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なぜパリコレはモデルが裸なのか?[ファッションリベラルアーツ vol.03]
注意)本記事は少しだけ露出度の高いモデルの画像を含んでいますので、閲覧する際はご注意ください。(note規定に従い、一部画像を加工しています)
ファッション界のトップブランドが集結し、新作をランウェイで発表するパリコレクション。わたしたちの想像を遥かに超える前衛的なコーディネートの数々がシーズンごとに披露されます。
そんな中で度々話題となるのが、「ほぼ裸でランウェイを歩くモデル」です。
洋服が派手なだけならまだしも、街で見かけたら即お縄レベルの露出度でランウェイを歩いているモデルが散見されます。
以下は、現在のファッション業界を牽引する2つのブランド。
左がJW Anderson、右がRick Owens。
![](https://assets.st-note.com/img/1718847274129-MU88PRglKO.jpg?width=800)
あまり詳しくない方のために補足しておくと、両ブランドともに世界中のファッションラバーから絶大な人気を誇るブランドであり、現代ファッションに与える影響は多大です。
しかし、なぜ彼らは“ほぼ裸”の状態でモデルを歩かせるのでしょうか?
ファッションブランドである以上、服を着させてなんぼ。といった感じがしますが…。
当然ですが、裸で歩くランウェイはポルノ的な意味合いが込められているわけではありません。
今回の記事では「なぜパリコレはモデルが裸なのか?」について、“西洋の美しさに対する古典的な価値観”を基に考えていきます。
Ⅰ. 西洋が見出した“美しさ”の価値観
ファッションショーで散見される“裸”で歩くモデルたち。
その背景には西洋の長い歴史の中で形成された“とある美しさの価値観”が関係していると考えられます。
まずはこちらの作品をご覧ください。
![](https://assets.st-note.com/img/1718846807597-HdREyWuw0P.jpg?width=800)
西洋美術史において最も偉大な芸術家のひとり“ミケランジェロ”が残した名作“ダビデ像”。
注目してみていただきたい点は、ダビデ像の強調された肉体美。
そして、綺麗に整った対称的な体です。
ダビデ像だけではありません。同じことは「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン像」でも指摘できます。
この西洋が生み出した数々の彫刻から窺い知ることのできる“とある美しさの価値観”。
それは“対称的な形の調和”です。
カタカナでいえば“シンメトリー”の美しさ。
シンメトリーに対する美の追求を窺うことができるのは、なにも彫刻だけではありません。
例えば、西洋の宮殿や庭園もきれいに左右対称に設計されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1718848193914-ilad24DHke.jpg?width=800)
植物も規則正しく配置、剪定され、水流までも人為的に作られています。
彫刻と言われて真っ先に西洋の作品が思い浮かぶのも、石や岩を削るという自然に対する人為的な介入によって、“整える”という発想が他の地域よりも強かったのが西洋だったから、かもしれません。
ちなみに、日本の玄関口とも言われる「東京駅丸の内駅舎」も左右対称な建築物ですが、その建築方式は西洋にルーツを持つ“ルネサンス様式”だとされています。
![](https://assets.st-note.com/img/1718847986362-uAPnSy74zq.jpg?width=800)
とかく、西洋の彫刻や建築物、その庭園がきれいにシンメトリーに設計されているのは、自然を超越する“整えられた”ものに対する美意識が根底にあったのでしょう。
自然のままを求める日本人の美意識とは相反して、自然に人の手を加え、秩序をもたらすことに西洋なりの美を表出させているのです。
これを人体に置き換えれば、“ファッションショーでなぜ裸で歩くのか?”がわかってきます。
人体という自然を“整える”ことで表現される美。
男性の身体では対称に整えられ、十分に発達した筋肉。
女性の場合には、ウエストから腰にかけて柔らかく滑らかな曲線。
これらを極限まで強調することが西洋の求める“ファッションの美しさ”でした。
どうでしょう。
ここまでくれば、もうおわかりいただけたかと思います。
明確に強調された肉体的美しさの追求が行われた文化圏におけるファッションが“裸”にフォーカスすることは必然的と言えるのではないでしょうか。
そうなれば当然、ファッションブランドが“コレクション”というブランドのクリエーションを世界に発信する場において、モデルを“裸”にすることで表現することもあるでしょう。
「なぜパリコレはモデルが裸なのか?」の背景には“西洋の美しさに対する古典的な価値観”があったのです。
しかし、もっと表面的な理由もあります。
Ⅱ. モデルはあくまで“動くマネキン”
次に示す写真はメゾンマルジェラ(Maison Margiela)24年アーティザナルのランウェイショーでのルックです。
![](https://assets.st-note.com/img/1718847510017-4fWCZwzYrQ.jpg?width=800)
ご覧のとおり完全な“裸”ではないものの、下着を身につけておらず、モデルの身体が透けています。
しかし、どうでしょう。
よく考えれば、これはあくまで“服”を見せるためのショーなのです。
下着を身につけてしまっては、肝腎要の“服”に干渉してしまいます。
素材によっては下着の形がシルエットに影響を与えてしまうことや、透け感の強いアイテムと合わせた時に下着の印象がコーディネート全体のイメージを作り上げてしまうことが懸念されます。
洋服屋さんのマネキンも同じ理由から下着を身につけることはしていません。あくまで“服”をみてもらうための展示だからです。
ファッションショーでランウェイを歩くモデルは、店頭に並んでいるマネキンに動きが加えられたものと捉えれば、理解しやすいかもしれません。
Ⅲ. ファッションショーは“背景”を知ることで理解できる
“西洋の美しさに対する古典的な価値観”を認識していなければ、ランウェイで披露される裸のモデルたちをみても「やっぱりファッションは理解できない」という言葉で片付けられてしまいます。
しかし、クリエーションの背景を知ることで、単に“裸”というわけではなく、“美しさの表現としての裸”であることに気づくことができるのです。
当ブログで発信する“ファッションリベラルアーツ”はファッションや芸術の歴史や社会学、そして哲学に触れることで、感性と知性を磨くことを目的としています。
ファッションのみならず、身の回りに溢れるデザインやアートの深みを知ることは、あなたの生活に奥行きをもたらすはずです。
あ!それと、最後にはなりますが、皆さんはくれぐれも街を裸で歩かないようにしてください。
insomniaです。
本日もご覧いただきありがとうございます。
【ファッションリベラルアーツ(ファッションを自由に楽しむための教養)】を通じて、知性と感性を磨くガイドブログ。
当ブログでは、ファッションの哲学性や社会学、歴史を深掘りして投稿。
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