昭和50年代前半、ある映画狂の日常~田中小実昌アンソロジー『ひるは映画館、よるは酒』~
『ひるは映画館、よるは酒』(ちくま文庫、2023年。以下、本書)
何とも羨ましいタイトルの本を見つけ、思わず手に取った。
本書は直木賞作家の故・田中小実昌氏の著書を再編した、ちくま文庫オリジナルアンソロジーシリーズの一冊。
主に昭和50年代初め(1970年代半ば)に週刊誌等に掲載された氏の映画館巡りの日々を綴ったエッセイをまとめたものだが、巻頭には昭和30年代、巻末には昭和末期の同様エッセイが何篇かずつ収録されており、戦後日本の映画文化の移り変わりも感じられるという、映画ファンにとって興味深い内容になっている。
本書の中のコミマサセンセイは、タイトルから来る読者の予想を遥かに超えて、ホントに毎日毎日飽きることなく、朝遅く起きて自転車・バス・電車を乗り継いで都内(時には外国)の映画館を巡り(直木賞を受賞した時も映画館にいたそうな)、夜は酒場に行って果ては『チンボツ』。
そうじゃなければ、あてどもなく、ただただ路線バスに乗っている(シリーズの中にはそれだけを集めた書籍(たとえば中公文庫の『ほのぼの路線バスの旅』とか)もある)。
サービスデーを狙って、仕事帰りにちまちまと都内の映画館に行き、その後は明日の仕事のことを気にしながら控えめにしかお酒を呑めない私からすれば、とても羨ましい生活だ。
本書を読んで驚くのは、昭和50年代前半の東京では、今からは想像できないくらい多くの名画座があるほど映画館と庶民の日常の距離が近く、そして何といっても、その日常の中にポルノ映画が至極当然にあった、ということである。
昭和45年に地方の田舎で生まれた私がハナを垂らして外を走り回っていた-というのも2023年からすると隔世の世と思われるかもしれないが-ガキの頃、東京ではこんなに多くの名作&駄作が見られたのか(田舎のガキの映画といえば『東映まんがまつり』か『ドラえもん』くらいだった)。
そして、その頃の酒場はこんなにも活気があったのか(もちろん当時ガキだった私は、自分がこんな酒飲みになるとは思ってもみなかったわけだが)。
おもしろいことに、本書、映画館の料金だけでなく、館内で食べる弁当(今では考えられないが持ち込みが当たり前だった)の他、どういう交通機関を乗り継いでその運賃がいくらだったか、まで、キチンと書いてあるという、当時の東京の公共交通機関や物価などについての史料的価値さえ有しているのだ。
それにしてもすごい3本立てだが、そうした映画を電車やバスを乗り継ぎ観に行くコミマサセンセイ、映画を見終われば、日が高ければ次の映画館へ、日が落ちてれば酒場へ向かう。
本書を読むと昭和50年代って安く映画が観られたんだなぁと驚くのだが、『丸の内ピカデリーでの「スーパーマン」(日本公開1979年)(料金1300円)』(「朝日のさす電車」)ということも書いてあって、ロードショーだとやっぱり高いよなぁと納得しながら、しかし、2023年現在の一般的な料金が1900円程度ということを考えると、そこから40年以上経って600円程しか値上げしていないということに、それはそれで驚いてしまう(ちなみに、本書所収の1988(昭和63)年のエッセイには、『シネマサンシャインの映画館ビル(略)一番館は『ラストエンペラー』(略)映画料金は一般1500円』とある)。
今の観客は指定回のみの鑑賞で入れ替え制が当たり前だと思っているが、昔は結構、一度映画館に入れば1日中いられた。そこでは、映画を観ててもいいし、寝ててもいい、タバコは吸い放題、アベックはイチャイチャし放題、もちろん弁当を食べてもいいが……
笑おうが泣こうが、声援を送ろうがそれも自由。
だから、行くところがない人や、会社に戻りたくない(サボリの)人や、金のない人がわんさかいた。
観てるほうがそれだから、映してる方も推して知るべし。でも、観客は大らか(本気で映画を観ている一部の人は激怒しただろうが)。
何を言っているのかわからないかもしれないが、昔のフィルムは映画1本分を1つのリールに巻けないものが多かった(時間が長くなると、それだけフィルムが長くなるから)。だから映写技師が、2台の映写機を使って映画を中断させることなく続きのリールに切り替えていた。
コミマサセンセイが書いてるのは、本来はその映画の続きを流すところを、映写技師が別の映画の続きのフィルムを流してしまった、ということである。
