なぎら健壱著『東京酒場漂流記』にみる「酎ハイ」の歴史

以前の拙稿で、なぎら健壱著『東京酒場漂流記』(ちくま文庫、1995年。以下、本書)から「どじょう鍋」に関する文章を引用した。

改めて本書をパラパラと読み返してみて時の流れを感じてしまったのだが、それもそのはずで、単行本の出版が1983(昭和58)年(文庫化は1995年)だから、紹介されるエピソードは、もう40年以上も前のことになるのだ(ちなみに、手持ちの文庫本の奥付を見ると2000年6月(7刷)となっているので、私が読んだのは2000年代に入ってからだろう)。

たとえば、今では当たり前になったどころか、若者はビールより好むとも言われている「酎ハイ(≒サワー)」が、『今、東京の一杯飲み屋では、酎ハイを置いていない店はまず無い程のブームである』と紹介されている。

この「山利喜」の酎ハイは昔通りの酎ハイである。(略)
さて昔通りの酎ハイとはなんぞや、というと、別に大そうなことではない、焼酎とタンサンが個々に出て来る、それだけのことである。(略)
だから本来なら、焼酎を注文して、別にタンサンなり、何々なりを頼むものなのだが、今、酎ハイをメニューにしているほとんどの店は、店側が調合をしている。

今現在、店側が調合したものが当たり前に出てくる「酎ハイ」は、約40年ほど前には目新しいモノだったらしい。

さらに今「酎ハイ」と言えば、オーソドックスに「レモン酎ハイ(≒レモンサワー)」を思い浮かべるが、本書でなぎら氏は『いつの間にかレモンに取って代わられてしまった』と書いている。

では、『レモンに取って代わられる』前の酎ハイには何を入れていたか?

焼酎の飲み方の中で、梅割りと言えばかつてはオーソドックスな飲み方であり(略)

つまり「梅」だったわけだが、この「梅割り」、どうやら現在の我々が想像するようなものではないらしい。

梅割りは元々焼酎を飲み易くするために考えられた飲み物であり、コップに焼酎を入れた後に、少量の梅のエキスを注ぎ込むだけの簡単なものである。この梅のエキスというのは、梅の香りのする薄茶色の液体で、梅酒に似ているが、梅酒とは似ても似付かない、合成香料、合成着色料等を調合して作った合成シロップのことである。極稀ごくまれに本当に、梅酒で焼酎を割った梅割りを出す店もあるが、正統派の方が、合成の梅エキスを使った梅割りの方というのも、おもしろい。

おもしろいと言えば、「梅割り」の提供の仕方も、何だか妙に活気があった昭和の猥雑さが出ていておもしろい。

お兄さんが、常に焼酎の入っている一升ビンと、梅のエキスの入ったビンを二本持って歩き回っていて、お客さんから声がかかると、心得顔で手際良くコップに注いで回っている。このとき「濃くしてくれ」とか「薄くしてくれ」とか言えば、それに応じて、エキスの量を調整してくれる。

今や「アルコール飲料」と言えど、どんどん本格志向になり、飲み方も平和に安全にスマートになり(昭和の頃には上述のような猥雑さがあったり、『一気』なんて曲がヒットしてしまったりするくらい、みんな乱暴な飲み方をしていたなぁ)、「飲みニュケーション」と呼ばれるようになった「宴会」すらいよいよ敬遠される時代になった。

お酒も飲み方も、時代に合わせて変わっていくのは必至であり、これからもどんどん「変化」「進化」「深化」していくだろう。
今の若者たちが読んでいるグルメ雑誌やネット記事を数十年後の人たちが読んだ時、どんな驚きがあるのだろう。
とても興味がある。


※本稿にて「酎ハイ(サワー)」と書いたが、その違いについてWikipediaでは、こう説明されている。

チューハイとサワーは、おおむね同一のものとされているが、店舗によっては無糖の炭酸水で割ったもののみをチューハイと呼び、香料や甘味を含む割り材を用いたものはサワーと区別する例もある。実際の製品では、商品名に「サワー」の文字と製品種別として「チューハイ」の文字の両方入れたものがある一方、カルピスサワーのように名称が定着している製品では「チューハイ」の文字は入れないものがあるなど、取り扱いはさまざまである。

Wikipedia「チューハイ」



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