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【論考】継続するコツはこだわらないこと

 2022年11月8日(火)。21時35分。

 はい。こんにちは。

 スプラトゥーン3を久しぶりにやっていました。名前を『kyomu』から『いのうえ かずね』に変更し、スプラトゥーン3の上でも井上さんが登場することになりました。52.ガロン使いです。それ以外は使えません。二つ名は『頭脳明晰の 鬼』。なんでこんなのがガラポンで出たのかは分かりませんが、なんか格好良いので使っています。ロッカーは相変わらず小さいままの、中身は空っぽ。そこから『kyomu』という名前にしていたのですが、まあ、どうでもよくなりました。いのうえかずねさんがスプラトゥーン3に参戦します。ランクは16の中途半端なイカです。主に塗りと敵を打ち倒すことに専念します。裏を取られていたら速攻でホーム側へ帰ってくるような、そんなイカでありたいと思っています。

 今日は皆既月食でした。19:30頃、外に出てXperiaで撮影したのですが、ぼんやりとしか映りませんでした。夜の遠距離の写真だとGalaxyがいいらしいです。しかし、買ったのはXperiaで、自分で選んで買ったので何も後悔していません。Xperiaの今のところ良いところは、悪いところがないということかなと思います。起動も早いし、自分にはこれで充分だなと思います。

 「こんにちは。年賀らせです。いやー公務員試験の季節がやってきましたね。え? きつい? 今日もかなりきつかった? 何もしていないし、疲れるようなことは何もしていないのに、ただ息をして生きているだけでへとへとになってしまった? ずっと座っておくだけでもかなりしんどい? まあ、統合失調症なのか、発達障害なのかは分かりませんが、そもそもの素質でそうなのか分かりませんが、井上さんは疲れやすい体質を生まれながらにして持っている運命ということでしょう。上手に付き合っていく……というのは周りの理解が必要かと思いますが、今のところ周りの理解もある程度は得られているのでしょう。しかし、まあ、トイレの個室でめまいに襲われ、一人で見えないところで目頭を押さえながらなんとか仕事に付いていこう、逃げてもいいけど辞めてはダメだ。効率が悪くても生産性が無くてもなんとか続けていこう、みたいな感じで勝手に休んじゃうときが多いみたいですが、そこに罪悪感を感じてしまうのは、まあ、仕方のないことだとは思いますよ。倒れるよりよっぽど周りに迷惑をかけずに済むと思うので。

 それよりも。

 公務員の正職員の話ですよ。

 あなたはなんか『ブログが続けられなくなるから正職員になって時間を取られるのは嫌だ』とか『研修で寮に入らなくてはいけなくなったような仕事に就いてしまったときには、ブログが強制的に終わるから嫌だ。今まで続けたことを途絶えさせるのは嫌だ』みたいなことを思ったり、時には口走ったりしているらしいのですが。

 過去にあなたが、あなた自身に対してこんなことを言っていませんでしたっけ。

 『何事も自分の思い通りにならないと考えて大人になったほうがいい』

 みたいなことを。

 例えば、公務員の正職員になったとして、ブログが続けられなくなったとして、それが嫌だ、という感情は『自分の思い通りにならないと怒る人』そのものの態度というか、子供っぽい態度だと思うのは私だけなのでしょうか。矛盾していませんか? あなたは『諦めが肝心だ』と言っていたのに、受かった後に『ブログを続けることを諦める』という判断はなぜできないのですか? 自分の生きた証を残したいから? 書くのが楽しいから? 諦めるっていう判断がなぜできないのかが、謎で仕方がないのですよ」

 ということを、らせさんに言わせてしまったのですが、よくよく、考えてみれば、僕のブログで散々『人生を諦める』ということを言ってきたのに『それを発言するブログを諦める』というテーゼを受け入れられない、というのは過去の自分への背信行為のような気がするのも確かです。

 ずっと変わらないものはない。ブログにしたってなんにしたって。

 続けてきたことをやめるというのは、実はかなり勇気のいることなのだなと思いました。続けてきた期間が長ければ長いほど。続けてきた頻度が短ければ短いほど。辞めてしまった後に思うのでしょうね。「今まで続けてきた意味は一体何だったのだろう。何を夢見てブログを書くという行為に、行動に移してきたのだろう」とか。「ブログを書くことで、特に統合失調症患者とか発達障害の方とか、もっと広く言えば精神障害の方とかに、『あなたは一人ではない』みたいなメッセージを発せられただろうか」とか。「何もなく生きている人に、統合失調症の重たい症状を持つ人がどのような考えで不可思議な行為・行動・言動に移る過程みたいなものを、伝えることは出来ているのであろうか」とか。

 結局、書いてきて救われているのは自分自身だったりするのかもしれませんが。

 何かを継続して行い続ける。それだけで自分の軸が定まり、特にブログなど、自分ですら忘れてしまうような統合失調症の症状を事細かに書き記しておくことは、自分に対しての、これから先の生きるヒントになっていたりするような、そんな気がします。

 自分はたいそうなことは出来ないから、文章だけのブログにしよう。最初からお金儲けを目指したブログはやめておこう。自分の思い通りにならないことしか経験したことがないから、なるべく努力はやめておこう。みたいな感じで始めましたが、そのゆるさ故にここまで続けられたのかなと思います。

 なんかブログが終わりそうな雰囲気ですが、まだまだ終わりません。大丈夫です。

 「ブログが終わりそうな雰囲気の文章を書き続けるのも良いのかもしれません。ほら、大半の小説とか最後の一割のクライマックスのためだけに九割の、正直つまらないなんでもない文章を読まなければいけないわけじゃないですか。そのクライマックスの一割だけを詰め込んだだけのようなエッセイも目指してみるのもありなのかもいしれませんね。西尾維新先生も『小説の終わりだけを集めた小説を書きたい』みたいなことを言っていたような記憶があります。起承転結の転や結だけを集めてみるは面白い試みかもしれませんよ

 終わる終わる詐欺。永遠なる閉店セール商法。そんなのもありなのかなと思ってしまいました。

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