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【私小説:閉鎖病棟シリーズ2】希望ではなく、報酬を与える。

 このお兄さんは一体だれ──。

 「こんにちは。井上和音です」

 そう言われて、戸惑った。井上和音は絶対に誰にも言ってはいけない、封印した名前では──。

 だって僕が、井上和音を創ったのだけど。名乗ったのだけど。

 「失礼。本名を名乗ります。井上和音@統合失調症・発達障害ブロガーです」

 ブロガー? まさか。未来から。やって来た。僕ですか。

 句点が多いのは、現実を否定したい証拠。

 世界がぶっ壊れた後に、こんな非日常的な出来事が起こったら、たまったもんじゃないのだ。

 本当に、たまったもんじゃないのだ。

 「喋っていいですか」

 「……」

 「喋れないよね。分かるよ。今、どこらへん? 最近何があった? 大丈夫だよ。俺には本音で言っていい。未来からやってきたから、お前の行動の全てを知っている。大丈夫。医者の前では『特に何もありません』を繰り返して、とにかくこの牢獄みたいなところから早く脱出させてくれって思ってるもんな。医者も看護師も全員敵だもんな。全員が何者かに操られているような。全員が自分以外の何かを知っているような。摩訶不思議な出来事が次々と起こるもんな。お前にアドバイスは与えたくないけれど、まあ、同じ性格の持ち主だ。一つ言うなら試験は捨てるな」

 試験は捨てるな──。それは僕を唯一生かしている意味のようにも取れる。

 この世は試験だ。そう思わない限り生きている価値はない。というか、この理不尽に何も対抗する手立てがない。

 何かしらの報酬が、無いと分かっていながらも、報酬が無くては、この世が試験だと思わなければ、この苦痛に対する恩賞が無ければ、到底納得できない。この仕打ちには。

 ところで、井上和音@統合失調症・発達障害ブロガーと名乗ったということは未来でも僕は何かしらの文章を打っていることになるのか。

 自分は看護師さんから大人っぽいと言われた。決して大学生には見えないとも言われた。恐らくは、シェーバーすら持ってくることを禁じられて、ぼさぼさに生えた無精ひげが、自分を大人に見せているようだという結論というか、看護師さんとの会話の中では冗談のようにその話は終わらせた。

 30歳を超えているとか、言われたんだけど。

 大人っぽい考え方をしているのは、事実のような気はする。

 普通の大学生なら、気が動転して、決して未来のことなんか考えることもできなくて、騒ぎ喚いて、入院期間を長くしてしまうだけだと思うから。

 じっと耐えている。そろそろ本音を話そうか。

 「テレビの西郷せごどんで、西郷隆盛が熱発をしてお嫁さんが迎えに来るシーンがあったんです。その後、自分も熱発して。『あー。やっぱりこの世は何か未来予測というか、世界そのものと自分の脳がリンクしてしまった』とか思っていたら、来たのはお嫁さんではなくて、兄弟でした。お嫁さんが来るような都合の良い未来はきませんでした。それが昨日の出来事です」

 「まだそこらへんなら、……いや、言わないでおこう。言っていいか。結構入院生活の先は長いぞ。どんなに健康な振りをしても、決して精神科医は入院措置の解除を早めようとはせずに、ちんたらちんたら、徐々に徐々に、デイケアとか散歩とか入れてくる。まずは、今寝るときに鍵を掛けられる、その閉鎖病棟の隔離室を完全に出るまで耐えるのがミッションだ。そこから先は、女性とかのほうが話が合うから、女性とかと話していたら、意外と入院生活も悪くないって思えるから」

 そうなんですか。

 それ以外の感想しかないのだけれど。

 「あと、遠い将来になるが、コンサータも貰えるようになるぞ」

 「!?」

 「本当だ。今、俺はコンサータを飲んでいる。しゃっきり朝も起きれるぞ。しかし残念なお知らせも一つある。コンサータを貰う頃には、もう一人暮らしに耐えることが出来なくなって、実家に帰った後の話だ。実家に帰って一年間、就労移行支援事業所に通って、その夏くらいにようやくコンサータを貰うことができるようになる。ずいぶん長い旅路の果てにコンサータはある。地元の医者を説得するのがとても大変だったが、コンサータは貰っているよ。4年半後の俺は毎日飲んでいるよ」

 4年半後。ということはまだ20代か。

 なんで実家に帰るのだろう。一人暮らしのほうが自由で絶対に良いと思うのだけれど。

 就職先とかどうしているの。熊本に就職先とかあるの?

 「あと、試験に耐え忍んだことへの恩賞も、ある」

 「は?」

 嘘でしょ。『やっぱりこの世界は試験で、耐え忍んだらみんなから祝福されて、日本を背負うようなスパイか、もしくは、最初のほうにテレビで言われた、王になるという謎のメッセージが、本物になる』とか、あるの? え? 4年半後の僕はそんなにすごいことになっているの。

 「障害年金って言うんだけどな。発症して1年半後に国から給付金が与えられるようになるんだ」

 障害年金。受け入れたくはないけれど、自分はやっぱり自分がおかしいということで障害者として認定されてしまうのか。

 障害者になるのか。

 「おいおい。そんなに悲観しなくていいぞ。障害年金は全ての障害者に貰えるわけでもないんだよ。国が認めた『こいつは重症だ』って人だけが貰える、ある意味で特別な給付金制度なんだぞ。認められるんだよ。国から」

