おすすめ青春"キュン"映画~映画『神田川のふたり』~

映画『神田川のふたり』(いまおかしんじ監督、2022年公開。以下、本作)は全く「普通」じゃない。
おかしなことだらけなのに、高校生の「恋愛"キュン"映画」として完成度が高く、最後には"おかしなこと"の辻褄が合って、作品自体の完成度も高い!という、奇跡の映画である。

高校2年生の舞(上大迫祐希)と智樹(平井亜門)は中学時代のクラスメイトの葬儀の帰り、久しぶりに二人きりで自転車で、東京都杉並区永福町の幸福橋から高井戸方面へ神田川沿いを上っていた。二人は互いに気があったものの、思いを伝えられず別々の高校へ進学していたが、どうもその気持ちはまだ続いているようだ。

本作パンフレットの「あらすじ」を一部抜粋

とても平凡な設定に反し、本作は冒頭に書いたとおり、おかしなことだらけなのである。

本作は、カメラの視点が定まらない状態で始まる。浮遊しているような、ただ適当にあちこちにカメラを向けているような……。
不思議な始まり方をした本作は、なんとそこから『永福町の幸福橋から高井戸方面へ神田川沿い』を自転車で上っている舞と智樹の、約40分間の長回しシーンになる。
ただ2人で自転車を並走させながら、近況報告など他愛もない話を続けるだけ。
それは「舞台演劇」のようだが、そうではない。何故なら、実際に2人は自転車で場所を移動しており(しかも頻繁に一般の通行人たちが映りこむ)、カメラの視点はずっと二人に向いているからだ。

だが、そんな明らかに映画として進行している途中で、本作はいきなり「舞台演劇」のような様相に変わる。
神田川沿いの道路に設置された休憩用ベンチ脇の空き地がコンビニに見立てられるのである。
二人はパントマイムでコンビニの自動ドアの開閉を表現し、黒衣くろごが持つお盆に並べられたおにぎりを手にし、お金を払って(というパントマイム)コンビニを後にする。
このシーンでびっくりするのは、コンビニの店内BGMが流れているだけで、何もない空間にコンビニが「幻視」できてしまうことだ。映画なのに実際のコンビニを出さず、観客に幻視させてしまうというおかしな倒錯が起こる。

その後も、現実にいたらかなりヤバい「変なおじさん」が出現したり、タイミングよく自転車泥棒の被害に遭ったりと、おかしなことばかり起こるが、このおかしなことの積み重ねが、素敵な結末への大切な導きとなる。

自転車泥棒を追いかけてやってきた下高井戸八幡神社(お賽銭も黒衣から受け取る)で、たった今葬儀で見送ったクラスメイトが書いた絵馬を見つけた2人は、亡くなった彼の代わりにその祈願成就に奔走する。
それが、後半の40分。こちらはちゃんとカットが割られた「劇映画」である。だが、やはり、おかしなことしか起こらない。

にもかかわらず、すでに観客はそれを受け入れている。
おかしなことに慣れたからではなく、物語が、そのおかしなことを「必然」にしているからである。
でなければ、これまでの登場人物が一堂に会するというあり得ないことが「祝祭」として受け入れられるわけがないし、ラストの「タネ明かし」で感動できるわけがない。

その物語を貫くのは、舞と智樹の恋の行方のリアリティーだ。
別の高校に通う2人は、互いに恋人や好きな人ができたかを探り合い、相手の心がまだ自分にあるかもという希望に顔をほころばせ、しかし、会わない間の互いの変化に不安になる、そして何より、亡くなった友人が作ってくれた(であろう)この貴重な再会の時間を無駄にしたくない……
おかしなこと満載の本作がデタラメな悪乗り的映画にならなかったのは、この、どこにでもある「普通」の恋心を、ちゃんとしたリアリティーで描いているからだ。

アドリブも多用されている前半の長回しが、後半の愛おしくも切なく、しかし最後には多幸感で包まれる展開に効果的な役目を果たしている。

たとえば、私が男だからかもしれないが、自転車泥棒を追いかけていった智樹がいる下高井戸八幡神社に向かう舞の姿に泣きそうになった。
それはたぶん、演出的には「間違った演技」なのだ。
自転車泥棒に遭ってしまった智樹のもとに向かうのだから、普通の演出なら、心配で息せき切って自転車を漕がせるだろう。
しかし、舞はゆっくり、即興(本当にアドリブだったらしい)で「智樹に会いに行く」という鼻歌を歌いながら、嬉しそうに自転車を漕ぐのである。
舞にとっては、そんな切迫した状況にあってさえ、「智樹に呼び出されて会いに行く」というシチュエーション、それ自体が嬉しくて幸せなことだったのである。
もうひとつ、カラオケボックスでの選曲があまりにも舞の心情にぴったり合っていて、軽快なメロディーと歌詞が逆にとても切なく聞こえて、胸を突かれる。
これらのシーンで舞がどれだけ智樹のことが好きかが余すところなく表現されているからこそ、後半の彼女の嘘や、亡くなったクラスメイトの願い事を叶えようとする気持ちが、切ない祈りとして説得力を持つのである。

そして多幸感あふれる大団円。
最初のおかしなシーンから始まった物語が、そのシーンを含め、実は全てに意味があったことが明らかになる。
それを知ってもう一度観ると、全く違う物語になるのかもしれない。
そういった意味も含め、本作は完成度の高い、奇跡のような映画である。


メモ

映画『神田川のふたり』
2022年9月3日。@UPLINK吉祥寺 (舞台挨拶あり)

本作後半は、吉祥寺駅周辺と井の頭恩賜おんし公園が舞台となる。
それを知らずに舞台挨拶目当てで吉祥寺に出向いたのだが、スクリーンに映る世界が、実はスクリーンの外に現実に広がっているというのは、何とも不思議な感覚だった。
終映後に井の頭公園に寄って映画の余韻に浸りたかったが、残念ながらその後の予定もあり、京王井の頭線の車窓から井の頭公園をぼんやり眺めるだけだった。
約1時間半後、私は横浜・みなとみらいの「ぴあアリーナMM」でTM NETWORKのライブを観ていた

ところで、舞台挨拶で司会の女性が"キュンとした"との同意を求めたことに対し、観客の反応がイマイチ薄かったのだが、それはきっと、いまおか監督作品ということで年配の男性(私もだが)が多かったことが一因だと思う。
きっと、"キュンとしなかった"のではなく、"キュンとした"けれど恥ずかしくて相槌を打てなかっただけだ(私もだが)。

それにしても、いまおか監督の作品は舞の鼻歌のシーンのような、何気ないところで胸を突く。私は『れいこいるか』(2020年)くらいしかちゃんと観ていない(というか、それ以外はほとんどピンク映画だし)から偉そうに語れないが、その映画も何でもないところで泣かされた記憶がある。

おまけ

吉祥寺及び井の頭公園を舞台にした映画としては、近年では『PARKS パークス』(瀬田なつき監督、2017年)がある(良い映画でお勧め)。
かつて吉祥寺にあった映画館「吉祥寺バウスシアター」の閉館(2014年)にあたり、オーナーの発案で井の頭公園100周年記念として製作された映画だ。
バウスシアターにはたぶん1回くらいしか行ったことがないと思う。何を観たのかも覚えていない。
閉館にあたり、当時渋谷にあったアップリンク(2021年閉館)の浅井代表が「引き継ぎたい」と申し出たが実現に至らなかったという。
代わりに出来たのが、私が本作を観た「UPLINK吉祥寺」である。

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