見出し画像

「おばあちゃんの話」1/5 私の居場所|公募インタビュー#31

まきさん(仮名) 2021年9月初旬〉

牧さんは、大好きなお祖母様おばあさまのお話をしてくださいました。お別れから3年が経とうとする今も、寂しくて死を受け入れられないと言います。やさしくすてきだったお祖母様との思い出や、牧さんとのつながりが引き寄せたようなめぐりあわせの数々。時に笑い、時に涙声になりながら語ってくださいました。

──お祖母様との思い出や関係性、お祖母様との最後について、ということでしたね。

牧さん はい、(今日話すのは)母方の祖母の話なんですが。

 子供の頃同居していたのは父方の祖母なのですが、母方の祖母と祖父は、同じ県内ではあるんですがうちから車で2時間ぐらい離れたところに住んでいたんですね。なので、子供の頃はお正月とお盆、春休みや夏休みとか、年に3、4回かな、遊びに行くぐらいでした。

 祖母は、91歳で亡くなる直前まで畑仕事をやっていたぐらい、すごく元気で丈夫な人でしたが、祖父は50歳ぐらいの時に過労で倒れてから半身不随になって、その後40年ずっと、祖母が一人で介護していました。祖父は、私が物心ついた時にはもう寝たきりだったんですが、私が小さい頃は頭のほうはしっかりしていて、頭のいい人だったんでベッドの上で投資とかやっていて、祖母ともちゃんと会話できていました。祖母もその頃はまだよかったかなと思うんですけど、祖父は80歳をすぎた頃に何回か脳梗塞をやり、その後だんだん認知症になって、それから祖母の介護は精神的にもより大変になっていったかもしれません。
 
 子供の時、おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行くのはすごく楽しい時間でした。おじいちゃんもいろんなことを教えてくれるし、おばあちゃんはすごい料理上手だったんで、一緒に料理したり、お菓子を作ったり、畑だけじゃなくて庭の花もすごくきれいに育ててあったんで、庭の花を一緒に見たり。おばあちゃんちに行くのは、昔からすごく好きでした。

週末に通った高校時代

牧さん 私は中学生ぐらいになったら反抗期に入りまして(笑)、親とあんまり仲良くなくなったんですよね。あまりにも私の反抗期がひどくて、高校は寮に入って通うことになったんですよ。その寮のあるのが祖母が住んでいた町で、寮から祖母の家まで自転車で1時間ぐらいでした。週末は寮で食事が出ないんで、普通はみんな実家に帰るんですけど、私は親と仲良くなかったんで、祖母のところに行ってたんですよ。祖母のところで毎週末過ごして、平日はまた寮に帰って、という生活でした。

 祖母は「たまには家に帰らなくていいの?」とは聞くんですけど、「帰りなさい」とか「どうしてそんなにうちにばっか来るんだ」とかそういうことは全然言いませんでした。何も聞かないけど、“いていいよ”みたいな感じで、なんか、すごい受けとめてくれたんですよね。複雑な時期の(自分にとっての)居場所だったというか……

 高校の3年間はそんな感じで、週末になると祖母の家に行って、一緒にごはんを作ったり、祖父が時々入院してたんで、その入院先にも一緒にお見舞いに行ったりとかして、ずっと祖母とは仲良くしてたんですよ。

介護休みで行った、たくさんのお出かけ

牧さん 私、高校卒業後は地元を離れて大学に入ったんですね。地元を離れると祖母とは帰省した時に会うくらいで、大学生活もあったし、電話をかけたり思い出したりすることもあまりありませんでした。結局大学は1年間通って中退して、その後また地元に戻りましたが、祖母の家からは遠いところで一人暮らしして、専門学校に1年間通い、学校の近くで就職しました。

 その最初の就職先はあまりにもブラックすぎて(笑)、3ヶ月で辞めちゃったんですよ。辞める前に上司が、自分の転職先に一緒に行く?って言ってくれて。その人と一緒に移った会社のある場所が、祖母の家と高校の寮がある町でした。またその町に戻ってきて、一人暮らしを始めました。

 その頃には祖父は認知症が始まっていて、まだらに症状が出ていました。祖母のことは「おかあさん」と呼んで認識しているんですけど、わからない時は孫の私のこともわからない。私が「おじいちゃん、来たよー」って言っても、自分の長女(※牧さんの叔母)と間違えて「〇〇、今日は遠くから来たんだな」って言ったり。急に昔の記憶が戻って仕事に行かなきゃと言い出したり、夜中に起きてわーっと言ったりもするし、けっこう祖母が疲れてきちゃっていました。何より、頭がいい祖父だったんで、祖父と会話が成り立たないようになったのはつらかったんじゃないかな、って思います。

 祖父は要介護度5だったので、もちろんヘルパーさんや在宅医療の方に来ていただいていましたが、基本的に祖母がずっと休みなしに祖父の介護をしていました。それが、私が就職した頃「おばあちゃん疲れちゃったから、毎月1回、休みもらおうと思うんだ」って言い始めたんです。祖父に介護施設で月に1回、1週間くらいショートステイで泊まってもらって、その間休むことにしたいって祖母が言うので、そりゃそうだよね、そうしたほうがいいよって家族みんな賛成しました。

 そうやって、1週間休んでまた3週間祖父と過ごすというスパンで祖母が生活し始めたところに私が就職して戻ってきたので、その1週間の中で一緒に出かけることをし出したんです。学生時代は祖母の家に行って何かをするパターンでしたけど、もう車も持ってたんで、私が祖母を連れてどこかに行くようになりました。

