パワースポット

近年パワースポットという言葉を、よく耳にするようになりました。実際に行かれた方もいらっしゃることでしょう。


パワースポットと呼ばれている場所の多くは、たとえば、豊かな自然に恵まれている場所、水の流れる場所、水の湧き出る場所、火山など、言わば大地のエネルギーにあふれたところ。気分をリフレッシュさせてくれたり、疲れた心を癒してくれたり、あるいは元気パワーをチャージしてくれるようなスポットです。あるいは、そこへ行けば願いがかなう、運が向いてくる、ツキに恵まれる、などと信じている人もいるかもしれません。


パワースポットという言葉は、和製英語のようです。パワースポットに相当する場所は、古くから世界中に存在しています。たとえば有名なギザのピラミッドやイギリスのストーンヘンジ、ナイアガラの滝といった多くの世界遺産もパワースポットとされていて、たしかにその壮大で荘厳な景色には、神秘的な力が秘められている気配があります。また、エルサレムやメッカ、ルルドの泉などのようにさまざまな信仰と結びついた聖地は、大昔から今日まで、その強力なパワーで多くの人々を引きつけています。


 パワースポットへ行けば、必ず病気が治り、願いがかなう、あるいは金運がよくなる(?)というような即物的・即効的な効果がすべての人にあるかどうかはわかりませんが、日本で言えば、八百万の神様が宿る自然豊かな場所は、深い緑や新鮮な空気に満たされてマイナスイオンも豊富です。そこが温泉なら、心身を清めてくれると同時に、肩こりや腰痛解消も期待できるかもしれません。しかもそこを訪ねて行ったり(軽い運動)、美味しいものを食べたりすることで、体も心もリフレッシュする、と「感じる」のは、ほんとうにその通りだと思います。


江戸時代の日本では、パワースポットは弥盛成地(いやしろち)と呼ばれ、神聖な場所、清浄な場所、神様が宿る場所・草木が勢いよく育つ場所、とされていました。そしてそういう場所の多くには、ご神木があり、神社や祠が建てられています。


 現在、日本でパワースポットと呼ばれているものの多くは、伊勢神宮や出雲大社を始め、全国津々浦々の神社の境内などに点在しているのですが、「この岩がパワースポット」「この木がパワースポット」などと指定したのは、後世の霊能者や占い師と呼ばれる人、あるいは旅行会社などだったりするではないかと思います(ちなみに注連縄が巻かれているご神木を撫でたり、抱きついたりする人もいるようですが、昔の人は、木のパワーを注入するどことろか、「触ると祟りがある」と恐れていました)。


 パワースポットブームは、まったく悪いことではないと思います。どんなことがきっかけだとしても、たくさんの人が神社に参拝してくれるのは嬉しいことですし、自然に囲まれた神社の境内を歩き、神様に語りかけ、そして自分を見つめる静かな時間は、あなたにたっぷりとプラスの「気」をチャージしてくれると思います。


 しかし、せっかく神社に来ているにもかかわらず、お参りもせずにパワースポットを探し歩き(時には立ち入ってはいけない場所にも入り)、パワースポットとされる石や木に触れ写真撮影し、キャーキャー騒いで、あとはさっさと帰って行く、という残念な人がいるのも事実です。


 神社の境内というのは聖域です。自分の身を清めることもせず、ずかずか入り込み、参拝も形式的に済ませパワースポットに直行。証拠写真を撮って自分の思いさえ遂げたら満足して、はい、さようなら…。そういう人たちの願いを、神様が聞き入れてくれるとは、私にはどうしても思えないのです。
あなたの次にそこを訪れる人もいるのです。ごみを捨てるなどはもちろん、私利私欲でその場の「気」を汚し、石や植物など、訪問時の記念品を持ち帰るようなことをしては絶対にいけません。


 どのパワースポットが何に効果がある、などとインターネットショッピングのように見比べ、たくさん回ればご利益があるとばかりに、スタンプラリーのように、リスト片手にせっせとパワースポット巡りをするのも果たしてどんなものだろう?と思います。


 たとえガイドブックには載っていなくても、そこにいることで心が洗われ、癒され、新しいプラスの「気」が満ちて活力が湧いてくる―このように感じられる場所があなたの本当のパワースポットです。毎日の生活の中で、あるいは旅先で、偶然そういう場所に出会えたなら、あなたはそこへ「行った」のではなく、「導かれた」のかもしれません。


 逆に、たとえば富士山のように、そこがどれほど有名なパワースポットであったとしても、もしもあなたが何も感じないのなら、そこはあなたにとってのパワースポットではない、ということだと思います。


 そしてあなたがもし、つらい現実に押しつぶされそうになり、かなえたい夢を持っているならば、「まずはパワースポットを探そう」ではなく、「運は自分の力で変えられる」という気持ちを持つことです。「神様お願い」と、最初から他力本願に走るのではなく、まずは自分の生活習慣や環境を変え、行動を変え、動き始めることが大事です。その行動の先にこそ、パワースポットがあるのだと思います。


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