TMN(TM Network)『EXPO』

1990年代、「TK」として時代の寵児となったプロデューサーとしての小室哲哉氏については、自身の口からも、また関係者やファンからも様々な情報が伝えられ、(当時の)一般の人にもある程度のイメージがあったと思う。
彼は確かにカリスマプロデューサーだったが、ご存じの通り、TM Network(またはTMN)のメンバーであった。

そんなわけで、久しぶりに読み返してみた、藤井徹貫著『TMN EXPO STORY』(ソニーマガジンズ)から、個人的にグッきた箇所を引用してみたい。なお、本著は上下巻の構成となっているが、下巻の方が面白かったので、以下はその文庫版(1994年第2刷)から引用する。

藤井徹貫著「TMN EXPO STORY」

本書は、TMNが1991年から1992年にかけて行ったコンサートツアー「EXPO」のツアードキュメンタリ―である。
ただし、藤井による前書『TMN the PAPERBACK "RHYTHM RED" TOUR DOCUMENT』(ソニーマガジンズ)が、藤井自身が同行者(書き手)として登場する、TMNの1990年-1991年の「RHYTHM RED」ツアーの完全なるドキュメントだったのに対し、本書は、藤井自身の代わりに"萩原銀八"なる架空の新米マネージャーを登場させた「物語」として書かれている。
そのため、どこまでが”本当に起こったことか”については私にはわからない。それを承知の上で、本書から引用していくことにする。

主な登場人物

本書の主な登場人物は以下のとおり。

TMNメンバー
 小室哲哉:キーボード
 宇都宮隆:ボーカル
 木根尚登:ギター、ピアノ

 葛城哲哉:ギター
 阿部薫 :ドラム
 浅倉大介:マニピュレーター、シンセベース

TM Networkの「プロデューサー」小室哲哉

小室哲哉はTM Network(TMN)においてもプロデューサー的役割を担っている(「EXPO」のツアーパンフレットが見つからなかったので、代わりに見つかった「4001DAYS GROOVE」(1994)のパンフレットを見ると「ALL PRODUCED by TETSUYA KOMURO」とクレジットされている)。

小室はTMNのメンバーとしてではなく、プロデューサーの立場でもコンサートを管理している。たとえば、1992年1月9日 神戸文化ホールでのこと。

コンサート終了後、リハーサル前の穏やかな空気は消えていた。
葛城 「なんかグルーヴしないんだよ」
そのミュージシャン本人しかわからない苛立ちだ。演奏の質そのものは問題ない。しかし、ステージで完全燃焼できなかった自分を悔しがっていた。
葛城 「ノリ切れなかったなあ」
それは葛城哲哉個人のレベルではなくバンド全体として、各自が感じていたことだった。
小室 「音的な問題でしょ」
阿部 「だと思う」
小室 「じゃあ、今夜ちゃんと話そう」
(略)
葛城 「じゃあホテルの部屋にいるから、先生(引用者註:小室のこと)がよくなったら招集をかけてよ」
小室 「わかった」
(略)
午前3時(略)
その日のライブを録音したDATを聞きながら、ミーティングは進んだ。小室哲哉の部屋の窓から遠くに浮かぶ船の輪郭がハッキリ見え始めるまでミーティングは続いた。

1月10日、神戸文化ホール公演二日目だ。(略)
小室 「今日は軽めのリハーサルにするからね。その前に小野さんとちょっと話したいって伝えといてよ」
楽屋に舞台進行の新堀晃弘を呼んで言った。
会場内のPA卓の前で小室哲哉とミキサー小野良行が話し込む。これからの"EXPO"ツアーの音をどうしていくかの話だった。(略)
そして、こんな言葉で締め括った。
小室 「このバンドがもっとノれる音を小野さんに作ってもらいたいんですよ。今の状態でも、"EXPO"のライブ・サウンドとしては完成されているかもしれないけど。考え方として、シーケンスを器じゃなくて、メンバーのひとりとしてとらえてもらいたい。そのうえで、僕も含めてステージに立つミュージシャンひとりひとりにもっと責任を負わせてもいいと思うんです。責任ってことはひとりひとりの生の音、小野さんに助けられない音をもっと出していくってことでいいと思いますよ」
小野良行は大きく一回うなずいた。
小野 「やってみますよ」
(略)
小室 「今日を"EXPO"ツアーの大きなターニングポイントにしましょう」
小室哲哉は楽屋に引き上げた。そして、全員に言った。
小室 「小野さんと話したから、後はこっちの問題だよ」

ツアー全体のプロデューサーとして、メンバー・スタッフと話し合い、指示を出しながら、常により良いライブを目指す。
個人的には、小野に掛けた言葉、そしてメンバーへの『後はこっちの問題だよ』という発言にシビレてしまう。