 祖母の町で働いていた2年間ずっと、毎月毎月、祖母と、今度はどこ行こうか、って言って遊びに行っていました。祖母は温泉が好きだったんで、近所の温泉にもよく行ったし、黒川温泉っていう、けっこう遠くの山の中にある温泉に日帰りで行ったり(※牧さんのご出身は九州とのこと)。祖母が内陸の出身ということもあってあんまり海を見たことないって言うんで、海に連れて行ったり、水族館に連れて行ったり。

 その時、私の付き合ってた彼、今の旦那なんですけど、彼もうちのおばあちゃんのことすごく好きって言ってくれてたんで、3人でもよく出かけました。おばあちゃんも彼のことを気に入って、本当の孫みたいに接してくれて。おばあちゃんちで一緒にごはん作って3人で食べたりとかもしていました。

誰より近く

牧さん その後、(彼との間で)結婚の話がじわーっと出始めたので、仕事を辞めて実家に戻りました。結婚前ぐらい実家から通えるところで仕事をしようかなあと思って、中学生ぶりに親と一緒に暮らし始めたんですよ。

 結局2年間ぐらい実家で暮らしながら仕事して、その後結婚したんですけど、その2年間も、車で2時間の距離になったとは言え、私も自分の車を持っていたので、月に一度の祖母のお休みの時に祖母の家へ行って、祖母をどこかに連れて行く生活はずっと続けたんです。なので、結局4年間ぐらい、頻繁に祖母と会って、長い時間を過ごしたことになります。

 祖母は娘が2人いて、次女が私の母なんですけど、うちの母はどっちかというとインドア派で、しかも車の運転を長時間したりはできない人なんです。だから母は晩年の祖母とそんなに出かけたことはなくて。電話は頻繁にしていたんですけど。
 母の姉も、当時はかなり遠方に住んでいて、年に1回帰ってくるかこないかだったので、近くにいる親類の中では私がいちばん祖母とべったり長い時間いたっていう感じです。
 私、弟がいて、祖母にとっては私と弟だけが孫なんですね。弟も、子供が生まれてからはちょこちょこひ孫の顔を見せに行ってたみたいなんですけど、それまでは祖母の家に行くのは正月ぐらいで。なので、祖母にとっては私も弟も、どっちもかわいい孫だったとは思うんですけど、祖母とより距離が近かったのは私でした。

楽しんでいたおばあちゃん 温泉も食事も道中も

──遊びに行く時の行き先は、おばあちゃんからリクエストが?それとも牧さんが決めて?

牧さん ああ、私が連れ回してました。おばあちゃんのほうからは、うちに来てほしいとか、どこに遊びに行きたいとかは言わなかったんですよね。けど、私が今度ここ行こっかーって言ったら、ああ、いいねーって言って、どこでもついてくるおばあちゃんで。
 温泉が大好きだったんですよ、おばあちゃん。近場の温泉でも、ちょっと遠くの温泉でも、連れてったらいつも「ああ、命の洗濯だわー」って言ってました。

 旅行も何度か一緒に行きました。鹿児島の先端にある指宿いぶすきに、たまて箱温泉っていう日帰り温泉があって、そこ、東シナ海が見えるんですよ。温泉に入ると、もう目の前全部海、なんですよ。私、そこがすごい好きで、おばあちゃんをどうしても連れて行きたかったから、一緒に鹿児島行こう、って言って。その時はおばあちゃんとお母さんと私と旦那の4人で行きました。その温泉もすごく喜んでました。

 おばあちゃん、胃袋も丈夫っていうか、年寄りだけど一食分のごはん食べれて、食べるのも好きだったんで、あちこち旅行行ったりしてもちゃんと食べて、けっこう喜んでましたね。うちの母がすごい少食で、全然食べないんですけど、その母より食べれてました(笑)。

──へえ、すごい。

牧さん うちの近所の温泉で、バイキングがあるとこがあるんですよ。私そこすっごい好きで、おばあちゃんも時々連れて行ってたんですけど、おばあちゃん、バイキングに行ってもけっこう食べるんですよ。でも、バイキングのルールをわかってるんだかわかってないんだかちょっと謎で(笑)。お皿にとってきた焼き菓子が食べ切れずに残っちゃった時に、「これ持って帰っていいかな、もったいないけん」とか言ってました。いや、おばあちゃんそれはだめだよ、って言ったんですけど。

 そうやって、あちこち行こうって言っても、いいよーって言ってついてくるほうでしたね。車に長時間乗ってても、疲れたーって感じじゃなくて、1ヶ月に一回の休みだから、すごい楽しんでる感じでしたね。一緒に紅葉見に行っても、楽しそうだったし。

──運転中はおしゃべりするんですか?

牧さん おしゃべりします、ずっと。まあ、基本的に私がしゃべりたがりなんで、仕事でこんなことあったーとか言うと、おばあちゃんはそっかそっかーって聞いてくれて。もちろんおばあちゃんもいろいろ話してました。親戚のなんとかさんちの孫がこないだ来たけど、もう、大変やったー、とか(笑)。

2/5 急いだ結婚式と、前々からとっていた休暇 へ続く)

※インタビューは音声のみの通話で行いました。
※病状などの記述は個人の状態によるものです。万人に当てはまるものではありません。

インタビューは随時受付中。お話、大切にお聞きします。
詳しくはこちらまで

この記事が参加している募集

おじいちゃんおばあちゃんへ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?