随筆(2020/1/13):魅力と評価と好意1-2(褒められることで初めて生じる好意がある他)

1.褒められることで初めて生じる好意がある

誠実の徳には二種類あり、即物的な「見る」誠実の徳と、対人的な「伝える」誠実の徳がある。
前者の人が、後者の才能も獲得するには、かなりのプラスアルファが要請される。
具体的には、魅力が欲しいし、評価をしたりされたりした方が良いし、好意を持たれたいし、信頼を練り上げたい。
その上で初めて伝達も出来るし、説得も出来る。という話は以前にもしたと思います。

今回は、評価をしたりされたりする話をします。
非常に具体的には、対人的な評価をやり、それを好意につなげるには、相手を褒める、ということがふつう必要となってきます。

逆に、自分を褒めない人が何か言っても、その人に好意を持つのはとても難しい。
信頼? ある訳がない。
第三者や敵を信頼する? それは「見る」誠実の徳の話に過ぎない。相手の「やったこと」は信用出来ても、「話」は信用ならない。
そのままでは、第三者や敵の「話」なんか、到底「まともに」受け取る値打ちを認められないだろう。
要するに、「伝える」誠実の徳にはつながらない。

2.褒めないとなると、初手で叩き潰すしかなくなる

「伝える」誠実の徳はさておいて、人間関係一般のことを思うと、相手を思い通りに扱うか、思い通りに扱うことを断念するかというルートがあり得ます。
思い通りに扱う場合は簡単で、相手を初手で叩き潰して、相手の思考回路を狭い型にはめて、ある種の機能をありったけ吐き出させて、要らなくなったら捨てる。これです。

これをやっている人はかなりたくさんいます。
なぜか? 相手を全く信頼していないからです。

そりゃあそうだろう。信頼は、上の方法でやらなければ、なかなか出来るものではない。
その方法論がない、そんなコストを割きたくない、時間的余裕もない、何もかもないなら、信頼なんて最初から作ろうとはならない。
信頼のない相手に、話なんか通じない。お願い事や約束事? 何でそれが通じると思った?

つまり、相手が信頼に頼らず、挙句自分が信頼に足らないと思われていると、お願い事や約束事なんか成り立たないから、相手は直ちに自分を道具にしようとする。これは非常に起こりやすい。
(実は、もっと悪いときは、自分は道具どころか、初手で相手に障害物と見なされて、ノー会話で物理的に排除される。これが一番困る。その話は、下でします)

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相手を思い通りに扱うことを断念するということには、実は非常に強いリスクがあります。
要するに、これを徹底すると、周囲は全員何かしらの形で自分を妨害する、という話にしかなりえないからです。そりゃそうだ。誰もこっちの意を汲まないんだから。

だから、相手を思い通りに扱えないということを受け入れたにせよ、お願い事約束事は避けられません。
なぜか? 相手を思い通りに扱えないお願い事約束事成り立たない、じゃあ周囲は全部障害物としかならないでしょう。上の話の通りだ。
ふつうに考えましょう。「邪魔」なんだから「どかす」に決まってる。
社交や処世や社会でこれをやると、もちろんそれは非常にトラブルになる。「どかされた」側はキレるに決まってる。

そういうことを避けるために、お願い事や約束事まで我慢しちゃいけないし、まして他人にお願い事や約束事によって、自分のお願い事や約束事を禁じられたと思ってもいけない。
お願い事や約束事は、社交や処世や社会への適応のために、たいていは、避けがたく、要る。禁じられようが、「禁じて来る奴は何も分かってない」と鼻で笑っていい。
そいつらは、お願い事や約束事をされるのを嫌がるし、抵抗すらするだろうが、障害物として物理的排除されるのはもっと嫌なんだし、抵抗も激しい。
じゃあ、お願い事や約束事の方がなんぼかマシだ、という話にしかならない。

お願い事や約束事を、そこまでは嫌がられず、何とか受理されるためにも、やはり、信頼があった方がスムーズです。

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また、非常に大事な話ですが、相手を思い通りに扱うかどうかは、相手に心があると思うことや、相手に権威や尊厳を認めるということとは、突き詰めれば関係ありません。

相手に心があると思っても、相手の心に、AIを積んだ家電と同じくらいの値打ちしか認めなければ、相手を思い通りに扱うことは容易い。
操作出来ないという話になんかならない。むしろ、わずかなコマンドで、勝手に動いてくれる、便利なAI家電、としかならないでしょう。
相手に心があると思っても、というか、相手にAI家電程度には情報処理能力があると思うからこそ、例えば奴隷制は容易く成り立つ。

