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漢字を覚えられない ももこちゃん

今朝は4時半に起き、ドリップ珈琲を煎れた。
機械的に足踏み式のゴミ箱に使い捨てのフィルターを投げ入れる。
ボトンという音がする。
中を覗くと、ゴミ箱に袋がセットされていない。

今日はお兄ちゃんがゴミをまとめたのか。

そう思って一度捨てた珈琲フィルターを底から拾って、ビニール袋をセットし直した。

私の兄は自閉症である。

「ゴミをまとめたら、次のためにゴミ袋をセットしよう」

そんな単純ですぐ覚えられそうなことだって、彼にとっては「どうしてもできないこと」の一つである。

私は幼い頃から差別という概念がピンとこない。おそらく彼という存在が家族の中にいるおかげで、そもそも「普通」というフィルターが存在していないからだと思う。

だから今日も、人間誰しもできないことってあるよな~と考えながら、おもむろに渡り廊下の戸棚から白いビニール袋を引っ張り出した。

ふと思い浮かんだのは、幼稚園から中学校まで一緒だった同級生だった。
忘れないうちに、ちょっとだけ文章を書く。

◇ ◇

その子の名前は、ももこちゃん。
ほっぺが赤くて、二つ結びが似合う小柄な女の子だった。

運動神経が抜群で、体育で跳び箱の授業があるとひょいひょいと難技をこなしてみんなの注目を浴びていた。(私が踏み切り板でぴょんこぴょんこしている間に、彼女はさっさと前方倒立回転跳びなどをマスターしていた)

ただ、もしかしたら頭が足りないのかも…と感じるようになったのは、中学に上がってからのことだった。

国語の授業で、漢字の小テストがあった。
みんなが「うわー、今日テストだったかまじか-」などと騒いでいる間、彼女は教室の机上で黙々とCampusノートに漢字を書き込んでいた。

ふとのぞくと、一つの漢字に対して100個は書いている。
「どうしても覚えられないんだよね」
にこにこしながら、彼女は言う。そして書く。テストの直前まで必死に。

正直そこまで努力できるのは非常に偉いと思う。

ただ単純計算しても、一つの漢字に100回書かなければ覚えられないなら、20問だとしても2000回の練習?

あまりにも効率が悪いし、苦難の連続である。

私が「学習障害」という一つの特性を知った出来事であった。

◇ ◇
ただのちに、高校受験で気づかされたのが、私にも算数の学習障害があるということだった。

当時通っていた塾の担任が、数学の先生だった。
私はあまりにも成績が悪かった。テストも赤点。志望校を絞るにも数学だけが突出して点が低いので、かなり先生の頭を悩ませたと思う。いつも不機嫌そうで正直とても恐ろしかった。

今でもよく覚えているのが、いよいよ受験も間近に迫ったころの親同席の三者面談だ。

彼が冒頭、おもむろに口にした。

「あなたの娘さんは、数字を見ると頭が真っ白になるみたいです」

なんと見抜かれていた。

私はいざ計算となると、脳が考えることを拒否する。もし脳が言葉を発するなら「難しい。無理。考えたくない」と叫んで、頭がショートする。

これまでは自分のやりたくないことはやらないぞ精神に基づく根気のない勉強姿勢が原因だと思っていた。しかし、先生は数学専門の教えるプロである。これまで幾人もの生徒を受け持ってきたのだから間違いないと思う。

母の返答はこうだった。

「やっぱりそうでしたか、ありがとうございます。第一志望の高校は受験科目に数学がいらないので、それでもいいですか?」

先生は目をきらきらさせて、喜んだ。

「それなら大丈夫ですね、僕も安心です!」

あれだけ努力してきたのに、まさかの数学を勉強しなくて済むようになった。私の心境は複雑だった。

もちろん志望校は、心から行きたかった高校である。
特殊な学校で、公立ながら私服校の単位制。自由を重んじる学校だった。

自分の志望校の偏差値水準からいうと、数学だけは底辺だったので、受験5科目の国数理社英のうち、一つ外して受験できる選択肢があったのは、これ以上ない幸運であった。

でもさ、でもさと思った。
「僕も安心」って、本当に塾講師としては諦めの言葉じゃん。

おそらく先生は、「お役ご免」と思ったのであろう。

結局は当時存在していた試験制度の一つで、面接とディスカッションのみで、ペーパー試験が不要な「前期試験」で受かってしまったので、塾で勉強していたこと自体が無駄にはなった。

ただ、自分の特性を知る良い機会になったと思う。
ありがとう先生。

おかげで私は飲み会の幹事は絶対断るようにしている。
会費をぴったり持ってこない人たちの、お釣りの計算無理なので。

追記
算数学習障害のあるある話はたくさんあるので、それはまた暇な時に書こうと思う。ただ大人になって思うのは、文明の利器が発達した現代においては、足し算と引き算、かけ算(1桁)ができれば、なんとか生きていける。



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