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いくら貯金をしても、結局は月の手取りと出費の差分からでしか安心することは出来ないので、貯金額と不安は特に関係性はない。

 2023年6月25日(日)。21時09分。

 こんにちは。井上和音です。

 YouTube Premium を聴いていて、Nightcore を聴いていたのですが、イヤホンを二回タッチして別の曲を聴いてみると勝手に Nightcore の元の曲が出てきました。

 やっぱり Nightcore って犯罪なのですかね。どうしようもなく申し訳ない気持ちになりました。ただ、Nightcore 版にも良いところはあるのです。ただ、無断でイラストを使い、無断で音源を使い、広告料等を貰っていいのかどうか。倫理的にどうなのでしょうか。倫理というか、なんというか。せめて「元から自分が創ったわけではありません。こちらのリンクを参考にどうぞ」くらいの記述はあってほしいなと思います。自分も note に音楽を上げたりはしますが、元の音源は自分が創ったわけではないとはっきりと書いており、広告料などはもちろん取りません。それでも罪悪感を感じてしまったら、もしかしたら、消すことはしなくとも下書きに戻して誰も見れないようにするのかもしれません。

 やっぱり自分は駄目ですね、としか言いようがありません。人の言葉を使って、人の引用を使って。ちょっと落ち込みました。数学ガールの作者の結城さんのツイッターでは、AIを使ったオリジナルのイラストを創っておりました。遥か遠くの人ですね。

 自分の立ち位置は何処なのですかと自分に問うてみても、金銭的に余裕が無かったためにようやく、20代も終わり、とまではいかないまでも20代の後半の後半に差し掛かろうとしているときに、ようやく YouTube Premium に参加して、ようやく WF-1000XM4 を買うことが出来ました。出発点が遅すぎる気がします。大学生くらいでこれだけの設備を投入出来ていたとしたら。統合失調症にもならなかったのではないかと悔しい気はします。

 明日からパートタイマーなのですが、大丈夫なのでしょうか。また労働をやりたくないとか思わないでしょうか。それとも休日に家に引きこもる方が自分にとっては苦痛なのでしょうか。今日もずっとごろごろ寝ていました。昼に書いた後もずっとごろごろ寝ていました。ただ、YouTube Premium である程度夢が叶ったなとか思っていたら幻聴で「実はもっと夢は叶うよ」とか聞こえてきて怖くなりました。なんですかね夢って。色々な古典文学の全集を買うことでしょうか。多分次の夢はそうなるのかもしれません。それさえ叶えれば夢の果てでしょう。しかしお金が。そう。お金。親近者が食事の用意や、外食代を出して頂かなければ YouTube Premium ですら解約しなければいけないのではないかと思うほどに、ごく当たり前にお金がありません。だってパートタイマーだもの。とはいえ、長くは働けない。休日だって読書もせずに折りたたまれた布団の上で思い頭を枕に乗せてごろごろしている。ずっとごろごろしていることが本来の自分の姿なのだとしたら。将来自分が貰えるお金が増えるという試算もどこからやって来た試算なのでしょうか。とらたぬですね。

 実は実家には二つ家があって。親近者には「私がそのうち欲しい」とか言ってしまっているわけですが、その空き家を本棚にしたいなというしょうもない夢があります。そこに全集を置いておいたりして、時間があるときに本を取りに行く。もはやセルフ図書館にしたいという馬鹿みたいな夢があります。地元の図書館には何もないですから。

 セルフ図書館を造るくらいだったら大学図書館の近くにでも引っ越せばいいのではと思いますが、なんか現実味が湧きません。どう足掻いても実家から出ることは出来ないだろうと思っています。

 それに世の中には大量に本があるわけですが、──音楽もそうなのかもしれませんが──本当に読むべき本や聴くべき音楽というのは限られているような気がします。勝手な主張ですけれども、前に言ったかと思いますが、○○入門と書かれている本は、それを読むくらいなら原著を直接読んだほうがいいのです。解釈は自分でしましょう、というか古典の解釈を自分ですること自体に読書の本当の楽しみがあるのではないかと思っています。