TM Networkの「リーダー」 小室哲哉

TM Networkでは「リーダー」とはいえ、一人の「メンバー」である。
あらゆることは、小室・宇都宮・木根の三人で決められていく。
そういった姿は、「TKプロデュース」で一般の人が抱く「カリスマ的才能で、一人でプロジェクト全体を引っ張っていく」小室哲哉のイメージとは違っているはずだ。

ホテルに入ると、すぐにメンバー3人だけのアリーナ・ツアー構成ミーティングが始まった。どんなツアーでもそうしてきたように、すべては3人から始まるのだった。だれも入れない聖域のようですらある。
小室 「これでどうかな」
書き上げた曲目表と演出等についての若干のアイデアが記入された紙を2人の前に広げた。
宇都宮 「うーん」
木根 「なるほど "Crazy For You" を縦軸に使うんだ」
宇都宮 「後半は問題ないよ。でもね…」
小室 「前半の5曲でしょ」
木根 「今よりきついな」
宇都宮「倒れるかもしれない」
木根 「そこに関しては、ウツの判断だろう。俺はどうしてもやれとは言えないな」
小室 「僕は僕がウツを説得するしかないと思ってる。僕がウツに "これでやってよ" って言うしかない、と思ってる」

宇都宮 「でも、"やるよ" と言う以上、何がなんでも "やらなきゃいけない" 責任がついてくるからね」
木根 「ああ、"いいよ" と返事するのは簡単だけど、やるのはウツ本人だし、ウツ以外にだれもいないんだからな」

シビアな空気が部屋を支配した。気軽な受け応えができない。すべてのポイントについてそうだ。ひとつずつ小室哲哉の頭の中にある絵を聞きながらミーティングを進めていく。

ちなみに引用したのは打合せの風景だが、この3人、上述した藤井の前書を含め、木根の著書である『電気じかけの預言者たち』と『続・~』を読んでも、仲の良さが伝わってくる。「仲間」の中でリラックスする小室の姿もほのぼのしていていい感じである。

小室哲哉、倒れる

本書によると、「EXPO」ツアー中、小室哲哉は何度か倒れている。結果的には、最悪の状態は何とか免れツアーは無事終了したが、公演中止寸前の危機が何度かあった。本書は、そのギリギリの緊迫感を伝える。
長い引用になるが、とにかくこの緊迫感を、そして、TM Networkのメンバーたちの関係性を、感じて欲しい。

釧路。小室は38度を超える発熱でホテルのベッドから起きられない状態だった。
コンサート中止の決断が迫られる開場10分前。ホテルで寝ている小室に付き添っていたスタッフの岩田から "制作本部" の井上哲生に電話が入る。

岩田 「先生に変わります」
小室哲哉のベッドの枕元の電話だったらしい。
小室 「テツオ?」
井上 「ええ」
小室 「やるよ」
井上 「やるったって……」
小室 「行くから」
井上 「いつ頃?」
小室 「今から出るよ」
井上 「わかりました」

(略)
午後6時15分、小室哲哉が到着した。
迎えに出た井上哲生もさすがにギョッとした。ひとりでは歩けない状態だったのだ。(略)
宇都宮 「見てくるよ」
(略)
宇都宮 「ひとりじゃ歩けないんだって?」
小室 「立ってるだけならいいんだけどね」
宇都宮 「どうする? どうしてもやる?」
小室 「うん」
宇都宮 「無理だよ」
小室 「やるよ」
宇都宮 「じゃ、できるところまでね。できるところまでやろう」
小室 「うん」

宇都宮隆はメンバー楽屋に戻って報告した。
宇都宮 「やるって。倒れるまでやる気でいるよ」
舞台監督の松村義明がメンバー楽屋に駆け込んできた。開演予定時刻五分前だった。
松村 「開演は20分遅れにしました。先生が思ってた以上に悪いので、とにかく最初の3曲はいつもどおりやって様子をみます」
(略)
6時45分、メンバーは楽屋を出た。
木根 「ウツ、倒れるなよ」
長い廊下を肩を並べて歩きながら言った。
宇都宮 「ああ。やれるところまで精一杯やるよ」
小室哲哉をフォローするため、限界を越えた負担が宇都宮隆にかかるのは明白だ。木根尚登はそれを心配していた。
宇都宮 「僕より先にテツちゃんが倒れたら謝ろうよ」
(略)
木根 「よし、やっか」
(略)
ステージ脇に小室哲哉がたどり着いた。
井上 「いいですか。いきますよ」
小室 「ステージってこんなに眩しかったっけ?」

