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余命3ヶ月と宣告された僕が看護師さんと結婚した話。~ポジティブな人生を生きるということ~


余命宣告

24歳、夏。
僕は余命3ヶ月と宣告された。

「あー、これは腫瘍の形が悪いから多分悪性だね。君の年齢だと3ヶ月だね。」

先生がサラッと言うもんだから、こんなにあっさりと宣告されるものなのかと驚いたことを覚えている。

人生の終わりを宣告された時どんな感情になるかって。
僕の場合はドラマでよくあるような、涙が止まらなくなったり、暴れたりなんてのは全くなく。先生から待合室で待つように言われた時に(その時は外来受診は終わりかけで誰もロビーにいなかった。)夕日がものすごく綺麗だったのは印象的だった。
まさに世界が鮮やかに映るイメージ。

親に電話で連絡をすると親の方がびっくりしてて泣き始める。
今は僕も三姉妹の親をやらせてもらってるからこそ、その時の親の気持ちはすごく分かるが、その時は「何泣いてんのよ」と言った記憶がある。

因みに病院に行ったきっかけは数日前から右足の付け根あたりに違和感はあったものの、神経痛めたのかなと思うくらいでその時も犬の散歩をしてたのだが、散歩中に急に右足に力が入らなくなってコケてしまったところから。

結構大胆に、大袈裟に。
そして震える右足。
お構いなしに隣でう○こしながら震える愛犬。

そして、数秒後には震えも止まり歩けるようになったのだが、さすがにおかしいなと思い病院に直行。
そして余命宣告。
そう、僕の右足の大腿骨の中に大きな歪な腫瘍があったのだ。

セカンドオピニオンという選択

セカンドオピニオンという選択肢が余命宣告された先生から与えられ、町で一番大きな病院への紹介状を書いてもらうことに。

宣告を受けた季節がちょうど、お盆前ということもあり外来がお盆休み含めて2週間くらい開かないということ。

ここからが僕にとっても親にとっても地獄の2週間だった。

まず、僕は右足を地につけてはダメという生活。
右足の大腿骨はもうほとんど形がなく、首の皮一枚ならぬ、足の骨の薄皮で繋がってる状態。
もしもこの薄皮が剥がれたら激痛と共に、右足は人工関節まっしぐら。
これがなかなか制限ある生活だった。

のちのち聞いた話なのだが、親は僕よりも不安で仕方がなかったのか父は毎晩夜には部屋で泣き、母親は「味覚障害」になってしまってたらしい。

生活に制限はあったものの、親がそんな風になっていると気づかないくらい僕の気持ちは楽観的だった。ここまで僕がそんなに悲観的精神になってなかったのかというと「大丈夫という不思議な自信」があったからだ。「人間死ぬ時は死ぬ。死ぬ前に悲観的になってもな」と宣告されたからこそ思えたのだ。だからこそセカンドオピニオンを受ける立派な先生からは大丈夫という言葉しかないだろうなと本当に妙な自信が頭の中を渦巻いていた。

そしてお盆があける。
セカンドオピニオン当日。

僕は車椅子で大きな病院を移動しながらいろいろな検査を改めて受け、いよいよ問診。
僕もそれなりに緊張していたが、親は心の臓が口から出るほど緊張している様子で僕が親を安心させる言葉掛けをしていた記憶がある。

先生からの言葉は

「腫瘍を見てみて検査に出さないとはっきりと言えないが、多分『骨巨細胞腫』だね。中間悪性腫瘍と言うもの。しっかり腫瘍取れれば再発率も下がるから大丈夫だよ。余命宣告は解除だね」と。

親は今まで見たことがないような顔で安堵し、少なからず緊張していた僕の胸にあった僅かばかりのシコリも取れた。

ここからが面白く自由人である僕の親らしいといえばらしいのだが、余命宣告を受けてセカンドオピニオンまでの間は僕に対して「何か食べたいものある?」「何かしたいことある?」なんて聞いてきてたのだが、余命宣告一旦解除となった日から僕は手術までは安政にしておかなければいけない体だったが、親はどこかへと遊びに行ったりと普段通りの自由モード。
しかし、僕にとってはこれくらいが丁度よかったし、誰にも心配されないことがこんなにも自分にとっても苦しくないのだなと改めて感じる時間だった。

