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【論考:ツイッター】攻撃的なリプライが増えてきたときに「※これは私の感想に過ぎません」と自分のツイートにリプライを送ると、全ての批判を無力化することが出来るツイッターの裏ワザ。

 2023年5月23日(火)。21時37分。

 こんにちは。井上和音です。

 今、21時50分。

 パソコンで色々作業をしていたら遅くなってきました。早く打たないと眠くなってしまうよ。健康を害してしまっては文字だけのブログの意味がありません。

 正直に言って、もう今日はへとへとです。お風呂場でも何も思い浮かびませんでした。「本当に?」と聞かれても本当に何も思い浮かんでいません。不思議なことに幻聴もあまり聞こえませんね。

 統合失調症が治ったりしたのでしょうか。治っていません!

 ツイッターでも見てみましょうか。

☆☆☆
 「「これって私の感想ですが」を冒頭に持っていけばどんなツイートも叩かれることはない」……①

 「今日駅前で高校生の男女2人が話してて、外野の女子高生達と男子高校生達が「二人とも付き合ってるのー?」「ひゅーひゅー」とか騒いでる中で、中心にいる男女2人は周囲を完全に無視して2人だけの会話を続けていました。私は最高の青春を目撃しました。」……②
☆☆☆

 はい。本当に書くことが無いときにはツイッターの引用があったりします。

 ①のほうなのですけれど。ツイッターで「地方公務員は頑張っても給料が上がることもないから、力を入れずに効率よく仕事をしていこうね!」みたいなツイートが叩かれまくっている現状を見て、なんとなく思いました。

 私がツイートしたわけではないですよ。

 ただ、ツイートした本人さんが、「地方公務員全員がそういう面持ちで働いていると思われるのは、公務員全体の印象を悪くするから、地方公務員を代表するような大きすぎる主語を用いないでほしいです。」とかのリプライを受け取っていて。これってあなたも主語が大きいですよと思ってしまったのはまあいいとして。元々ツイートをしてしまったツイートの主さんが「立場をわきまえずに軽く発言してしまいました。これから発言には気を付けます。」と返事を書いていました。

 他にも色々な批判のリプライがありました。その全てに「軽率な発言でした。申し訳ございませんでした。」といちいち返事をしていたのです。律儀で素晴らしい対応なのかなとは思いましたが、このアカウントの方は二度と軽率な発言が出来なくなってしまうのでしょうか。

 それよりも、一昔前にインターネットで流行った、ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」を逆手に取ってしまえば、どんな発言をしても全ての批判を無力化出来ることに気が付きました。

 どういうことかと言うと、ツイートの冒頭に「これは私の感想ですが、(…)」を挿入してあげると、自分のツイートは何かしらの意見を言う主張から、ただのぼやきに過ぎない感想へとランクを下げることが出来るのです。なので、「あなたの主張は間違っていますよ」「あなたの主張は不愉快です」などのリプライに対して、「これはただの私の感想に過ぎません。意見ではありません。何か理論を押し通そうとする気持ちは一切ないのですよ」と、全てのリプライを無力化出来るのです。

 ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」は議論相手の主張の正確性を無力化させる効果がありますが、それを自分のツイートに用いることで「私は争う気はありません。ただの感想ですから」と自分の発言を最初から攻撃対象の発言からレベルを落とすことが出来る──もしくは、リプライによる攻撃対象から避難させることが出来る。ある意味で新しい発見なのかもしれません。

 「これは私の感想ですが、(…)」の使い勝手の良いところは、冒頭に書く、と先ほどは述べましたが、ツイートした後に徐々に徐々にあからさまな攻撃的なリプライが届くようになったときに、自分のツイートのリプライ欄に「※これは私の感想に過ぎません」とリプライを送るだけであら不思議。全ての赤の他人の攻撃的なリプライが、どんな主張であれ無力化されるではありませんか。「人の感想に何本気で攻撃的な批判を浴びせているのですか」という空気にすることが出来て、自分の発言の自由をしっかりと守ることが出来ます。「これ言っていいのかな悪いのかな」と迷った時にはつぶやきましょう。後から「※これは私の感想に過ぎません」と付け加えれば燃えることはありませんから。攻撃的なリプライにいちいち謝罪の言葉を述べて、自分の自由な発言の権利を抑え込むよりかは、自分の発言の自由度を担保しておくことの方が、よっぽど自身の心理的な安定は保たれます。何を話しても罰されることはないと思えることは、表現の自由を守るうえでも大切なことだと個人的には思います。

 ここに「個人的には」と入れている時点で私もこの「※これは私の感想に過ぎません」のテクニックを使っていると感じます。自分では無意識にやっているのでした。

 ツイートの②の話に移っていいですか。今日の記事は短めにいきます。夜も遅くて眠いので。

 ②は青春ですよ。少女漫画でも読んでいるかと思うほどの、理想的な青春の一シーンに出会いました。周囲の友人たちがはやし立てるも所詮は外野。私とあなたはそれくらいではゆがまないくらいの関係性を保っている。「この中心にいる二人は強いなあ」と思いました。「この二人は立派な大人になるだろうな」とも思いました。私の気分はノスタルじいですよ。抱けえ、抱けえとは思いませんでしたが。しかし、外野が囃し立てれば立てるほど、その外野の人々が漫画で言うところのモブキャラになっていき、その二人の特別感が際立っていきました。客観的に見れているので、この男女二人の青少年の際立った特殊感を感じ取ることが出来ましたが、当の本人たちはどうだったのでしょうか。私のように周りの空気ばっかり読んでしまう人間には想像も出来ない程の二人の相互の信頼感があったのかもしれません。羨ましいと卑屈になるのではなくて、こういう強固な人間関係を自分も築けるように頑張って生きていこうね、と自分への教訓としてその若い男女の見つめ合う姿から学びました。若い二人よありがとう。若い二人の未来に栄光あれ!

 Bonne nuit!

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