井上哲生が毛布を取った。小室哲哉が光の中に一歩踏み込んだ。力なくよろける歩調でキーボードの前に立った。宇都宮隆がチラリと小室哲哉を見た。
「WILD HEAVEN」「Just Like Paradise」を一気に演奏した。いつ倒れてもおかしくないほど小室哲哉はフラフラしていた。
「Don't Let Me Cry」のあと、灯りが落ちる。
その暗くなった一瞬の間に、新堀晃弘が飛び出して小室哲哉を抱き止めた。(略)
ステージ脇に戻った小室哲哉は膝からガクリと倒れた。それを井上哲生が抱えあげて楽屋に連れ帰った。
ステージでは長いフォーク・パビリオンが始まっていた。
毛布の中で熱を計ると、39.3度。
井上 「先生、やっぱり後半はやめましょう」
小室 「やるよ」
井上 「………」

心配そうに見つめた。
小室 「少しでも何か言ってないと、気が遠くなりそうなんだよ。話しかけてくれる?
そう言って力なく笑った。
(略)
「後半 "Self Control" からいきます。で、"Love Train" と "We Love ー" の2曲で先生入ります」
5人の「Self Control」がスタートした、宇都宮隆が鬼気迫るライブ・パフォーマンスを見せた。会場のすべての視線を一人占めしようとしているように見えた。
欠けた1人にだれも気づかせるものか!
そんなヒリヒリするほどの気迫が伝わってきた。
「Love Train」のイントロが鳴り始めた。
まだ入ってこない。
宇都宮隆は一瞬も止まることなく動き続ける。
まだか。
木根尚登がギターを高く掲げて弾いた。
まだだ。
クルリと客席に背を向けた宇都宮隆の顔を見て、木根尚登はギクリとした。酸欠状態で意識が朦朧としているのがわかったからだ。
まだか。
体を一回転させると、宇都宮隆が歌い始めた。
そのとき、小室哲哉がステージの中に入った。キーボードを弾いているというより、鍵盤に寄りかかっている感じだ。明らかに足にきていた。
木根尚登は小室哲哉を見た。
そして、次の瞬間、ステージ前方に飛び出した。(略)
小室哲哉は鍵盤に額をつけてグッタリしているが、足ではリズムを取り、手も演奏を続けていた。宇都宮隆が拳を握りしめてシャウトした。体中の音を全て吐き尽くすような姿だ。汗が乱れ飛んだ。それはライトの光の中を輝きながら舞っていた。その姿は感動的ですらあった。
「We Love The Earth」が終わった。
照明が消えた。

ステージ脇へ倒れ込んできた小室哲哉を井上哲生が抱き止めた。
限界を越えてしまった宇都宮隆も、ステージ中央から袖まで帰るのがやっとだった。新堀晃弘と松村義明が抱き止めた。
井上 「ウツをお願いします」(略)
両脇から支えられた宇都宮隆が長い廊下をフラフラしながらメンバー楽屋までたどり着いた。その瞬間、すべての力がなくなったかのように倒れた。
木根 「ウツ、大丈夫か!?」(略)
井上哲生がスッ飛んでメンバー楽屋にきた。
木根 「先生?」
井上 「かなりキテる。で、ウツは?」
木根 「相当キテるよ
」(略)
木根 「こいつ手を抜くってことをしないやつだからな。すべて生真面目にやるからな」(略)
浅倉 「ウツまで倒れたら、明日はどうなるんでしょうね」
葛城 「今日はつらいよ。休むところ全くないからね」
阿部 「でも、最後のウツの姿はキテたぞ。カッチョイイ! と思ったもん。後ろから見てても」
宇都宮 「べーに好かれても嬉しくないな」

ポツリと宇都宮隆が言った。(略)
木根 「おい、大丈夫かよ」
宇都宮 「ここは天国じゃないよね」

「ツアードキュメント」という形態について

さて、『EXPO』を久しぶりに読み返してみた。
こうした「ツアードキュメント」としての書籍の最近の事情はわからないが、動画や SNS、リアルタイムに近いスパンによるブログでの報告といったネット配信が主になってしまったのではないだろうか(コロナ禍においては、生配信ライブも頻繁に行われるようになった)。

情報発信にタイムラグがなく、同時性という特性を持つネット配信は確かに、ツアーという「生もの」の臨場感を伝えるのに長けている。
しかし、その同時性は、逆に、全体を見通した上での統一感を持つことができない。
そのため、たとえば AKB グループなどにみられるドキュメンタリー映画が作られているということだと思うが、、、なんか、今回「EXPO」を読み返して、上で引用した小室が倒れたシーンとか、映像とは違った感じ方ができると思ったしだいである(しかし、そういえば、『DOCUMENTARY of AKB48 (2012)「少女たちは傷つきながら、夢を見る」』で前田敦子が酸欠だか過呼吸で倒れたときに、回復まで大島優子と高橋みなみが MC でつなぐ、というシーンはかなり緊迫していたなぁ、と、今これを書きながら思い出した。まあ、どうでも良い余談だが…)


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