 「重症って。……どれくらい重症なのですか」

 「精神障害者保健福祉手帳ってもんがあるんだけど、最初に貰う時は2級でもらう。4年半後の今でも、2級のまんまだ。1級、2級、3級ってあるけれど、その中の2級だ」

 つまりは。ああ。絶望しかない。この試験は。この暗号のような毎日は。4年半後も一生続いていくのか。

 国から認められた給付金がなんだというのだろう。
 
 あの楽しかった、就活の日々は楽しかったで終わってしまう。最終的には社会人にもなれていないのか。

 実家に帰ったってそういうことだろう。

 「がっかりさせるかもしれないが、パートタイム労働者で働いている。お前は頭が良いから『パートタイム労働者の時給制で働いても意味なくね』とか思ってしまうだろうけれど、残念ながらパートタイマーで働いている。もう3年目だ。正職員になることはまず無理だと思っている」

 熊本で働いている姿をまるで想像できない。自転車しか乗れない僕が、一体どこのパートタイマーで働いているのだろう。思い出したくもないが、あの田舎のどこで働いているのだろう。求人票なんてないんじゃないの。

 「まあ、がっかりすんなや。ちなみに自分の車も持つことになっているぜ」

 「!?」

 マジで? 運転しているの? 『加害者にならない唯一の方法は、自動車を運転しないことだ』とか定義していたはずなのに、車を運転しているのか。

 「それに、最近だとコンタクトレンズに変えたな。ほら。違和感あっただろ。未来のお前だって言ってるのに眼鏡をしていないのとか。仕事上仕方なく、とかじゃなくて、ただのおしゃれ感覚でコンタクトレンズにしてるんだぜ。あと、ポケモンカードとか集めてるよ。アクリルスタンドも特注品を買って、部屋に飾っているんだ」

 4年半後の僕は、むしろ幼くなっているのでは。

 ポケモンカードって。確かにお金に困ってないなら欲しいけれど。

 ってことは、あんまりお金には困ってなさそうな気がする。

 多分、自己実現とか努力とか、この試験だらけの世界で将来の僕は辞めてしまったのかなあとか考えてしまう。

 逃げてしまったんだろうね。きっと。

 「パートタイマーって言っても、結構過酷なんだよ。西陣郵便局で年末に年賀状の仕分けのバイトに出たことあるじゃん。そうそう。最終日風邪とか言って休んだやつ。あんな感じのを毎日やる羽目になる」

 逃げてなかった。え? 普通逃げない? 今の僕ならば即効で辞めてしまいそうなのだけれど。

 「親。厳しくて、倹約家じゃん? 逃げることもできないのよ。結局障害年金もあって、パート代もなんだかんだ貰えて、貯金は思ったよりも出来てるよ。4年半前の自分と大きく違うところは、勉強することを辞めたことかな。自分に正直になったよ。小説を書くのも諦めた。だけれど、文字を紡ぐことだけは諦めることは出来なかった。まあ、暇だったってのもあるけれど。今、10ヶ月目だけれど毎日何かしらを書いているよ。文字数も百万字を超えてしまったよ。こんな趣味ができたのも、まあ、お前が頑張って小説家になろうとして、キーボードの打ち込みとかを訓練してくれたおかげなんだけどな」

 4年半後の僕は、趣味、と言った。結局小説家になることもなく、文章でお金を稼ぐことも無く、ただのパートタイマーとして実家でぬくぬくと生きているらしい。

 それで良いのだろうか。

 というか、趣味で文章を書いて10ヶ月も続くんだ。4年半後の僕は今の僕とはだいぶ変わってしまったかのように思われる。

 そうなんだ。楽に生きてそうな、目の前のお兄さんに対して、楽に生きてるんだなあという感想しか持てなかった。

 まあ、試験だらけの世界で、まだまだ生きているんだ。なんだかんだ生きているんだ。

 「なんとなく、ほっとしました。この暗号だらけの謎の試験も報われる時が来るんですね」

 「正確には試験は続いていくんだけどな。いちいち反応するのが馬鹿らしくなってくるんだ。あと、夜にも眠れるようになるぞ。まあ、高校時代に戻ったかのような人生になったくらいに思っておけばいいさ。じゃあな」

 そう言って。目の前のお兄さんからのメッセージは唐突に消えていった。

 全ては僕の妄想に過ぎなかったからだ。

☆☆☆

 2022年12月30日(金)。21時53分。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 「はい。こんにちは。年賀らせです。もうこれあれですね。私たちはあとがきですね。【閉鎖病棟シリーズ】よく続きを書いてくれました。いやあ、書こうと思えば書けるもんですね。小説っぽい文章になっていますよ。終わり方は適当ですけれども。一応言っておくと、もちろんこの作品はフィクションです。統合失調症患者は往々にして『未来が分かる』とか言ってしまいがちですが、未来の自分が語り掛けてくることなど絶対にありません。あったら逆に閉鎖病棟の入院期間が延びるだけです。これはフィクションということで楽しんでくれたら幸いです」

 あと、統合失調症患者の閉鎖病棟のなかのリアルな心情とか、読み取ってもらえれば幸いです。未来の自分が語りかけてくることはありませんが、「医者にも本音を話せない」「閉鎖病棟や隔離室からいつ出られるかも分からないし告げられないために、健康な振りをすることがよくある」というところもリアルに詰め込んであると思っています。

 これからも過去を振り返るノンフィクションっぽいフィクション【閉鎖病棟シリーズ】が書けていけたら幸いです。
 

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