2023年8月14日~20日 酒。読書。観劇。それだけ(夏休み後半)

私の「note」のプロフィールは、『酒。読書。観劇。それだけ』とそっけない、というか投げやりな一文だが、それで充分説明に足りている。

たとえば、2023年8月14日から20日にかけて……

2023年8月14日

京都から帰京。

20時の新幹線のチケットを取っていたが、台風7号の接近に伴い、早めに帰京。

夕方、「本来ならまだ京都で飲んでいたはずなのに」という心残りがあり、結局「家飲み」を始めてしまう。
京都の飲み屋で高校野球が放送されていたことを思い出し、「酒のアテ」に映画『アルプススタンドのはしの方』(城定秀夫監督、2020年)を見る。

2023年8月15日

朝からテレビは台風情報ばかり。
ひどくなる前に京都から帰ってきた私としては、そういう報道を見ると、何だか複雑な気持ちになってしまうので、テレビをつけず、まとめて配られた不在中の取り置き新聞を、ぽつぽつと読む。

興味を引いたのは、朝日新聞8月11日付朝刊に掲載された、「対話 できていますか」というタイトルの、哲学者・永井玲衣氏の「哲学対話」に関するインタビュー記事だ。

-永井さんが開く哲学対話はどんな場ですか。
「どこかで考えたいなと思っていたことや普段当たり前だと思っていることについて、集まった人と一緒に『なんで?』と問い直し、じっくり考えます。場所は選ばず、誰でも参加でき、哲学の知識も必要ありません」
「私は参加者から『問い』を出してもらって、みんなで考えを深めていきます。『正しくないことって悪いことなのかな』とか『向き合うって何だろう』など、誰かに言われてみれば不思議な問い、あるいは『なんで雑草って抜いちゃうんだろう』というような、一見雑談のように見えるけれども、実は『なぜ異物を排除したいと思ってしまうのか』という重要なテーマが隠れている問いなどが出てきます」
「哲学対話では約束事をします。『よく聞く』『自分の言葉で話す』『<結局、人それぞれ>で終わらせない』といったものです。『わからなくなってもいい』『良いことを言わなくてもいい』場所だと伝えます。それは、私たちが普段とらわれている『大丈夫じゃなさ』の裏返しでもあります。つまり、私たちは、しゃべりすぎているし、急ぎすぎているし、良いことを言わないといけない、と思っている。ある意味それをひっくり返すのです」

朝日新聞 2023年8月11日付朝刊

『私たちは、しゃべりすぎているし、急ぎすぎているし、良いことを言わないといけない、と思っている』-つまり、私たちに不足しているのは「聴く力」である、と。
そう考えたのは、たまたま今読んでいる、現代思想2023年5月臨時増刊号「超特集 鷲田清一」の巻頭で、永井氏と哲学者・鷲田清一氏が対談しているのを思い出したからだ。
『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』(ちくま学芸文庫、2015年)などの著書を持つ鷲田氏に永井氏はこう語る。

哲学をするときに使う身体の器官というと、すぐに「頭」だとなってしまうところを、鷲田さんの「聴く」、つまり「耳」が前景化してきたのは衝撃でした。哲学をすることは、耳を使うことなのだと驚いたのは今でも覚えています。(略)「聴く」とは何かという問いは、しぶとい問いですよね。

現代思想2023年5月臨時増刊号「インタビュー 哲学を汲みとる」

折角の夏休みなので、普段は19時くらいからしか飲めないお店で、開店時間の明るいうちから飲みたい(京都でさんざんやってきたのに、東京でもやっぱりやりたい)。
自宅からだとそれなりに時間が掛かるし、人気のお店なので一応電話で予約しておくことにする。開店前だが、普段なら電話が通じる時間につながらない。どうやら、お休みのようだ。
時期はお盆。敗戦の日(「終戦」という表現は都合良すぎないか?)。
きっと、帰って来たご先祖様が『ここらで休肝日にしたらどうだ』とおっしゃっているのに違いない。
ご先祖様の忠告に従い、酒を控え、早めに寝る。

2023年8月16日

11:20 映画『猫と、とうさん』@シネ・リーブル池袋

シネ・リーブル池袋は池袋パルコのレストランフロアの一角にある。
朝11時のレストランフロアは、お盆休みなのか夏休みなのか、家族連れや若い女性グループ(こういうレストランフロアで、男性だけのグループをほとんど見かけないと思っているのは私の偏見か?)で賑わっている。
終映日が近いのと、水曜日が映画館のサービスデーで割引になるのとで、映画館はそれなりの入り。

