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人生、というか世界そのものがしょーもない
ストレスが強い。
物事が自分の思う通りになると思っている人が周りに多すぎる。
「ゴミ箱にブリーズライトを捨てるときは、ティッシュに丸めて捨てろ」と言われた。指示だ。私の行動を変えてくれという願望だ。
ティッシュがもったいないし、いちいち覚えていないだろうから「守れない。ゴミ箱に付いたらはがせばいいだけだ。何の問題もない」と言ったところ「発言は撤回しない。撤回しないからな。お前の手を握って強制的にやらせるわけにもいかんからな」と言って手首を握られ身体に触れられた。暴力かな? と思った。
自分がしたいようにすればいいと思う。
人の行動を変えようとするなら、明確な論理を以ってしてほしい。
納得したら行動を変えるが、納得できなければ行動を変えることはできない。
と、思っていたが。
私は統合失調症だ。
全てを諦めている。
死ぬのが怖くて実家に戻ってきたのだ。そういう論理が通じない実家だということは、重々承知の上で実家に戻ってきた。
神は私の自由を殺したかった。ただそれだけだ。
一生奴隷である。
自殺が悲惨だと思うのは間違っている。法的には、人を殺した場合よりも、重篤な障害を負わせ植物状態にした方が、慰謝料が多額出るように創られている。
死ぬよりも、生き続けるほうがよっぽどつらいのだ。
死ぬのが怖くて、死に続けるのが怖くて、生きているのに過ぎないのだが、生きるのはとてもつらいということがわかる。
命令で、人は変わると思っている人間が多すぎる。
しょーもないことで人を束縛したがる人が多すぎる。
自分の倫理観に合わないという理由だけで、人を変えたがる人が多すぎる。
とまあ、ここまでストレスが溜まっているわけだが、統合失調症は相変わらず続いているし、いや、今は治まっているほうかもしれない。最悪を常に考えなければならない。
話を変えよう。
ふと、思った。
なぜ、ストレスも何もなかった就活の時期に統合失調症の神秘体験をしてしまったのか。
2浪して大学に入らなければ、二年早く統合失調症になっていただろうか?
生まれてから決められたレールの上を実は歩いているだけなんじゃないかと思い始める。
なぜ、私は、正社員や面接試験を受けることなく人生を過ごしてしまっているのか。
正社員にでもなっていたら、無意味なことは一切しなかっただろう。なんなら今の時間も資格試験か何かの勉強に時間を割いているかもしれない。
何もしなくても、勝手にお金が入ってくる障害年金を受給する運命にでも立っていたのだろうか。
普通のルート(と言っていいか分からない)ならば、①新卒で会社に入る→②うつ病になり閉鎖病棟で数ヶ月過ごす→③就労移行支援センターなどで細々と暮らす。
のように、最初に発端となるはずのストレス的要因があるはずなのだ。
なぜ、無かったのだろうか。
運命? 命運? 人生は決められていた?
つまんない人生だが楽だ。しょーもない言い争いをして、今日も終わる。
人生、というか世界そのものがしょーもないのかもしれない。人は生きて死ぬ。それだけだ。資本主義も社会主義も戦争も何もかもしょーもないのかもしれない。
生きる価値が見当たらない人の、今日の一日がまた終わろうとしている。
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