イッセイミヤケ「一枚の布」
2022年8月5日、ファッションデザイナーの三宅一生氏が逝去された。
私は以前の拙稿にも書いたとおり、ファッションに関しては全く無知で、ユニクロがなければ服をどこで買えばよいかわからない。
先にファッションデザイナーと書いたが、朝日新聞2022年8月23日付夕刊の記事には、『ファッションデザイナーというよりデザイナー。(略)自身をそう規定していた。衣服のデザインにとどまらず、デザイン文化やアート、さらには社会全体を見据え、大きく鮮やかな足跡を残した』とある。
哲学者・鷲田清一氏の著書『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫、2012年)によると、三宅一生氏の仕事をつらぬく精神は、『わたしたちの存在を窒息させるもの、あるいは包囲してくるもの、そうしたものにたいする無謀ともいえるほど激しい抵抗』[P87]であったという。
その抵抗は、『身体をまるで物のように梱包(パッケージ)する服づくりの伝統』[P87]に対してであった。
以前の拙稿でも書いたように、ファッションは、貴族社会が崩壊しオーダーメイドからチャールズ・ワースによる「オートクチュール」の時代になったことで、『ドレスの美しさを保証するのは着る側から作る側へと移った』[成実弘至著『20世紀ファッション 時代をつくった10人』(河出文庫、2021年)P26]。
つまり、鷲田氏が指摘するように、服を着るというのは『身体を(その人に合わせて)梱包』するような認識であった。
また当時、ガブリエル(ココ)・シャネルらが試みたように女性の身体解放が進んではいたものの、一方でクリスチャン・ディオールの「ニュールック」やそれがアメリカで「フィフティーズファッション」に進化したように、『スタイルはウエストを細くするコルセットやバストを持ち上げるブラジャーなどの補正下着によって成立する』[成実P170]ファッションも流行していた。
それらに対して、三宅一生氏は『激しく抵抗』したのである。
そこで出てくるのが、三宅氏の代名詞ともいえる「一枚の布」である。
三宅氏の友人であり、彼のパリ・コレクションの招待状デザインを長年手がけてきた美術家の横尾忠則氏は、『「一枚の布」という考え方は、一つの平面から造型を生み出すという意味では折り紙に近い。外国人から見ればモダンデザインなのかもしれませんが、そこに日本の伝統が結びついている。ハサミで裁断して、体に合わせて作る衣服が多いのでしょうが、「一枚の布」の場合は、腕を広げれば布が空間を作る。人体そのものを造型する。造型上の発明だと思う』[朝日新聞2022年8月11日]と指摘する。
鷲田氏もこう評している。
このように当時のパリを中心としたヨーロッパのファッションに抵抗し、強烈な『問い』を突きつけた三宅氏は、だから、「オリエンタリズム」「ジャポニズム」という一過性のブームではなく、本質的に世界中で認められたのである。
それは、デザイナーのジョルジオ・アルマーニ氏の追悼コメントにもあらわれている。
それから6日後、同じくファッションデザイナーの森英恵氏が亡くなった。
戦後、ファッション界において世界の扉を開いた偉大な巨人たちが次々と亡くなってしまう……
付記:イッセイミヤケの香水
本稿を書いているときに読んでいた、資生堂で香水・香料の創作をされていた中村祥二氏の『調香師の手帖 香りの世界をさぐる』(朝日文庫、2008年)に、『パリで三宅氏の香水の最初の企画打ち合わせに同席した』という記述を見つけたので、少し引用しておく。
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