随筆(2019/12/12):学問や教育を堂々と合法的にしゃぶりつくす権利としての勉強(中編)

・処理すべき例外:「『役に立たないように見える学問をどう捉えるべきか?』という問い自体が、産業の勝手であり、しかも手抜きではないのか?」


さて、大事な心理や社交や処世と、直接は関係のない領域が、いかに「分かった」ところで、それがどれだけ心理や社交や処世に役立つのか?

心理や社交や処世は別にやっていかなきゃならないし、それは基本的には教師は教えてくれない。それ自体は困ったことでもある。

まして、何で無関係なことをやらねばならないのか? そんなことをしても心理や社交や処世は「分からないまま」ではないか?

という話が避けがたくあります。これにどう答えられるのか?


例えば、宗教信仰や哲学思想や倫理道徳や美学芸術とか、歴史とか、翻訳とか、その手の人文学があるのですが、これらがいかに心理や社交や処世や社会に「役に立つ」かは、ちゃんと説明が必要なところです。

私には「まだ」その話をする知見や能力がないので、今回はその話を致しません。(こいつ…)

ウワー! これですよ。知見がないと分からないからメチャクチャ悔しいし、何なら他人に「へー説明出来ないんだ、やっぱ実は頭悪いんじゃないの」とニヤニヤ嘲笑われるから嫌なんですよ! (頭悪いというか、頭おかしいよお前)


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強いていうなら、なんかよくわからないものがあり、それは放っておくと単にわからないものなので、もっと正体を掘り下げたい、という動機そのものは学問としてはまっとうなものです。

わかっているものをもっとわかるために掘り下げていくのはまだしも楽ですが(本当に楽か?)わからないものをわかるようにするのはもちろん大変です。亀の歩みのように遅く、解明されていない、つまり学問としてはまだ未成熟な分野。

何なら、歯切れが悪いからカッコ悪く見えるし、下手すると「詐欺師が飯を食うために群れて偉そうに御託垂れてやがる、あいつら潰した方が資源を有効活用出来る」と思われているまである。例のパターンです。
これは心理や社交や処世を越えて、社会の話になっていますね。
まあ、詐欺師扱いされて、潰されようとして、ふつうは嬉しい訳がない。屈辱的ですね。


しかし、当然そこは、わかったら大発見です。そしてそこから見えてくるものは、今までいい加減にしか説明が成り立ってなかったところを、もっと正確に丁寧に説明出来るようにしてくれるでしょう。そのためにも、やはり研究は掘り下げられなければならない。

こうなると、他の歯切れの良い学問と並ぶくらいの、バカにされない地位が認められる。(バカにされたら、そりゃあムッとしますし、心穏やかなわけがないですよ。そういう意味での地位です)


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人文学で扱う領域は、人の世に広くある。未だにわけがわからないなりに、これが完全に無根拠で無価値なものだとは到底思えない。何か人の世に広く生じるだけの理由があり、あるいは人がこれをやるだけの価値があり、だから人はやっていくのだと考えた方が自然だ。

それを「その研究には、金がかかるし、直ちには役に立たない、割りに合わないから、止めろ」という人、よくわからない。そんなことをしても、それらの領域は放っておくと生えてくるぞ。それをその都度妨げていくのか?


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人文学で扱う領域については、「役に立てる」以前に、それが何なのか、他の領域にどう効いてくるのか、調べていかねばならないフェーズだ。今でもある程度はそうだ。

しかし、前編で書いたが、そもそも学問とはそういう「調べて洗い出す」ものだし、すぐに手軽に扱えない謎の領域は、この過程を介して初めて技術レベルで「役に立てる」ことが出来る。

というか、「そういう工程をすっ飛ばしたい」とかいう意味のことを言う人たち、「建築現場で足場を組まないとそれだけ安く上がる。足場、無駄なコストだから、軽率になくしたい」とかと基本的には同じ話をしてるんですよね。そんなところが信用に足る訳がないぞ。


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あと、そもそも心理や社交や処世や社会ととりあえず関係なく在った、「わからねえものを少しはわかるようにしてえ」という学問に、「そんなことは金を稼ぐことに劣る、金を稼いで初めて価値がある」と絡んでいくの、本当に良くないですよ。産業の理屈を振り回して他所様のシマにしゃしゃり出るなよな。


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そもそも、産業の理屈が万能という話にはならないんだ。そんな産業の理屈を振り回していると、正に産業の理屈によって、あなたの老後は肥料と石鹸になるぞ。それを止められる理屈が、産業の側にあるわけないでしょう。あるとしたら倫理道徳の側だ。自分が今どちらの理屈で喋っているかは自覚してないとダメですよ。そりゃそんなもん突っ込まれるに決まってる。

(倫理道徳の話は、人文学の一部に過ぎないのですが、話が簡単なので今しています。そもそも、産業でも、「出来る」「強い」「長持ち」「お得」「安全」等々の、広義の価値判断的な回路は大前提でしょう。それに加えて職業倫理というものもある訳だ。実は産業は思ったより倫理道徳と密接な関係がある。そんな現状下で、産業をやりながら倫理を蹴っ飛ばせると思わない方がいいぞ


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クソッ! まだ書きたいことがあるが、もうこの時点でかなり長い! 残りは次回にします。ごめんなさい。また明日。

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