少しばかり日にちが経ち、手術前の検査入院へ。

そしてこの病院で僕は運命の人と出会うことになる。

運命の出会い

人生初めての入院ということでそわそわしている僕の元に
入院説明で1人の看護師さんがきた。

「こんにちはー。井上さーん」
年は僕と同じくらいか少し若いくらい、とても笑顔が可愛く陽気な印象。

看「井上さんの下の名前は〇〇〇〇(全部あ行というすごく噛み易い名前)ですねー。」
僕「はい、そうです。全部あ行で呼びにくいですよねー。」

好印象な年が近めの看護師さんだったので、根暗な僕のコミュニケーション能力を最大限まで上げて会話を繋ぐ。

看「確かに。じゃあ〇〇君(僕が普段友達から呼ばれているあだ名)でいいですね!」

満面の笑みの看護師さん。
男性諸君だったらわかると思うが

①年齢が近い看護師
②笑顔が可愛い
③あだ名でいきなり呼ぶというコミニュケーション能力

この3拍子揃ってる女性を前にしてドキッとしない男性はいないのではないだろうか。
もちろんここで入院説明を終えた彼女の後ろ姿を僕は目で追っていた。

そして手術当日。
彼女と初めて話して3日間経っていたがその間は僕の病室にはくることはなく少し寂しく感じるという。この時には完全に僕の心は持ってかれてるなと今となっては思います。

初めての手術でかなり緊張していた僕。
家族は自由すぎて手術前の面会に遅れるという。
緊張は解れぬまま手術台に乗せられ、3秒で麻酔にて意識を失う。

手術は6時間ほどかかる結構な大手術。
そして、手術中に人生初めての幽体離脱をするという珍体験をしたがその話はまた後日にでも。

無事手術は終わり、目を覚ました時には知らない天井というシンジ状態。
そして6時間も麻酔で寝ていたせいなのか、寝起きは最悪。
寝ても覚めても世界がぐるぐる回る現象が2日ほど続いた。

手術後3日ほどで普通の病室に戻ってきた時には、右足は牽引された状態。
なんとこの状態が少なくとも3週間は続くということで、お風呂に入れないのはもちろん、トイレもベッド上という人生初だらけ。
担当の看護師さんはいるのだが、一日一日でその日の担当看護師さんが変わるというシステムだった。看護師さんが来るたびに「辛いでしょう」と言っていたが、僕は人生の中でそんなにないであろう経験をさせてもらってるという感情の方が強く、なんなら日々ワクワクしてた。
看護師さんとの話や同じ病室になった方々のお話。この時間は楽しかったなと今でも思う。


「ベッド上で辛いでしょう」という看護師さんが多い中、
例の彼女は少し違った。

「空が綺麗ですね」と窓をあけ、風を病室に入れてくれたり
「今日は何をするんですか?」とベッド上での僕の生活に興味を示してくれたり。兎に角、笑顔ですごくポジティブな空気を醸し出している彼女は他の患者さんにもすごく声かけして慕われていた。

彼女との朝の検温という5分ほどの短い時間が僕にとって何事にも変え難い時間で心が躍り、夕方になると空を見ているふりをして窓の反射越しに、彼女が来ないかなと思う自分がいた。

入院して1ヶ月が経った頃の僕のベッド上は映画のDVDと雑誌、iPodとヘッドフォンが乱雑に置いてあるほどに自分の部屋と化していた。

そんなある日の夕方、僕がipadで好きな曲をヘッドフォンで聞いていると彼女がふと病室に現れた。満面の笑みで覗き込む彼女に驚き嬉しがる僕。
「何、聞いてるの?」と窓にもたれ掛かる彼女。
彼女の笑みと窓から見える夕陽が美しすぎて、時間が止まって感じた。
僕はハニカミながら「ジャックジョンソンだよ。」と答えると、彼女は嬉しそうに「えっ、私も好き!聞かせて!」と窓から体を離し、廊下から見えないところにしゃがみながら僕がつけていたヘッドフォンを耳に当て嬉しそうに聞いていた。何かいけないことをしているような、2人だけの秘密を持ったような感覚になった。

