ファッションと女性史
私は50歳の中年オヤジで、世の中に「ユニクロ」がなければ、どこで服を買えば良いかもわからないくらい、ファッション音痴である。
そんな私は、成実弘至著『20世紀ファッション 時代をつくった10人』(河出文庫、2021年。以下、本書)を読んで、「ファッションの歴史は、即ち女性史ではないか」、そして「それは戦後の日本にも影響している」と思ったのである。
本書はタイトルが示すとおり、シャネルやディオールをはじめ、20世紀以降の現代ファッションの流れを作ったデザイナー10人を挙げ、その人物像やファッションを紹介し、批評している。日本人では、川久保玲を紹介している。
なお、本稿は本書の引用で構成されており、ファッションの歴史の解説や批評ではないことに、予めご承知置きいただきたい(もとより、上述のような私に、解説や批評を行う資格は皆無である)。
また、以下の引用文は、特に断りがない限り、本書からのものであり、引用文の太字は全て引用者による。
チャールズ・ワース:「着る側」から「作る側」への主導権の移動
ワースが活動した19世紀後半は、宮廷社会から大衆社会へと消費のあり方が転換していく時代だった。
ワースはナポレオン三世(ナポレオン・ボナパルトの甥)による第二帝政時代に皇室御用達の服飾人として活躍していた。
やがて、第二帝政が崩壊し、貴族の後に台頭してきたブルジョワジーなどの新興富裕層らは、「新興」ゆえに、かつての「本物の」宮廷生活に憧れを抱き、その残像を求めたという。
帝政の崩壊によって「認められたデザイナーの服を着ることによって、自身のアイデンティティを実感する」という、現在のファッションの風潮に変化することになったのだろう。
ポール・ポワレ:身体的拘束の解放
コルセットから解放したポワレのデザインは、どのようなものだったのか。
しかし成実は、『このころコルセットを放棄したのはポワレだけではない』とし、むしろ「時代の要請」だったのではないかと推察している。
ガブリエル・シャネル:「ダンディズム」
ファッションや香水を知らない私でも、シャネル自身がカリスマで、彼女の「生き方」が半ば伝説のように語られていることは知っている。
シャネルの特徴の一つが「ダンディズム」にあると成実は言う。
こうして女性の身体解放に一気に加速していくかと思われたファッションは、逆に一旦原点回帰に向かってしまう。
しかし、その原点回帰は、新たな進化を生むために必要なものだったのである。
クリスチャン・ディオール:「ニュールック」と「フィフティーズ」、そして戦後の日本
第二次世界大戦後、パリは戦争の痛手に加え、長く降り積もった雪による農作物の不作が重なり、深刻な状況にあった。
パリのモード界も低迷していた。
そんな中、ディオールの「ニュールック」と呼ばれるコレクションが話題となる。
絶賛された「ニュールック」(元々ディオールは「カローラライン」と名付けていた。カローラは花冠の意)は、言葉のイメージから「革新的」なものを想像させるが、実は逆であるという。たとえば、代表的な「バースーツ」。
上記で見てきたような「女性性の解放」から原点回帰してしまったように見える。実際、フェミニズムの立場から批判が上がったという。
『男性中心主義者の陰謀』という部分で私は、最近話題の「わきまえる女性」を想像してしまったのだが、そうではなく、ディオール自身が男性だったのである(今更知って驚いた)。
しかし、そんな批判をよそに、世の中の女性たちは「ニュールック」を歓迎したという。
そのアメリカで「ニュールック」は、「フィフティーズファッション」に進化を遂げる。
フィフティーズファッションは日本でも流行したが……というところで、やっと日本の話になる。
敗戦から高度経済成長期に突入し、ようやく、ファッションに目を向ける余裕(気持ち的にも財力的にも)が出てきた時期。
日本でもディオールはいち早く注目されており、洋裁学校や雑誌をとおしてニュールックは数多く模倣され、日本人のパリモードへの憧れを大いに煽りたてたのだそう。
しかし、ブームになったのはパリではなくイギリスから入ってきたファッションだった。
マリー・クアント:「ミニスカート」。「カワイイ文化」と「ストリート文化」
1960年代、ミニスカートが大流行する。
マリー・クアントについては後述するとして、先に日本でのミニスカート文化をみていく。
成実は流行の要因をこう分析している。
服装文化の転換の一つとして、『家庭で軽衣料を裁縫する洋裁の時代から、既製服を購入するアパレルの時代への移行』を挙げる。
しかし、移行はある日突然起こるものではなく、じわじわ浸透していくものである。興味深いのはその浸透していく過程とミニスカートが密接に関わっていることである。
家庭裁縫でミニスカートをつくるというのは、その年代に描かれた漫画「サザエさん」でも、あったような気がする(ないかもしれないが、サザエさんならやっていそうだ)。
もう一つ興味深いのは、このミニスカート・ブームが今に続く日本の「カワイイ文化」に通じているように感じることだ。
成実は当時の女性たちのミニスカートへの評価について、『身体の露出を自分の意志で決定することに解放感があったという意見とともに、少女的なスタイルに魅力が感じられたからというものがある』と言う。
こうしたイメージには、『不良性、自立性、性的解放などのニュアンスはほとんど脱落している』と成実は指摘しているが、このイメージはそのまま、現在のクールジャパンにおける「カワイイ」に当てはまるように私には思える。
さて、ミニスカートがクアントが考案したものでないことは先述したとおりだが、ここに「ストリートから生まれたファッション」の先駆けを見ることができる。
かつて日本にもそういう場所があって、たとえば、1960年代の原宿「セントラルアパート」もその一つだろう。
チェルシー地区に「バザー」というブティックをオープンさせたクアントは、当時をこう振り返る。
私はファッションに疎いのではっきりとは言えないが、現代の日本でも、「渋谷系ファッション」とか、どこか最先端である(とされる)地区で流行していたファッションが地方まで行きわたるという現象は、さして珍しいことではないと思われる。
その先駆者が「チェルシー・セット」だったということだろう。
川久保玲:社会的に自立した女性へのメッセージ
川久保玲が興した「コム・デ・ギャルソン」のファッションは、『ある明確な女性像を描いていた』と成実は言う。
成実は「コム・デ・ギャルソン」が顧客向けに定期刊行しているビジュアル冊子をこう評する。
「コム・デ・ギャルソン」は一部に熱狂的な支持者を生み出し、川久保のスタイルを真似た「カラス族」が話題になる。成実は言う。『このスタイルを好んだのは女性全体から見れば少数だったが、同じ価値観や感性を共有する女性たちの同志的な連帯を表現するものとなる』。
ファッションが「ただの流行」ではなく、時代とこんなにも有機的に関係し合っていることに、オヤジは感嘆したのである。
ファッションは今後も、時代の流れの中で進化し、それによって時代もまた変容していくのだろう。