぎない自信の源になります。(そうならないこともある。後述)

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昔、欲求段階説を唱えたマズローが、『人間性の心理学』で(今はもう古いモデルなので、ケンリック『野蛮な進化心理学』とかの方がより良いかもしれません)、
「自尊感情は他人からの承認と自分の才能のどちらかによって確立される(し、マズローは才能による自尊感情の方を高度なものと思っている)」
という趣旨のことを書いていました。ある程度はその通りなのでしょう。
で、ここで承認と才能が揃っていたら、それは圧倒的に揺るぎない自信の源になります。
(たいてい何でもそうですが、タイミングを急がなければ、「どれか一つあればよい」条件は、「出来るだけ全部揃える」ことが、安定的な出力のためには大事になってきます)

そりゃあ、自分でやったことのアセスメントをして、それなりに出来が良く、しかも褒められたら、そりゃあ自信はものすごくつきますよ。それはそうよ。

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ただし、これには、よほど自信を完膚なきまでに叩き潰されていない限り、という条件がつきます。
自信が叩き潰されている場合は、どんなに成功しても、どんなに褒められても、それが自分のことだというリアリティがまるで伴いません。
今まで「ふつうの正常な世間の皆さん」は褒めなかっただろう。
じゃあ、褒める人、「異常者」では?

スゴイ・シツレイな感情だが、率直なところ、このような感想を禁じ得ない。
で、当然、こんなこと思ってると、スゴイ・シツレイなんで、いつかまた皆さん、舌打ちして、絶対に褒めない方に行くぞ。

だが、それは、承認されて来なかった人の「褒めないのが正常な世の中の在り方」というバイアスを強化させるだけであろう。
だから、野垂れ死ぬまで止まらないだろう。
周囲は、見捨てた相手が、野垂れ死のうがどうなろうが、正直、「知るか」であろうし…

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で、これは、才能を身につけて、開花させて、褒められる。というのを、しっくり来ようが来なかろうが、とにかく十数倍やっていく。というのが、おそらく一番効き目があります。
私は効いたからな(お前の例が万人に普遍化出来るのか???)

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偉そうにマウント取ってくる人、まあ嫌われるじゃないですか。
で、言いたくないことですが、自信をとにかくドブに捨てることで処世とする、卑屈な人、いるじゃないですか。
前者より、後者の方が嫌いな人、かなりいます。奇妙ですね。
たいてい、前者の方が、先に、かつ頻繁に、有害なムーブをボンボコかましてくるのですが…

実は、ここには、かなり薄汚い理由があります。

あんまり誰も直視しようとしないが、配慮してくれる人に配慮を返すのは、渡世の仁義としては、やらなならんが、やりたくねえ。
で、配慮しなくてよさそうなほど卑しい風に見える人には、配慮をしなくてもよいと思える。
むしろ、そんなやつに配慮しなければならないという話は、権威に鑑みて不当なものであり、キレてよい。

そうナチュラルに考えている人、残念ながら、かなり、います。
ここは21世紀の、四半世紀も経った、日本の法体系が通っている、日本国であるはずなのだが…

そんな訳で、やってることは大したもので、一部の人には猛烈に認められ信頼されているにも関わらず、自信がなくて卑屈だから、
「すごさが分かっていない、多くの人からは、完全にナメられている人」
という摩訶不思議な事態が頻発する。

こういう時に、「すごいから」とか、「仲間内で認められているから」とか、そういうのがこういうときに、何の役にも立たない、ということも、まあ分かるでしょう。

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で、やはり、
「自分のやっていることのすごさや、自分のすごさを信じておらず、すごいことを、「自分はやれて当然」とは思えず、無意識にならともかく、意識しては出来ない人」
への信頼は、
「自分のやっていることのすごさや、自分のすごさを、心から信じ切って、すごいことを「自分はやれて当然」と言わんばかりに出来る人」
への信頼に比べると、どうしても大幅に劣ってしまうんですよね…

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そういう人、手癖でならいいが、持続的な努力で何かすることは、かなり難しくなるもんな。長期的には大業は成せない、と思われてしまう。
(無意識でとにかくやり続けていれば終わる系のタスクもあるので、ふつうに大業が成せてしまうことはありますが、あまり一般性のない話です)

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(才能と承認による)風格と、自信が、健全に結びついたら、非常に強力なトライアングルが出来ます。
これは仲間内だけでなく、自分自身の中においても効いて来る。そこが大きい。
たいてい、何かを「やる」時は、結局は自分の手でやるのが一番手っ取り早いのだから。
自信があって、正当な勘所を押さえつつ「自分はやれて当然」と思ったら、そりゃあパフォーマンスは猛烈に上がる。そこが自信のいいところです。

(続く。まーた長くなりやがった…)

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