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【論考】自分の立場や意見をプロフィール欄などで言葉で固定する人は、自分の都合のいい情報しか信じなくなるため危険

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 タイトルはNHKBS「昭和の選択」という番組を観ての感想です。
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 2022年9月21日(水)。21時32分。早く寝なければいけないが、打たなければいけない。何を打ってもいいというわけでもなく、ただ、「昭和の選択」という番組に感動したために、その感想なりを打とうかと思っている。

 忘れないために名言の数々を書いておこうと思う。

 「日本の追認、追認、と担当者が決めたことをただ印鑑を押していくだけの稟議制りんぎせいは、自分の立場とか考えて、余計なことをしたくない、面倒くさくなるという考えから、特に考えることなく印鑑を押していくが、最終的に取り返しがつかないほど大変な出来事に発展していく危険性をはらんでいる」

 「情報を集めるというのは、自分達の立場にとって不都合な情報を集めることが最も大事。何が敵で何が味方かという立場に立つと味方の意見のように、自分達の都合の良い意見しか見ることが出来なくなってしまう」

 「歴史上にたまに現れる、子供でも分かるのに間違った判断を導いてしまう人は共通点があり、狭い視野しか持たず常識を持たない頑張り屋の人」

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 書くことが無くなってしまった。後は「昭和の選択」をNHKオンデマンドで見てください。ではなく。

 今日のテレビは特に面白くなかった。テレビのクイズ番組はなぜ小中学生を対象とした問題しか出さなくなったのか。NHKnews7もなぜ不都合な情報は流さなくなったのか。元々だったのか。分からない。

 なぜ、ホームラン記録がかかっている村上宗隆選手の所属しているヤクルトの試合はどこのテレビ局も放送することができないのか。不都合な真実は誰も流さない。DAZNに加入する以外に生で観ることができなくなりました。テレビが資本主義に敗退しますよ。テレビでインターネット配信しか見なくなる人がたくさん出ちゃいますよ。

 報道1930もなく、今日はテレビを観ない日かと思っていたら「昭和の選択」が流れてきた。ドイツ駐在大使の大島浩と言えば、かつて「ヒトラーに陶酔した男」(というタイトルだったような)という番組で取り上げられた人物だった。

 昭和の選択で松岡洋右が日独伊三国同盟を結んだ裏腹にはヒトラーと松岡洋右の食い違ったそれぞれの思いがあったことを初めて知った。

 ヒトラー「(日本がアメリカを引き付けてくれたらイギリス戦線も戦いやすくなるぞ)」

 松岡洋右「(日独伊三国とソ連が不可侵条約を結べばアメリカが相手でも戦えるかもしれない)」

 3ヶ月後。1941年6月。結果として、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破り独ソ戦開戦。1941年12月。ヒトラーの思惑通り日本は真珠湾に先制攻撃を行いアメリカと開戦。日本は日中戦争に敗北し、太平洋戦争に敗北し、弱体化して丸裸になった日本に対して日ソ中立条約をソ連が破り、北方四島を侵略。

 大事なことは、当時の日本で自分の立場が揺らいでまで責任を以って考えて発言する人がいなかったこと。枢密院の権利を手放したくない人であふれてしまっていたということ。軍部のクーデターが相次ぎ自分の保身に走った人が大半であった事。

 ここで稟議制の追認の恐ろしさが強調された。良く分からんけどとにかくヨシということが偉い人たちの中で起こってしまった。国の行く末を左右した。

 ナチスドイツと日本との思惑の違いに気付けなかったことに関しては、「自分たちにとって都合のいい情報しか見なくなった」ということがあげられた。

 情報に関して、敵とか味方とかではなく、自分の立場からして都合の悪い情報に関しては一切見なくなったこと。話は逸れるが当時のメディアでも都合の悪い情報は国民に対して一切流すことは無かった。

 そして、ここからは話が逸れまくるが、現代に戻り、人それぞれに色々な主張をしている人がいる。「韓国が悪い」「ネトウヨは嫌い」「ブサヨがまた何か言っている」「あの弁護士がまたテレビで何か言っている」「全てはアベのせいだ」「国葬に対するテロ行為を許していいのですか」「原発反対」「辺野古への基地移設に反対」「自民党は宗教団体に犯されている」「ウクライナも悪い」「ロシアが一方的に悪い」「岸田さんは何もしていませんね」「東京オリンピックに反対」「○○という事件を見ていると……(毎日自分の意見をツイッターで投稿してたくさん共感を得られることに喜びを感じる人)」「やっぱり韓国は……(毎日自分の意見をツイッターで投稿してたくさん共感を得られることに喜びを感じる人)」

 言論の自由は守られているが、言論に対して支持が無ければ人は快感を得られない。支持をたくさん得られれば「(自分は正しいことを言っているんだ。この方向でつぶやけばいいんだ)」と考えることが無くなる。ましてや「(何か物事が起こったときに自分の考えを持たずにロボットのように反対意見だけを言えば、穿うがった意見を言ったみたいで簡単に共感を得ることができるぞ)」というように、考えることが無くなる。

 立場がコロコロ変わるのは、言論を考える上で、何が正しいかを考えている点で、良いことだと思いますよ。というか、そうであってほしいです。自分の主張を言うことを生業としている人にとって、立場がコロコロ変わることは信頼の失墜の引き金になりかねませんが、立場がコロコロ変わる勇気を持つことで、ちゃんと考えている人であり続けることができます。お金は得られないかもしれませんが、言葉というものは立場を固定し、反対意見をとにかく言えばいいと思考まで固定してしまう凝縮剤のようなものなので、言葉にはそういう力があるということを念頭において、色んなことを発言し、自分にとって都合の悪い意見にも耳を傾けましょう。

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