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アカデミー賞美術部門総なめの理由を解説。『哀れなるものたち』映画評

ヨルゴス・ランティモス監督の最新作『哀れなるものたち』。2024年の第96回アカデミー賞で主演女優賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、美術賞の4部門を受賞した話題作だ。

本作を鑑賞したとき、細部までこだわり抜かれた完璧なビジュアル、すなわち映画美術と衣装と映像美に目を奪われた。それも、ただ美しいだけではないのだ。物語と関連した意味がある。

なぜ本作は、映画美術、衣装、メイク、ヘアスタイリングというアカデミー賞の美術関連部門を総なめできたのか。その理由を解説していこう。


ベラの飽くなき好奇心を表現した、圧巻の映画美術と衣装

主演女優賞を受賞したエマ・ストーンが演じるベラは、胎児の脳を大人の女性の身体に移植されて生まれた人造人間だ。

生み出したのは、天才外科医のゴッドウィン・バクスター。通称ゴッド。まさに創造主というわけだ。ゴッドは実験として、鶏の身体に犬の頭を移植した動物など、自ら創り出した異形の生物を複数飼っている。ベラを生み出したのも、彼の知的好奇心ゆえであり、マッドサイエンティスト的なキャラクターといえる。

本編の序盤、ベラはまだ言葉もほとんど喋れず、食べ物で遊んだり、皿を割ったりして遊んでいる。物語が進むにつれ、ベラは成長していく。彼女の行動原理は好奇心だ。

彼女の好奇心は、育ての親であるゴッド譲りでもあるし、子どもなら誰もが持っているような類のものでもある。

だが、身体が大人のベラは、周囲の大人、とりわけ男達から大人の女性同様の視線を向けられる。中身は子どものベラは、そうした視線に対し、純粋な好奇心でストレートに反応していく。

ベラは弁護士のダンカンに誘われ、外の世界への好奇心で駆け落ちのような形で旅に出る。旅の先で彼女は好奇心の赴くまま、刺激的な海外の街を楽しみ、ダンカンとのセックスに興じる。

このように、ベラは自分自身の身体に生じた快楽への好奇心からセックスに強い興味を示すし、外の世界への好奇心から冒険に強い興味を示す。ベラの魅力とは、この飽くなき好奇心に突き動かされている点にある。

本作が傑作である所以は、ベラのこの飽くなき好奇心を映画美術と衣装で完璧に表現しきっている点にある。

3人のデザイナーが創造した、ベラが見て感じるままの世界

アカデミー賞美術賞を受賞した本作の映画美術は、街並みごと巨大なセットで作り上げられている。手掛けたのは、ジェームズ・プライスショーナ・ヒースという2名のプロダクションデザイナー。

ヨルゴス・ランティモスが「ベラが見て感じるままの世界を創造すべきだと思った」とメイキングムービーで語るように、好奇心に突き動かされたベラが目にする驚きに満ちた外の世界を、壮大な映画美術によってベラの主観のままに表現することに成功している。

美術同様、アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した本作の衣装。手掛けたのは、衣装デザイナーのホリー・ワディントン。ベラの衣装はどれもオートクチュールのようで、美しい。現実離れしたベラの衣装によって、本作がリアリズムにもとづいた歴史映画ではなく、架空のヨーロッパを舞台にした寓話であることが観客は即座に理解できる。

美術と衣装でベラの好奇心を表現している一例として、リスボンでのシーンをあげたい。

ダンカンに連れられた旅で、最初に訪れるリスボンの街並みは綺羅びやかだ。衝撃のシーンでスタートするリスボンでの日々から、画面はモノクロからカラーに変わる。リスボンの街を散策するベラが、露店でエッグタルトを食べたり、喧嘩をする男女を目にするシーンなどは見ていて、ハラハラとドキドキを感じる。

ベラの衣装はブルーのドレスやイエローの装飾を身に着けていて、初めて目にする外の世界への興奮を表現しているようだ。このドレスについて、『GINZA』のインタビューで、ホリー・ワディントンは次のように語っている。

続くリスボンのパートでは、ベラは自由となり、初めて本当に世界を経験します。見たことのないものばかりに囲まれて、絶対的にハイになっている。喜びが爆発したような衣装にしたくて、カラーパレットにも彩りを添えました。

https://ginzamag.com/categories/interview/438297

美術はディテールにまでこだわり抜かれている。例えば、ベラの寝室ひとつ取っても「魚や海藻が描かれた天井」や「耳のついた鏡」、「街の景観が縫い込まれた寝室の壁」など、独特のデザインが施されている。エマ・ストーンはメイキング動画の中で、これらのディテールを紹介しながら「ベラの寝室で暮らしたいわ」と語るほどだ。

本作で映画美術が大きなウェートを占めていることは、エンドロールにも現れている。というのも、エンドロールの背景に映るのは、本作の映画美術を映したカットだからだ。それらの写真は、あたかも静謐で力強い抽象画のように美しい。映画美術への敬意を示したようなエンドロールとなっている。

ベラを縛る、3人の男との闘い。寓話として描かれるメッセージ

本作を語る上で、物語を通して寓話的に描き出されるメッセージについて言及せざるを得ない。それは、ベラが女性を縛る様々な呪縛と闘い、女性の自由・自立を勝ち取っていくというフェミニズム運動そのものを描いていることについてだ。

ベラは大人の身体を持ち、子どもの頭脳のまま生まれた。そのため、早い段階から大人の世界で暮らしていくが、「こうでなければならない」というバイアスとは無縁のまま、極めてフラットな価値観を持った女性として描かれている。これは彼女の身体ゆえでもあるだろうが、育ての親であるゴッドの影響も強いように思える。

ベラは常に自らの好奇心のままに行動する。そのため、何者にも縛られない自由を求めていく。彼女は自らの好奇心が抑え込まれることに、強く反発し闘い続ける。

彼女を縛るもの。はじめは婚約者のマックスだった。外の世界を見たいという好奇心を、結婚によって抑え込もうとしたマックスに反発し、ダンカンと駆け落ちし、冒険の旅に出る。

ダンカンによる冒険とセックスで、ベラの好奇心が満たされると、次の好奇心の対象へと向かう。それは知性への好奇心だった。

豪華客船で出会った老婦人と青年との哲学的な対話を繰り返し、本を読むようになることで、ベラは知性を手にする。ダンカンはそんなベラを、疎ましく思い、また、自由奔放すぎるベラへの支配欲、嫉妬心を露わにし、強く縛り付けとする。

知性と自立心を手にしたベラは当然、反発する。船を降りたあとに訪れたパリで、娼婦として自ら金を稼ぎはじめたベラにとって、もはやダンカンは必要なかった。

終盤、ロンドンに戻ったベラを縛り付けようとするのは、予想外の人物だった。この相手との闘いの結末は、まさに寓話と呼ぶにふさわしい。ネタバレがすぎるので言及しないが、ぜひ本作を観て確かめてもらいたい。

こうして見ていくと、ベラが男性を必要としない強い女性として、女性の自由を勝ち取っていく、というタイプのフェミニズム運動を描いていて、決して新しいわけではない。だが、ひとつの寓話として力強いメッセージを持っていることは確かだ。

付け加えるなら、本作の絢爛な映画美術と衣装は、現実離れしていて、誰も史実通りの19世紀ヨーロッパだとは思わない(当然、人造人間なんて生み出されていないし、蒸気機関で走るロープウェイなど走っていない)。

寓話を寓話として見せる上でも、映画美術と衣装が有効に機能しているのである。

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