時代の寵児~映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』~

カリスマが時代を創るのではなく、時代がカリスマを創るのだなぁ、と映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』(サディ・フロスト監督、2021年。以下、映画)を観て思った。
この映画は、デイジーのロゴマークで知られるイギリスのファッションブランドの創設者・デザイナーである、マリー・クワント氏の半生を追ったドキュメンタリーである。

冒頭の言葉に戻ると、20世紀末から現代まで、「時代」はカリスマと呼ばれる人たちによって創られてきたイメージがある(GAFAMなどその典型)が、マリーは逆に「時代」に必要とされ、また寵愛ちょうあいされた、文字通り「時代の寵児」だった。

それは、彼女の代名詞でもある「ミニスカート」からもはっきりとわかる(もしかすると現代の日本では、「化粧品」として認知されているかもしれないが)。
成実弘至著『20世紀ファッション 時代をつくった10人』(河出文庫、2021年。以降の引用は断りのないものは本書から。なお、本書では「クアント」と表記されているが、映画のタイトルに倣って「クワント」で統一する)によると、

ミニスカート・ブームにおいて重要な役割を果たしたのはイギリスのデザイナー、マリー・クワントだ。実際には彼女がミニスカートを考案したわけではなく、ロンドンの若い女性たちが身につけていたスタイルを商品化して発表したところ、大きな反響を呼んだということである。

とあり、これはつまり、「時代」の方が「それを広めてくれる人」を必要としていたことを意味し、そして「時代」がマリーを選んだ。
以降、「時代」は彼女を寵愛することになる。

映画の冒頭、第2次世界大戦後のイギリスの様子が、「戦勝国とはいえ」というナレーションをバックに瓦礫だらけの街や貧しい人々の映像によって説明される。
当時のファッションの流行はパリにあり、そこでは「古き良き戦前」への回帰を夢想するかのようなオートクチュールが求められていた。その後……

1960年代、ファッション史は大きな転換期を迎える。
パリでは世界のファッションをリードしてきたオートクチュールから、その主力がプレタポルテへと移行していく。19世紀後半に誕生したオートクチュールはもともと上流階級、それに準ずる中間階層の富裕層を対象としていたが、既製服産業の台頭と相まって、高価な注文服を求める顧客は減少の一途をたどっていた。

それは戦後生まれのベビーブーマーが成長して世代としての価値観を主張しはじめたことと無関係ではない。彼らが可処分所得を持つようになると、上の世代とは異なる独自の消費行動を開始する。その結果、若者世代の人口の多さとエネルギーは流行の潮流を左右していく。ファッションにおいても上品で洗練された大人の女性ではなく、身近にいるような親近感や活発さにあふれた若い女性へ、理想の身体像が変化していく。パリのサロンが独占していたエレガンスの美学はもはや時代遅れになり、サンフランシスコ、ロンドンなどのストリートから新しい価値観が登場してきたのだ。
この変化を象徴していたのがミニスカートである。

マリーが『自分たちのようなチェルシー(地区)にやって来る若者たちに向けたファッションを提供するというコンセプト』を持って、高級住宅街キングス・ロードにブティック「バザー」をオープンしたのが、1955年。

まだ当時は若者向けファッションというカテゴリーが確立しておらず、若い女性も母親と同じ服を身にまとい、大人の身だしなみの規則に従っていた。(略)若者たちは服装のルールや伝統から解き放たれ、自分や世代を表現する新しい服を求めるようになっていたのである。

映画では「バザー」に若者が殺到する様子が紹介されている。

バザーの服はけっして安いものではなかったが、店に出すと飛ぶように売れた。若い世代は消費の担い手として力を持ちはじめ、59年には10代の可処分所得が全世代の可処分所得のうち10パーセントを占めるようになっていた。より多くの若者が大人の着る服とは異なる、より自由で、カラフルで、活動的なファッションを求めるようになっていたのである。クワントはそのような欲求に応えたのであった。

女性が社会進出をした「時代」というのも影響している。
それは、当時の若者女性が『(マリーの服なら)バスに乗り遅れそうになった時でも、気にせず走れる』とインタビューに答えていることからも窺い知れる。

イギリスではミニスカートの丈は65年には膝上15センチまで上がり、66~67年にそのピークに達する。

「時代」がミニスカートを求めていたのは、映画の中で女性たちが先を競ってスカートを自分で切って丈を短くしていく様子からもわかる(映画を観た限り、スカート丈の短さは、「(男性)社会」の要請も皆無とは言えないだろうが、完全に若者女性が創る「時代」の要請だったと言わざるを得ない)。

クワントは単にミニスカートというひとつの流行を演出したというより、チェルシー・ガールの感性や欲望が投影されたひとつのスタイルを作りだそうとしていた。彼女はそれを自伝のなかで「チェルシー・ルック」と呼んでいる。

そんなイギリスの「時代」は、ファッションだけにとどまらず、あらゆるジャンルとして表出してくる。
そして、「時代」はいつしか、「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれるようになる。

イギリスの若者たちはポップミュージック、映画、ファッション、写真などの大衆文化の世界で活躍し、自分たちの感性を加えた新しい表現を生み出しつつあった。それは国内にとどまることなく海外からも注目を集めていく。ビートルズやローリング・ストーンズに代表されるミュージシャン、テレンス・スタンプやマイケル・ケインら俳優、デビッド・ベイリー、テレンス・ドノバン、ブライアン・ダフィなどの写真家、ヴィダル・サスーンのような美容師がアメリカに進出し、イギリス文化は世界へと大きな波を引き起こしていくのである。

