飲食の未来をつくる試金石になる。
株式会社のらや 代表取締役社長 宇田隆宏氏
高校卒業後、蓬莱に就職し、飲食人生がスタート。様々な飲食店を経験し、修業を重ね、「のらや」に就職し、立て直しに奔走し、社長に就任。組織を一枚岩にする。
インスタントラーメンと宇田少年。
インスタントラーメンは、ハマる。文字通りインスタントだし、ベースがあるから、アレンジが利く。食べ盛りで好奇心旺盛な少年なら、ついアレンジ料理をはじめたくなる。今回、ご登場いただいた株式会社のらや代表の宇田隆宏さんもその1人。
「中学時代はバレーボール。むかしのことですからね。上下関係がハンパなかった。やんちゃな奴も多くって(笑)」。
たしかに、そんな時代。
「インスタントラーメンは高校になってアレンジしてみたら、それがけっこう旨くて。じつは、この経験があったので中華料理の道に進んです」。
もちろん、多感な高校時代。いろんなことに興味は尽きない。宇田さんが興味をもったのは音楽。ロックバンドを結成している。
「中華に興味があったので、高校卒業後、551の蓬莱に就職します」。
蓬莱の551といえば「豚まん」が有名だが、レストランの評価も高い。
「同期は40~50人いたんとちがいますか。私の料理人人生は蓬莱からスタートからします」。
料理人の背骨ができたのは、蓬莱。だが、1年で退職している。
「なんというかですね。卒業してバンドは解散していたんですが、また、やりたいなと思うようになって」。
<再結成ですか?>
「そうなんです。やるぞっていって。やるからには、以前と同じように大阪でやっていてもしょうがない気がして、東京へみんなで乗り込みます」。
前座だが、超人気バンドといっしょにライブにでたこともある。「1000人ほどのスケールのライブは初めてだったので、緊張した」とその時をふり返る。
<東京はいかがでしたか?>
「20歳の時にバンドメンバーのみんなを連れて行くんです。最初は、新宿の有名なライブ会場で演奏するのをめざしていたんですが。私を含め、みんな東京という世界に飲み込まれたというか。むちゃくちゃ楽しかったんです。アルバイト代も高いでしょ。お金もできちゃうし、音楽のことがどこかに行っちゃって。あ、ボーカルだけは違っていました。彼は、超有名なアーチストやグループのアシスタントをやるようになります」。
<宇田さんはどんな仕事を?>
「私は、1年といっても料理の経験がありましたから、深夜に飲食のアルバイトをしていました。音楽から今度はまじめに離れることになって、たまたま知り合った人から仕事を紹介していただきます。私が24歳くらいの時です」。
東北に本社のある会社だったそうだ。千葉のゴルフ場に異動になるが、バブル全盛期。芸能人も何人もいらっしゃったそう。
ミュージシャンとの別れと「のらや」との出合い。
「大阪には26歳でもどります。ま、東京で散々あそびましたからね。大阪でもう一度ちゃんとやろう、と。ある飲食店に転職します。焼き鳥屋さんだったんですが、カウンターがあるお店だったので、カウンターでお客様と接するのが、たのしくて」。
あるとき、ぶっきらぼうなお客様がいらしたそう。
「なんだかなと思っていたんですが、帰るときに『おいしかったよ。また来るわ』っておっしゃっていただいたんです。我々、飲食人がもとめているものって、たぶん、この一言ですよね」。
まだ若い、飲食以外にも選択肢はあったかもしれないが、この一言で宇田さんは、飲食にハマり、その道を極めることになる。
「大阪にもどってからも、いまの焼き鳥屋さんをはじめ、大同門っていう焼肉の会社でも、そうですね、こちらでは7~8年仕事をさせていただきます。そのあと、お米屋さんに就職するんです。おにぎり事業をやりたいということで、焼きおにぎりのショップをオープンしたんですが、鳴かず飛ばずで(笑)」。
<それで「のらや」ですか?>
「その頃はもう30代半ばになっていました。当時、東大阪に住んでいたんですが、近所をうろうろしている時に、「のらや」の石切店をみつけるんです。お客さんがよく入っていて、心が動かされて採用の面接にうかがいます。私はてっきり自宅からちかい石切店に配属されるもんだと思っていたんですが、そちらはFC店ということで、『本部でスーパーバイザーの仕事をしてくれないか』と言われました。本部は堺の鳳。1時間以上かかりました(笑)」。