これは、1965(昭和40)年に書かれたエッセイだから少し時代が違うと思いきや、昭和50年代でも複数のリールであることを意図的に使った上映が当然のように行われていたらしい。
指定回のみ・入れ替え制が当たり前の現代からは全く意味不明の電話だが(まぁそれ以前に、今のデジタルデータ化された映画は途中から始める方が大変かも)、しかし当時の名画座では当然のことらしく、コミマサセンセイは『まことに親切な電話だった』と続けている。
それにしても、当時は(コミマサセンセイの趣味はさて置いて)ポルノ映画が日常的だったんだなぁ、と感心してしまう。
たとえば『アルプススタンドのはしの方』(2021年)、『愛なのに』(2022年)、『銀平町シネマブルース』(2023年)[*1]など、今や売れっ子の城定秀夫監督もポルノ出身で、『銀平町~』で脚本を手掛けるいまおかしんじ氏もポルノ映画監督の第一人者だったりと、2023年でもまだそういう監督はいるが、私が初めて東京に来た1980年代末には、そんな監督ばかりだった(日活ロマンポルノ出身者も多かった)。
だから、池袋の文芸坐(現・新文芸坐)などで頻繁に行われていた、有名(になった)監督のオールナイト特集上映とかになると、上映作品のうちの1本はポルノ映画だったりした(夜が深くなった頃にやるので、寝ている人も多かった)。
それはさておき……
引用していて心配になった。本稿、18禁にならないだろうか?
以前の拙稿で、三浦しをん著『小暮荘物語』を「セックスがテーマだ」と連呼していたら、いつの間にか勝手に「18歳以上向け」になっていたことがある。
本稿、昭和50年代に、ちゃんと街の映画館で上映されていたポルノ映画のタイトルを並べた直木賞作家・田中小実昌センセイのエッセイを引用しただけなので、ご勘弁願いたい。
昔は、映画好きが集まってあれやこれやと映画談議に花を咲かせていた。
何でもそうだが、談議がそのうち議論になり論争になる……というのが常で、そこに酒が入ると、さらに肉体的争議に突入してしまうというのも常だ。
このメンツで『取っ組み合い』というのは容易に想像がつき(その前に私は『総あたりのケンカ』で吹いた)、それは別に映画談議に限らないのではと思っていたら、コミマサセンセイはこう続けているのであった。
本書を読むと、映画と酒の生活を送るコミマサセンセイを羨ましく思うが、それよりもなによりも、日常に映画館がある社会というのが、とても羨ましい。
目的があってもなくても、街を歩いていると映画の看板が目に入り、面白そうだと思えば入り、さほどでなくても「時間つぶしに観てくか」と入れる気軽さが羨ましい。
お目当ての映画ではなく併映されている映画の方が面白かったり、記憶に残ったりする偶然の出合いが羨ましい。
……と、何やら結びへ至る美麗字句を若干陶酔しつつ並べながら、ふと、「映画館に限らなければ、今の方がずっと日常に映画がある社会ではないか」と気づいた。
目的があってもなくても、スマホをいじっていると映画のコンテンツが目に入り、面白そうだと思えばクリックし、さほどでなくても「時間つぶしに見てみようか」と思える気軽さ……
確かに映画は、(「コンテンツ」として)昔より遥かに身近になった。都市も地方も関係なく、誰もが最新作から過去の名作まであらゆる作品を見られる現代。
では、映画館は不要になったのか? 映画館で観る魅力はなくなったのか?
指定回のみ・入れ替え制になって、お目当ての映画を決めてから映画館に行くという行為が当たり前になった現代、映画館に行くことに面倒さを感じるようになった。
しかし、だからといって魅力がなくなったわけではない、映画館でしか得られない魅力がある、と信じている。
その根拠は、何度か拙稿でも引用した、映画監督の西川美和氏が最初の緊急事態宣言の時に「Movie Walker」に寄稿したメッセージだ。
この文章に映画館の魅力が詰まっている。私はそう思っている。
補足
*1 映画『銀平町シネマブルース』の舞台である名画座「銀平スカラ座」は、ミニシアター系の「川越スカラ座」をほぼそのまま使っているが、終映後のゴミが異様に多いとの指摘に、城定監督は『ピンク映画館をイメージしてしまった』と釈明した(2023.01.28 @川越スカラ座 先行上映回)。
*2 当時の酎ハイについては、下記拙稿を参照されたし
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