約90分の映画を観終わり、池袋駅から地下鉄で有楽町へ。

14:00 酒蔵レストラン宝

東京国際フォーラムの地下にある「酒蔵レストラン宝」でランチ。
店員さんが驚いた顔で迎えてくれる。
「ランチなんて珍しいですね」
珍しいのではなく、初めて。

ランチでも当然ビール

美味しくいただき、東京交通会館にある三省堂書店で最近文庫化された中島たい子著『かきあげ家族』(光文社文庫)を購入。

2023年8月17日

朝刊によると、昨日、京都の送り火は無事に行われたそうだ。

13:00 東京医科歯科大学

かかりつけの歯医者でもできる治療なのだが、私の不注意で大袈裟なことになり、遂には大学病院に行くハメになってしまった。
治療は1時間もかからず、滞りなく終了。
夏休みの昼間に都心にいるので、折角だから普段行かないところに足を延ばしてみることにする。

14:00 「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館

平日ではあるが、夏休みということもあるのか、若い人を中心にそれなりに鑑賞者がいて、チケットブースに短い列ができている。
ほとんどの人は、「デイヴィッド・ホックニー展」に入っていくが、私は「あ、共感とかじゃなくて。」(2023年7月15日~11月5日)を見る。
(以降の写真は、撮影が許可されていた作品です)

SNSの「いいね!」や、おしゃべりの中での「わかる~~~」など、日常のコミュニケーションには「共感」があふれています。
共感とは、自分以外の誰かの気持ちや経験などを理解する力のことです。
相手の立場に立って考える優しさや思いやりは、この力から生まれるとも言われます。
でも、簡単に共感されるとイライラしたり、共感を無理強いされると嫌な気持ちになることもあります。
そんな時には「あ、共感とかじゃなくて。」とあえて共感を避けるのも、一つの方法ではないでしょうか。
この展覧会では、有川滋男、山本麻紀子、渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)、武田力、中島伽耶子の5人のアーティストの作品を紹介します。彼らは作品を通して、知らない人、目の前にいない人について考え、理解しようとしています。
安易な共感に疑問を投げかけるものもあれば、時間をかけて深い共感にたどりつくものもあります。
それを見る私たちも、「この人は何をしているんだろう?」「あの人は何を考えているんだろう?」と不思議に思うでしょう。
謎解きのように答えが用意されているわけではありませんが、答えのない問いを考え続ける面白さがあります。
共感しないことは相手を嫌うことではなく、新しい視点を手に入れて、そこから対話をするチャンスなのです。

チラシ記載の紹介文

「あ、共感とかじゃなくて。」というタイトルから、どうしても共感を拒否しているように感じてしまうが、そこでハタと気がつく。
「共感って何だろう?」
チラシには、『自分以外の誰かの気持ちや経験などを理解する力』と書いてあるが、武田力の作品の中に一般の方が「共感」について思ったことを書いた付箋紙が大量に貼付されているものがあり、その付箋紙の中に『共感はいらない。理解してほしい』といった意味の言葉が書かれているものがいくつかあって、だから一般的には、「共感」と「理解」は対極にあるものだと"了解"されているのではないか。

日本語における「共感」という言葉は、英語の「シンパシー」を指すことが多い。しかしチラシが云うのは、明らかに「エンパシー」だ。

エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
(略)
つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業ともいえるかもしれない。

ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
(新潮文庫)(太字は引用者)

つまり、本展覧会は「シンパシー」と「エンパシー」を分離させようという試みでもあるのではないか。
分離させる(さらにその上で互いを接続する)のは「思考」と「持続」ではないか。
チラシの冒頭の『SNSの「いいね!」や、おしゃべりの中での「わかる~~~」』で求められるのは「即時の反応」(シンパシー)であり、そこに「思考」を挟む余地はない。
さらに、「思考」で最も大切なのは「すぐに結論を出さないこと」ではないか。安易な結論に依拠することなく、「思考」を「持続」し続ける。
それは、つまり「対話」を意味するのではないか。

-永井さんが考える対話とはどんなものですか。
「対話って、話すとか語るとか、言葉がポンポン行き交うものだと思われがちですが、『きき合う営み』だと思います。相手の言葉の奥行きと、そこにあるものを確かめていく道のりです。誰かの言葉に耳を澄ますだけでなく、どういうことなんだろう、なぜここで言いよどんだのだろうと、考え確かめていく。どうしてですか、と尋ねる『訊く』もあるはずだし、共に悩むなど時間的なものを共有する営みでもあるはずです。その態度は広い意味で、暴力に抗する営みであると考えています」

-コロナ禍でオンライン化が加速しました。対話の形は変わりましたか。
「ツイッターや掲示板など、ネット空間で行き交う言葉はとても視覚的です。声をきき合う、体全体を使うような営みとは対照的に、断片がパスパスとすごいスピードでやりとりされていく。奥行きを確かめにくい空間になっていると感じています」

朝日新聞 2023年8月11日付朝刊

永井氏のインタビュー記事は、記者の言葉で結ばれている。

朝日新聞デジタルの新言論サイト「Re:Ron(リロン)」を4月に立ち上げた際、「対話」をコンセプトの一つに掲げた。様々な現場で活動する永井さんのインタビュー記事を配信したところ、多数の共感とともに、対話に苦労した経験から「理想論ではないか」という意見も寄せられた。