「ジャックジョンソン好きなら、コルビーキャレイも好きでしょ?」としゃがんだまま彼女は上目遣いで僕に言った。

「知らないかも」そう答える僕に彼女は答える。
「じゃあ今度CD持ってきてあげる」

最高かよ。

それから日勤という昼の仕事が終わる度に僕のところに現れるようになりお互いの好きな音楽や映画の話で僕らはだんだんと距離が近づいていっている感じがした。


近づく退院の日

先生や看護師さんたちのケアのおかげで、術後も順調。
いよいよ退院の日があと数日というところまでに。

そうです。
退院ということは彼女と会えなくなるということ。
僕は退院できる喜びというより、このままでいいのかという焦りに駆られた。

愛想の良い彼女は患者さんから連絡先を貰うことだって多々あるだろうし、どうするべきか
連絡先を渡すとしてもどういうタイミングで渡すのか。
僕は病室のベッド上で目一杯頭を働かせた。

色々と作戦を練る中、退院間近にもなり松葉杖で動けるようになった僕が病院内の売店に行くためにエレベーターに乗った時だった。
何人か乗ってるエレベーターの中に彼女の姿が。
エレベーターは売店がある階に行くまでに階途中で何回か停まるのだが、売店まであと数階というところで、彼女とエレベーター内で2人きりになった。

ここだ!と思った僕は上擦った声で彼女にこう言ったのだ。

「今度退院したらご飯でも食べに行きませんか?」と。

どれくらいの時間が経ったのだろうかこの時はすごく長く感じたのを覚えている。
そして売店がある階の数字がエレベーター上に映し出されると、返事が返ってこないことに恥ずかしくなり扉が早く開かないかとソワソワしている僕の背中から彼女の声が聞こえた。

「いいよ。」

扉が開いて振り返ると微笑みを浮かべる彼女が僕に恥ずかしそうに手を振っていた。

喜びに浸っていた僕の残されたミッションは連絡先を渡すこと。
しかし退院まで数日というのに彼女は病室に来るどころか姿が全く見当たらない。

前段でも話したように彼女は愛想がよく患者さんからも気に入られていたので、連絡先を貰うことは多々あるだろうし、ましてや他の看護師さんに連絡先受け取っているところを見られても色々と人間関係含めややこしくなるだろうなと思っていた。
だからこそ、彼女が1人で誰にも見られない時がいいなと。

そしてその時はやってきた。

退院前々日になんとナースステーションに彼女が1人でいたのだ。
僕はここぞとばかりに連絡先を事前に書いていたメモとコーラ味のチュッパチャップスを持って彼女の元へと向かった。僕に気づいた彼女は近づいてきてくれた。

「どうしたの?」

少しばかりの手の震えを押さえながら僕はメモとチュッパチャップスを彼女に渡した。

「これ、連絡・・・」

僕の言葉を最後まで聞かずに彼女は「ありがとう」と言いながらポッケにそれをスッと入れたのだ。僕の目にはそれが少しだけ悲しくうつった。やはり連絡先もらい慣れしてるなと。

「あー、ダメかなー。まあしょうがないか」という落胆と自分に対する慰めの気持ちのまま、いつものベッド上で窓越しの夜景を見つめていた。

その時、僕のスマホが夜の病室の天井を照らした。
そう彼女から連絡が来たのだ。

「お疲れ様。びっくりしたよ。アメだけかと思ってたのにまさか連絡先が入ってたとは!これからもよろしくです!」

丁寧ながらフランクな文字に彼女の性格が出ていた。
そんなことよりも嬉しすぎたよね。
正直、連絡先を渡したもののまさか本当に連絡が来るとは思ってもいなかったから。
僕は夜の病室で腕がもげるほどのガッツポーズをした。


最後に

そして、無事退院し、彼女と外でご飯を食べたりデートを重ねたりしながら
同棲が始まり、2年弱の付き合いから結婚。
結婚して12年ほど月日は過ぎ、今では子供もいたりと幸せな生活を送っている。

余命3ヶ月といわれた僕。
多分世の中的には最悪な宣告なんだろうけど、その時に「まだ死んでいないということは生かされていること。これがどれだけ幸せなことか。」気づいた僕は病と戦いながらも月日を重ね、今本当に最高の人生を送っている。
僕の拙い文章で少しでもワクワクと人生への楽しみ、希望を持ってくれる人がいると嬉しいです。

人生死ななければ最高だ。

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