相手に心があると思うことと、相手に権威や尊厳を認めることと、相手を操作することが区別できないと、上の話は丸っきり理解不可能でしょう。

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また、権威尊厳も同様です。
相手がどんなに偉いと思っていても、あるいは最低限誰にも譲れない一線があると認めていたとしても、それが相手を操作しないこととは必ずしもつながっていない。
仕事組織社会を回すためなら、人は容赦なく上司や部下を操作するし、それが当然の権利だと思うからです。

あなたが部下だったら、仕事の邪魔をする上司を、詰めたことはありませんか?
仕事組織の中での上下関係なんだから、仕事の邪魔をする上司なんか、偉かろうが何だろうが、邪魔に決まってる。
そういう思考回路で、上司を詰めて、黙らせて、自分の仕事のしやすい環境を整える部下、明らかに、います。

あなたが上司だったら、仕事の邪魔をする部下を、詰めたことはありませんか?
仕事組織の中での上下関係なんだから、仕事の邪魔をする部下なんか、問答無用で邪魔に決まってる。
そういう思考回路で、部下を詰めて、命令を貫徹しようとする上司、明らかに、もっとたくさん、います。

そういうことです。仕事の邪魔をするやつは、操作していい。むしろ、相手の操作をしなかったら、仕事組織が回らないとなると、これは断固やるべきだ。こういう理屈、非常に根強い。

嫌な理屈だと思いますか? でも、これ、一定の合理性があるんですよね。その職場に、上司と部下の間に、信頼はないんだから。
そもそも、職場の上司と部下の間に、信頼がある、ということは、上司と部下、双方の努力によって、初めて成り立つことです。
それをしないのなら、相手を思い通りに扱う方が、はるかに速い。

ということで、相手に心があると思うことや、権威や尊厳ということと、相手の心理操作ということは、ふつうに両立する。関係ない。
だから、前者二つがあるからといって、自分はそんな忌々しい心理操作的な人間関係に巻き込まれない、という話は別に成り立たない。
そういう考え方をしているのなら、そんなことはまるでないので、やめた方がいいですよ。
端的に、心理操作をしているか否か、というところだけに着目して対応した方がいいですよ。

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もしくは、信頼があるかどうかは、「部分的には」心理操作をしないことの担保になるので、そこは見た方がいいかもしれない。
信頼がないなら、お願い事や約束事は成り立たない。だから、心理操作という手段に訴えかけてくるリスクはかなり高い。備えよう。

しかし、ここで気をつけねばならないことがあります。
相手を思い通りに扱うことを断念する。とはいえ、それでは困るので、お願い事や約束事をする。ということには、信頼が必要です。
ですが、信頼があるからと言って、相手を思い通りに扱わない、お願い事や約束事をする、ということが、必ずしも成り立つとは限らないのです。
信頼関係に結ばれた、仕事の関係では、相手を思い通りに扱うことは、やはりよく起きます。人馬や主従のように。

信頼はもちろん要る。その上で、相手を思い通りに扱うことを断念する。お願い事や約束事をする。ということは、追加でやらなければなりません。
そして、やはり心理操作を実際にしてくるかどうかを見て、それで対応する、ということは、やらざるを得ない。

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個々人で人間関係をやる場合、
好意→信頼→伝達→説得→依頼・約束・合意のルートか、
圧力→心理操作→搾取→破棄のルートか、
深入りしない上っ面だけの関係にとどめておくか、
という選択肢があります。

そして、やはり嫌いな人と上っ面で付き合うのはかなり難しい。
上っ面で付き合うような圧力があったとしても、何の関心も持てない、受容出来ないのであれば、それは続かないでしょう。
そして、上っ面の人とは、深い意味のない話しか出来ない。
上っ面の人に、深い意味のある話をしたら、それは「本来話を聞く立場にない人に、話を聞かせるよう強いている」という、搾取か、かなり高い対価の必要な取引になる。
だからこそ、深い意味のない話は、上っ面をやるためには非常に大事なのです。何の話だっけ?

いずれにせよ、受容出来る程度には好意を持たれなければ、信頼も上っ面も成り立たない。
そして、相手に深い意味のある真の話をしたいのであれば、上っ面じゃダメだ。つまりは、好意と信頼を得なければならない。
そのためには、評価を褒める形で相手に示すのが一番だ。

(続きは、また明日)

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