つまり、マリー・クワントは自身のカリスマ性で「時代」を拓いたのではなく、「時代」そのものが「スウィンギング・ロンドン」となるために彼女を必要としたと言える。

だからこそ、「スウィンギング・ロンドン」は彼女を寵愛し、その証しとして、二人の男性を彼女の元につかわした。
一人は、公私ともに人生のパートナーとなるアレキサンダー・ブランケット・グリーン。
もう一人は、ビジネスパートナーである実業家のアーチー・マクネア。
二人は、マリーが好きなデザインを発表できるよう、陰日向で献身的に彼女を護り尽くす。
彼女は、ライセンスビジネスや化粧品ビジネスなど革新的な事業拡大を行ったにも拘わらず、二人の庇護により、他のカリスマたちにあるような様々なトラブルに巻き込まれることなく、自分の好きな事・やりたい事に専念できた。

やがて「スウィンギング・ロンドン」は衰退し「かつての時代」となったが、それでも自身の要請にしっかり応えてくれたマリーを使い捨てにせず、誠意を持って労をねぎらった。

デザイン以外の仕事からマリーを護っていた最愛の夫・アレキサンダーが「(ジェネレーションギャップで)若いスタッフの話がわからなくなった」と仕事を引退し、その後亡くなる。
最愛の夫を亡くしたマリーの悲しみは大きかっただろう。
しかし私は、彼女が60歳になるまで献身的に護ったアレキサンダーを、「かつての時代」が「よく今まで護ってくれた。お疲れ様」と言って呼び戻したと思ったのだ。

きっと、マリーにもわかったのだろう。
だからこそ彼女は、夫の分も引き受けるような無理をせず、穏便な形で経営権を手放す(マリー本人の「日本に経営権を譲渡する」という発言が映画でも紹介されており、2022年現在、全ての権利は株式会社 マリークヮント コスメチックスに譲渡されている)。

確かに「栄枯盛衰」の半生だが、「時代」とは元々そういう宿命でもある。
映画を観る限り、彼女の半生は他のカリスマたちと違い「波乱万丈」とは無縁だったように思う。
それは、カリスマが「時代」と対峙していたことによる必然であり、「時代」から求められた彼女にはその必要がなかった、ということではないか。

「時代から必要とされ、寵愛されたカリスマ」
この映画は、「好きな事で生きてゆく人生」の、とてもハッピーなロールモデルを示しているように思えた。


メモ

映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』
2022年12月3日。@Bunkamura ル・シネマ

同Bunkamuraでは、彼女の回顧展が開催されている(~2023年1月29日。@渋谷・Bunkamura ザ・ミュージアム。詳細はこちら)。
私は時間の都合もあったのだが、過去の拙稿でも度々書いているとおりファッションに疎いオヤジなので、回顧展には足が向かなかった。

主催でもある朝日新聞の記事ではこう紹介している。

伸縮性があり動きやすいジャージー素材や新しい科学素材を積極的に採り入れ、ドレスから下着までデザインした。クワントの仕事を代表するミニスカート(略)60年代に初めてメディアでひざすれすれの丈を発表して以降、どんどん短くなるスカートは今回の見どころの一つだ。
会場には、カラータイツやジャージー素材のドレス、PVC(ポリ塩化ビニール)のレインウェアなども並ぶ。今では当たり前に目にするが、当時はファッションに革命を起こしたと評価されるアイテム。60年の時を経た今なお色あせない「かわいい」があふれている。

朝日新聞2022年12月3日付朝刊(抜粋)


付記:ミニスカートと「カワイイ文化」

先の新聞記事にも「かわいい」と書かれているが、私も以前の拙稿でミニスカートブームが、日本の「カワイイ文化」に通じていると書いたことがある。
詳細は拙稿を参照していただきたいが、本稿の参考として、その部分だけ抜粋しておく。


成実は当時の女性たちのミニスカートへの評価について、『身体の露出を自分の意志で決定することに解放感があったという意見とともに、少女的なスタイルに魅力が感じられたからというものがある』と言う。

この時期に高校生で自らミニをはいていたという川本恵子はこう述べている。
「日本でもミニが爆発的に売れ出したのは、幼児服そのままの"ベビールック"がミニの代表的スタイルとして紹介され、未成熟さが売り物のスーパー・モデル、ツィギーが67年に来日してからである。ミニは太い足、短い足の日本女性には似合わないといわれ続けたが、"ベビールック"は狭い肩幅、小さな袖、胸元で切り替えたギャザーなど、貧弱な上半身でこそにあうスタイルだった。(略)成熟度よりもかわいさが女性のチャームになる日本で、幼児体形にピッタリのトップファッションがアッというまに広がったのも当然といえる」。

こうしたイメージには、『不良性、自立性、性的解放などのニュアンスはほとんど脱落している』と成実は指摘しているが、このイメージはそのまま、現在のクールジャパンにおける「カワイイ」に当てはまるように私には思える。


(2023.04.14追記)
2023年4月13日にマリー・クワント氏が93歳で逝去された。
同14日付朝日新聞朝刊には、『遺族が英メディアに寄せた声明によると、英南部サリーの自宅で「安らかに息を引き取った」』と記されている。













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