それは本当に「理想論」なのか?
……などとグルグル考えているのだが、本稿はそれを意図しない。
だから、本展覧会については、稿を改めたい(できないかもしれないが……)。

この展覧会のチケットで「MOT(東京都現代美術館)コレクション」展も鑑賞できるということで、「皮膜虚実」展(2023年7月15日~11月5日)へ。

入るといきなり……

「被爆世界:廃棄物処理容器」(三上晴子せいこ、1993年、MOT再構成)

一見、空港の手荷物検査場のベルトコンベアに乗る、乗客の荷物のようだが……

スーツケースの中に、それぞれ医療用あるいは工業用の保存容器や防護用の手袋等の装具が詰め込まれています。容器の表面やあちこちに貼られたラベル、付属のタグ等に記された「放射性廃棄物」「実験用動物:感染症廃棄物」「バイオハザード」などの文字や、取扱いの注意を促すマークが物々しい雰囲気を醸成します。空港の手荷物検査場を思わせるあつらえは、容器の中の物質が境界を超えて旅(移動)する可能性を示唆しています。地球上を覆う規模のパンデミックを経験した30年後の現在においては、いかに密閉保護しようとも染み出るように広がっていくウィルスを否応なく連想させ、三上の先見性を伝えます。

本作紹介文

写真撮影OKということで、多くの鑑賞者が熱心に写真を撮っていたが、スーツケースの中身が何なのか、気づいた人はどれほどいただろうか?

美術館を出て、新百合ヶ丘の「土と青」という飲み屋さんに電話するも、満席とのことで、調布の本店に電話。こちらは問題無くOK。

本日の移動のお供は、昨日購入した『かきあげ家族』。
ひたすら読む(結局、帰宅するまでに読了)。

17:00 土と青

折角の夏休みなのだから、明るいうちから飲みたい!

まだ明るい(そして暑い)外を眺めながらのビールは格別
海辺にバイクを止めて一服する「黒牛」?

20:30 自宅

アパートの上階に住む、(このアパートの)大家と家飲み。
以前はしょっちゅうだったが、コロナ禍以降では初。
色々話し込んで、気づいたら日付が変わっている。大家を見送り(といっても、同じ建物なのだが)、片付けもそこそこに寝る。

2023年8月18日

19:00 TMNライヴ・フィルム『TMN final live LAST GROOVE[5.19]』@立川シネマシティ

「シネマシティ ライヴ・フィルム・フェスティヴァル2023」と題して1週間、Rebeccaなど1980年代のアーティストのライブ映像(シアター用にリマスターしたもの)を上映していた中の1本。
TMN(TM Network)のデビュー10年での「プロジェクト終了」を宣言した1994年の東京ドーム 2daysの最終日(前日の8月17日には、初日のライブが上映された)。
私はこの2days、東京ドームにいたし、その後発売されたVHSビデオは2daysとも擦り切れる(比喩じゃなく最終的に本当に再生できなくなった)まで見た。
2019年に今回のリマスター版がTOHOシネマ系で上映された際も行った(あの時は、2days連続上映で、休憩を入れて6時間くらい映画館にいたのではないか)。

初日の上映はパスしても、この最終日が見たかったのには理由がある。

ビデオには収録されなかった「Get Wild '89」と、不完全版「You can Dance」の完全版が見られるからだ。
前者が収録されなかったのは、前日のビデオに「Get Wild」が収録されているから……ではなく、「You can Dance」が不完全なのも含めて、B'zの松本孝弘氏が「そこにいなかった者」にされているからだ(「You can Dance」が不完全で不自然なのは、彼のパートがギターソロだけでなく演奏丸ごと全部抜かれているから)。
それが見られて嬉しかったのはもちろんだが、今回改めて、映画版のサラウンドミックスの凄さに驚いた。特にギターについては、(私の感覚的に)左側真上から葛城哲哉氏、右側の少し引いたところ(スクリーン寄り)に北島健二氏という定位(恐らく両方の音がかぶらない配慮)になっていて、これがとても気持ちいい。

たっぷり150分、満足して映画館を出る。どこかで飲んで帰ろうかとも思ったが、立川だと酔って帰ると(乗り換えが)面倒と思い直し、そのまま帰宅。家で、ライブを反芻しながらビールを飲んで寝る。

2023年8月19日

先日、大家と飲んだ時のお酒が残っているので家飲みすることにする。
つまみを買いに行くついでに近所の書店で物色。
速水健朗著『1973年に生まれて』(東京書籍、2023年)を購入。

「酒のアテ」に、先日途中で放り出してしまった映画『さんかく窓の外側は夜』(森ガキ侑大監督、2021年)の続きを見る。

続いて、青山真治監督の遺作になってしまった映画『空に住む』(2020年)を見るが、連日の飲み疲れ等で途中で寝落ちしていた。

2023年8月20日

昨日寝落ちして最後まで見ていなかった『空に住む』を最後まで見る。
これで、8月10日の終業時間後から足掛け11日間の夏休みが終わった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?