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繁殖において、人間だけが非論理的に進化したのはなぜか。

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 タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ありません。(※話が逸れていったのでタイトルを変えました。元のタイトルは『初詣に行ってきました』でした。)
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 2023年1月3日(火)。12時11分。年末年始のお休み最終日。

 遂にきました最終日。時間って止められなくて早く過ぎ去るものですね。

 タイトルは初詣はつもうでと読みます。自分も漢字だけを見たら読めそうにないです。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 はい。なんで初詣に行ったくらいで記事を書いているのか、謎ですが。

 中学校の恩師と会いました。自分から話に行って、人違いでは無かったので良かったです。色々話した、とかではなく、ちょこちょこ何かを話したくらいでした。

 それと、もう一つ。

 小学校、中学校の同級生を見つけたのですが。はい。異性の方でしたが。残念ながら話しかけることは出来ませんでした。

 親っぽい人と一緒にいたっぽいので、さっさと行って話しかけでもすれば良かったのに。一生で一度の出会いのチャンスを逃してしまったかのような気がして、へこみました。

 LINEの交換とかしたかった。

 「こんにちは。年賀らせです。2023年になって、初めてひげを剃って、初めてコンタクトレンズを着けて初詣に行ったらしいですね。へえ。神社に同級生がいた。異性の。はあ。初詣を地元の同級生をナンパする場所と勘違いしていたのですね。初詣って地元の連絡の取れない友人たちとばったり会う、千載一遇のチャンスの場だったわけですね。そこで話しかけることができなくて、ちょっとへこんだから、この記事を書こうと思ったと。その人が既婚者だったらどうするんですか。というか、井上さんの年齢くらいのほとんどの女性は彼氏くらい普通にいると思いますよ。はい。なので、酸っぱい葡萄を眺める狐ではありませんが、元からなんの縁も無かったということで2023年も粛々と生きていきましょう」

 そろそろ本当に彼女が欲しい。

 その初詣で見かけた人、明るくて本当に綺麗な人だった思い出があるからな。ショックは大きいんだ。しかし、全然老けて無かったのは何でだろう。

 「別人だった可能性も高いです」

 小学校、中学校、高校あたりで人を好きになるという感情は、そこでなぜか終わってしまっている。マッチングアプリとかしないのも、その謎の感情のせいで、《《今から出会った人に対しては、全くと言っていいほど好きになることがない。》》自分のことを一方的に好きになってくれた、珍しい人もいたけれど、その人が言っていた通り、僕はその人に対して好意を持っていたかは、かなり怪しい。

 小学校、中学校、高校くらいの、性格とか、とりあえず、プライバシーがむき出しだった時代の異性間の交流が、一番本物の、「好き」と言える交流になるのではないかと本気で思っている。

 大人になったら、職業とか、貯金額とか、しょーもないことで結婚相手を選ぶようになるから、果たしてそれが幸せと言えるのかは、かなり謎な感じがする。

 その人の容姿に惹かれるとか。その人の性格に惹かれるとか。その人の賢さに惹かれるとか。その人の姿勢に惹かれるとか。

 大人の人達の、お金とか職業とか、その人に取って付けられたような肩書に対して、恋愛をしてしまうというのは、その人のことが好きなのではなく、その人が持っている看板に恋をしているだけで、それは人間の恋の根本的なところではないと思ってしまう。

 人間って動物の中でも、異性にアピールできる要素が、体では少ない貧弱な動物だから、肩書が人間の繁殖にあたっての一番の違いを見せつける要素となっている。特に人間の雄は何人か並べられても特に変わるところが見つからないというのが実際のところだ。

 人間の不思議なところは、異性にアピールするための器官が雄よりも雌のほうが発達しているという、奇妙な進化を遂げているところがある。大抵の動物は、雄がド派手な身体の一部の器官を、膨らませたり羽を広げたりして、雄が雌にアピールする。雌は地味な様相をしていることが多い。多くの動物にとって雌は、特に何もすることなく、雄が勝手に寄ってきて、繁殖のための大きなパフォーマンスをしている様子を見て、繁殖する雄を決める傾向が強い。というかほとんどの生物で──魚類だろうと、鳥類だろうと、爬虫類だろうと、両生類だろうと、哺乳類だろうと──そうなっている。

 しかし、残念なことに、人間は繁殖のための進化の過程で、男性は異性に対してのアピールポイントを失ってしまい、代わりに女性のほうが、容姿の大きな違いだったり、体型の大きな違いだったり。見た目に関しては男性よりも女性のほうが、異性に対してのアピールポイントが多いという謎の進化を遂げている。女性、というか、動物で言えば雌は、繁殖相手を選ぶ側なのに、なぜか雄よりも身体におけるアピールポイントが多くなっている。

 人間の雌は化粧もする。衣服にも雄よりも敏感に、丁寧に自らをコーディネートする。選ぶ側の存在であるにもかかわらずだ。ここらへんは進化論や動物学において、人間だけが持ってしまった、非常に奇妙な、ロジカルに反している進化を遂げている点だと、多くの本で指摘されている。

 ということは、まとめると、肩書のない人間の雄は、人間の雌と繁殖行為に及ぶ可能性が極端に低くなり、動物界の中でも残念なくらいに子孫を残す可能性が低くなっていくのだ。残念だ。人間に生まれた雄たちは肩書を必死になって求めないといけない。雌のほうは、体型など維持していかなければいけない。普通の動物界では逆のアピールポイントが存在しているのが、人間の残念な進化の仕方なのである。

 「とか言っちゃって。自分が女性からモテるどころか、出会いすら何もない日々に、ただ悲しく生きているのは『人間の進化の仕方が間違っていたからだ』みたいに論調したがっている、ただそれだけに見えますが。初詣で声を掛けることに失敗した、ただそれだけのことを今後引きずりそうですが、ええ。どうしましょうかねこれ。チャンスは一瞬で後悔は一生で。淡々と生きていくしかないですね。ところで、タイトルを変えましょうか。初詣から人間の進化の不思議なところに話が変わっていってます。人間の進化のほうをタイトルに入れましょう。来年も初詣はありますから、そのときに出会えた人に声をかければいいのではないのでしょうか。以上です」

 仕事が始まると寂しさとかどうでもよくなるのは確かなのだけれど。

 そろそろね。彼女くらいいないと。何か不安を感じるのですよね。

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