<それは、ある意味、うれしい誤算ですね?>
「そうですね。SVからスタートできたわけですから。ただ、当時で34店舗ほどあったんですが」。
話を聞くと、宇田さんが頭を抱えている様子が目に浮かぶ。
「34店舗あったと言いましたが、直営は3店舗。私がみた石切店同様、ほぼすべてがFC店です。私はスーパーバイザーですからFC店を回るんですが、収益モデルがボロボロっていうか。流行っていても、原価だって50%はかかっていましたから儲からない(笑)。そりゃオーナーにしたら不満ですよね。けっきょく、すべて本部が買い取ることになります」。
「のらや」改革の狼煙。
「のらや」は、平成8年8月に創業されている。
「創業者はフレンチの出身で、子どもからお年寄りまで楽しめる飲食店ということで、『のらや』をスタートします。『のらや』の、『のら』は創業店をつくっている時に、現れた野良猫がもとになっています」。
かわいい猫型のどんぶりなど、実際に猫をモチーフにした店づくりをしている。ちなみにオンラインでも購入できるようになっている。
「外観は異なりますが、内装はだいたい統一されています。古民家風ですね。東京には4店舗だったんですが、今は1店舗だけ。ただ、その建物が100年以上経つ建築物なんで、なかなか手放せなくて。そちらだけつづけています。そちらは外観も、内観も、『のらや』のイメージ通りなんです」。
ホームページで調べてみると、たしかに古民家そのもの。食事もそうだが、外観も内観も楽しめそうだ。
<ところで、のらやで社長になられたのはいつですか?>
「2021年です。もともとFCで拡大していくわけですが、店舗数は拡大できたもののなかなかうまくいかず買い取ることになるなど経営も不安定でした。創業者がおやめになり、社内がだんだんとおかしな方向に向かいます」。
<その時はどんな立場だったんですか?>
「はい。部長です。尽力したつもりですが、なかなか。そんなとき創業者がやめられて、私に白羽の矢が立ちます。代表になるってことで、株式の1/3を無償譲渡されましたが、相応の借金を背負います」。
<できることなら受けたくなかった?>
「わざわざ莫大な借金を背負うようなもんですからね。でも、従業員のみんなをみているとね。このまま『のらや』をなくすのも忍びなかった」。
ただ、いったんおかしくなった企業体質は、なかなかもとにもどらない。
「その時、全ての実権をお持ちだった会長が辞任されました」。「のらや」改革の狼煙が上がる。
「のらや」の未来は、飲食の未来。
すべてを立て直すのは、難しい。社員も一枚岩というわけではなかっただろう。だが、その組織図を宇田さんは、一つひとつ塗り替えていく。
「現在、社員数は40人です。比較的若いスタッフが多いですね」。
年商は8億円。全盛期から5億円落ち、ぎゃくに4億円の借金ができている。
じつは、40代の時に転職も考えたそうだ。だが、今はそれも考えられない。すべてを背負っている。
「店舗数でいうと30店を一つの目標にしています(現在14店鋪)。売上も大事ですが、労働環境の改善にも注力していこうとしています。月9日休みとしています」。
いずれにしても「のらや」という資源をいかすのが、第一だろう。
「マーケティングやプロモーションなど、まだ弱い部分を強くして『のらや』のストロングポイントをアピールしていきたいですね。建物だけでなく、猫のモチーフも楽しんでいただけると嬉しいですね」。
その狙いは、ただしい気がする。家族みんなで楽しめる。そんな「のらや」だからこそ、今以上にファンを増やして欲しい。
いずれにしても前途はけっして明るい話ばかりではない。だが「のらや」同様の飲食店は少なくないだろう。
そんななか「のらや」の未来は、飲食の未来をつくる試金石になる気がしてならない。その鍵を握るのは「のらや」ではたらく人たち。心配することはないようだ。今の「のらや」は、宇田さんを中心に一致団結している。
主な業態
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