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お葬式に革ジャン、ブーツスタイルの父

こんにちは。


未来書き換え自分年表作成講座
ファシリテーターの鈴木綾恵(あやえ)です。


今回はちょっと私の思い出話になるのですが、
先日、父が還暦を迎えたんですね。


還暦と聞いて
つい、いつか死んでしまうだな…と
死を連想してしまったのですが、


ふと、父の兄のお葬式の時の
父の振る舞いを思い出したんですよね。


それが私にとって結構
好きな思い出といいますか
父らしいなあと凄く感じたところで


今回はそんな父についての話を
してみようかと思います。


よかったらお付き合いいただけたら嬉しいです^^



父は一言で言うと…
アウトローな人なんですね。


父は5人の兄弟姉妹なのですが
祖父から育児放棄をされた経験があり、


義務教育を受けて
進学や就職をして…
という所謂普通の人生は
送ってこなかった人でした。


そんな父なので
学校に行く必要はないとか
家がなくてもお金がなくても
生きていけるとか


「死ななければ
大体のことはなんとかなる」
とそんなことをよく言ってるんですね。


その世間一般的な感覚に
縛られない部分に助けてられたことも
たくさんありましたが、


周りと比べて
自分の家庭がなんか違うような、


自分は父みたいになっちゃいけないような
社会に適合しないといけないような…
そんなもどかしさを感じることも
ありました。


そんな父の兄のお葬式があった時、


父は革ジャンにブーツの
ゴリゴリのパンクロッカースタイルで
きたんですね。


父以外はみんな喪服で
周りはええ…と引いていましたし、
私もちょっと恥ずかしい…と
思いました。


ですが父は


「これが俺たちのスタイルだから、
あいつ(兄)が死んだからって
今更、改めることはしない。」
と言ったんです。


人によってはあまり良い言葉に
聞こえないかもしれませんが、


私はなんだか父が凄くかっこよく
見えたというか、
思慮深いなと思ったんです。


お葬式だから喪服を着るとか
人が亡くなった手前だからとか
そんなことは関係なしに


自分たち兄弟のあり方を尊重したんだな
と感じたんですね。


父たち兄弟姉妹は
漫画やアニメ、音楽、映画、美術など
とにかく色んな表現作品が大好きで


家には色んな物が溢れていて、
映画やドラマが垂れ流しになっていることも
ありました。


私が子供の頃は
その一つ一つの意味はよく
わかりませんでしたし、


大人たちは大人たちで
盛り上がってるなぁと
寂しさすら感じていました。


ですが、
大人になってみたら
気付いたら自分も似たようなものを
好きになっていて、


そこから私もまた
自分が知らない人生や価値観、思想が
あることを感じるようになっていました。


そのことを考えると
父たちの過酷な生活の中、
人が作り出したものや価値観に
どれだけ助けられてきたのか


人生そのものだったのかを感じたりして


兄のお葬式に
パンクロックスタイルできた意味が
凄く大きいようにも
ある意味当たり前のようにも
思ったりしたんです。


ちなみに
父は兄と凄く仲が良いというわけでは
ありませんでした。


兄もこれまたなかなか
常識に囚われない人だったので
色々とトラブルが多かったようで


兄が入院費を踏み倒したことで
自分が通っていた病院を
出禁になるということが確かにありました。


なので父の兄に対する想いも
私には理解できないほど、
複雑なものだったと思います。


私が父の兄に会ったのは
子供の頃の2回ぐらいですが、


大人たちが大喧嘩しているところから
唯一助けてくれて傍にいてくれたり、


子供が大好きで手品で楽しませてくれる
とても優しくて、素敵な絵を描く人でした。


私が兄のことで
わかるのはそれぐらいでしたが、


そんな兄のことを少なからず
父は尊敬していたと思いますし、


消化しきれていない許せない部分も
たくさんあったと思います。


だからこその
パンクロックスタイルだったのなら
それもまたそれで父らしいなと
感じたりしました。


久々にこのことを思い出して、
自分がもし亡くなった時
父の兄と同じように


「綾恵はこうだったから」
「こういう関係だったから」
なんて送り出せてもらえたら
凄く嬉しいな…なんて
感じたりしたんですよね。



そして自分が父のような立場だったとして


周りの目を気にせず
自分たち兄弟のあり方を出せるか…?


と考えたら
父ほどの度胸はやっぱりないな…と
思ったんですよね。


(父は当たり前のように着てきたようでしたが)


それは父と全く正反対のような
母の常識人なところを
受け継いでるからだろうな
とは思うのですが、


本当に父は凄いなぁ…と改めて感じました。


そしてそんなアウトローな父と
常識人の母の間に育った私だからこそ
できること


というのを常に探求していきたいなと
父の還暦を迎えて感じた今日この頃でした。


それでは、ここまで読んでいただき
ありがとうございました^^



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