 自分の部屋に著名な方の書いた本はどれだけあるかと言うと、目の前にはマルクスの資本論がありますね。1と2だけ。これ実は分冊になっていて、Amazonで調べてみたのですが、全部で12冊ありますね。一冊2,000円するので、24,000円ですよ。あれ、案外高くないような気がします。ただ資本論が12冊も部屋にあると「お前、共産主義に目覚めたのか」とか変な不安を与えてしまいそうになります。24,000円を意外と安いと捉えているこの金銭感覚が危険なのかもしれません。ポケモンカードで金銭感覚が破壊されてしまったのでしょうか。それとも他の作者の全集を見て、相当な値段のするものもあるので、そういう本を見て一冊2,000円が安く感じてしまったのでしょうか。2,000円あれば、一回の外食くらいですかね。それなら食事のほうを切り詰めるというのが大学時代の私の考えだったのですが。この考えは危険なのですよ。

 なんのためにあなたは統合失調症になったのですか。なんのために統合失調症の経験をしたのですか。また閉鎖病棟隔離室に入れられて、コンサータ錠も貰えない地獄に一からやり直すのですかと問いただしてしまいそうになります。

 時間は戻らないけれど運命が戻ることは大いにあります。特に経験から学ばない行動を取ってしまう場合などではです。

 もうあなたは大学生ではないし、文学部哲学科でもないし、パートタイマーで一生食っていくような気がしているので無理に本を買う必要も読む必要も無いのですよ。語学を勉強する必要も無いのですよ。あ。いや、そうでした。今日も寝ていましたね。そうです。それで良いんです。それが井上和音さんなのです。

 多分だけど特にやることもなく、元気があれば本を読んだり語学学習をしたり《《するしかない》》のですね。他にやることも特に無いから。ゲームとかも特にははまりませんし。Pokémon Legends アルセウスにははまりましたが、それ以外のゲームには特にははまっていません。

 ゲームをするのも美しいグラフィックの最終回を見るためだけだと思っているほど図太いです。出来れば GRAVITY DAZE2を最終回まで持っていきたいのですが。やる気が起きません。誰かGRAVITY DAZE2の最後の場面を見せてくださいな。GRAVITY DAZE はPS VITA でなんとか最終回まで辿り着きました。あの真っ白な空間をもう一度 GRAVITY DAZE2でも見たいのですが。これって一生叶わない願いなのでしょうか。

 最近は古代ギリシア語とかラテン語とか読んでみたいと思ってしまっているのですが、部屋に本がありません。1週間後の自分はぽんっと買っていそうで怖いですね。今も買いそうな気がします。なんか噂によるとラテン語を学べば英語とフランス語が繋がって見えるようになるとか聞いたことがあります。大学で授業は受けましたし、ラテン語の参考書も持ってはいました。実家に戻る際に問答無用で廃棄されてしまいました。古代ギリシア語の先生は特に分かりやすかったです。ただ古代ギリシア語そのものが格変化などが多すぎて途中でギブアップしました。あの古代ギリシア語のアルファベットの羅列が読めるとなると他の人からしたら相当特殊な人間になれるのではないかと勝手に思っています。

 趣味が危険な気がします。いつまで経ってもお金が貯まらない人生になりそうです。ただ、いくらお金が貯まっていようと、月の手取りが出費を超してくると結局は不安の坩堝るつぼさいなまれてしまうだろうことは容易に想像できます。結局いくら貯金があったところで、大事なのはその時その時で貯金が増えていくか減っていくかの差分でしか人の不安はぬぐえない心理的な本質があります。将来にかけてはパートタイマーの時給をいかに上げるかしか不安から解放される未知はないのかなとか思ってしまいます。

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