2024年5月1日~5月5日 酒。読書。観劇。それだけ。GW後半戦

私の「note」のプロフィールは、『酒。読書。観劇。それだけ』とそっけない、というか投げやりな一文だが、それで充分説明に足りている。

たとえば、2024年5月1日から5月5日にかけて……

2024年5月1日

テレビなどでは「最大10連休」なんて言っているが、ほとんどの人はカレンダー通りなのかもしれない、と思うのは電車の込み具合がいつもとそんなに変わらないという実感からだ。もちろん私もその一人。しかし、同僚の中には休暇を取っている人もいるし、私も今すぐやらなければならない仕事もないので、5月2日を休むことにする。
折しも今日は1日、毎月恒例の全国の映画館のサービスデー。
翌日を休みにしたので、21時からポレポレ東中野で映画を観ることにする。

21:00 映画『ラジオ下神白』@ポレポレ東中野

小森はるか監督と、ゲストである看護師/写真家の尾山直子さんのトークも興味深く満足して劇場を後にする。

2024年5月2日

休暇を取ったので、朝から前日観た映画『ラジオ下神白』の記事を書き投稿。
その後、銀行へ行ったり、その他諸手続きといった普段できないことをまとめて片付けてしまう。

18:30 音楽劇『瀧廉太郎の友人、と知人とその他の諸々』@下北沢・北沢タウンホール

20時終演。
思いついて、新百合ヶ丘の「土と青」を予約。
下北沢駅から小田急線に乗ると、車内は混んでいる。勤め帰りの人も多いが、遊び帰りらしき人たちも混じっているようだ。

20:30 土と青(新百合ヶ丘)

明日から4連休だからか、店内は混んでいる(このお店はいつでも人気だが)。

さっき観て来たお芝居を思い出しながらビールを飲んでいるところに、オーナーシェフが注文していたお刺身盛り合わせを運んでくる。

「お仕事帰りですか?」
「いや、もう面倒なんで休んで、今、芝居観てきた」
「やっぱりそうですか。いいですね」
「やっぱり」というのは、このお店に来るのは大抵、下北沢での観劇帰りだからだ。

22時半。まだ大勢のお客が盛り上がっている。たぶん、地元の人たちなのだろう。私はこれから1時間ほど電車に揺られなければならない。ということで、この辺て退店。

2024年5月3日

憲法記念日。
近所のスーパーに買い出しに行くと、駅前では様々な団体が憲法について様々演説をしている。
私はこの"note"などで憲法について私見を述べることはしないが、ふと4年前の同日に朝日新聞に掲載された、法律学者・志田陽子氏の寄稿文を思い出す。

おかしいと思えば 声上げていい 武蔵野美術大・志田陽子教授
 
新型コロナウイルスの感染を防ぐため、外出や営業の「自粛」ムードが強まっている。だが、何が良くて何がダメなのか基準がはっきりしないため、行き過ぎた委縮や圧力が生まれている。一斉休校中に子どもを公園に連れて行っただけで警察に通報する人がいる。強制ではなく要請なのに、東京では警察が新宿・歌舞伎町などで巡回を始めた。警棒を手にした「お願い」は威嚇であり、強制と受け止める人が多いだろう。
確かに、経済活動や集会の自由といった大切な人権も、「公共の福祉」のためにやむを得ず制約を受けることがあるというのが憲法の規定だ。ただ、感染拡大を防ぐために求められるのは、密集を避けて不要な外出を減らすことだ。必要な外出や生きていくための営業活動まで頭ごなしに攻撃するのは 行き過ぎだ。
むしろこういう時こそ、批判的思考が大切だ。おかしいと思えば声を上げ、必要な支援を求める。憲法が言論の自由を保障しているのは、一人ひとりが自分の頭で考え動くことを想定しているからだ。実際、異論によってコロナ対策は改善された。DV(家庭内暴力)を抱える家庭への現金支給の方法も、 風俗店への休業補償もそうだった。
こうした事態に対処するため、憲法を改正して「緊急事態条項」を導入すべきだという意見もあるが、今回の事態には現行憲法の「公共の福祉」の考え方で対処できるはずだ。集会をしたくても経済活動をしたくても、生命を守るという目的との比較で我慢できることはしていこうと。
緊急事態条項ができれば、内閣は国会のチェックを受けずに法律と同じ効力を持つ政令を出せるようになる。緊急時だけの時限措置といっても、いったん成立してしまえば人権が無条件に制限されかねない。そして人は慣れる。政府の暴走を許した歴史を教訓に、現行憲法ができていることを忘れてはならない。

『そして人は慣れる』。マスクを着けたままの生活にも、マスクを外した生活にも。慣れてしまうがために、4年前のことが忘れられようとしている。
そして何より『政府の暴走』に慣れ、それを『許した歴史』を忘れようとしている。

スーパーで見つけたオリオンビール
先日の京都を思い出し、憲法記念日の沖縄に思いを馳せる

家飲みしながら、映画『リンダリンダリンダ』(山下敦弘監督、2005年)を観る。この映画、もう何度見返したかわからない。それなのに、相変わらず、ずぶ濡れのソン(ペ・ドゥナ)が歌い始めるシーンで泣いてしまう(これぞ、一人家飲みの醍醐味!)。

続けて、WOWOWで放送されていたダムタイプの『S/N』を観る。

2024年5月4日

やっぱり「みどりの日」が一体何なのかわからない。

10:00 映画『青春18×2 君へと続く道』@ユナイテッドシネマ・豊洲(公開記念舞台挨拶付き)

とても良い映画だった。
シュー・グァンハン氏と清原果耶さんが登壇した舞台挨拶も堪能し、終映したのは13時前。
この映画館はショッピングモールの中にあるが、4連休中のそこは家族連れを中心に賑わっている。

帰宅し、映画の感想文を書く。
再び外出。吉祥寺へ向かう間に記事投稿。

吉祥寺で買った本。映画に影響され過ぎ

18:00 映画『水深ゼロメートルから』@UPLINK吉祥寺(公開記念舞台挨拶付き)

ラストの土砂降りに鳥肌が立つ。昨日観返しておいてよかった。
キュートな作風とは裏腹に、内なる怒りを爆発させた映画は、ある意味において(前日見た『S/N』まで繋がっていたことを含め)とても衝撃だった。

舞台挨拶に登壇した4人が放つ華やかな空気は、抑圧された映画から解放された(我々観客の気持ち的にも)ようだった。

帰宅し、感想文を書いて投稿。気がつけば、日付が変わろうとしている。目論見では、ささっと書いて一人飲みの続きをやろうと思っていたのだが、予想外に時間が掛かった。
その理由は、映画が色んなことを想起させてくれたからで、だから本棚から本を物色したり、自身の過去記事を読み返したり、文章を組み立てたりと、そんなことに時間を掛けてしまったということだ。
しかも、私はそれらの作業をスムーズに行うことが苦手で、だから恐らく他の人よりも余計に時間が掛かってしまうのではないだろうか(他の人に聞いてみたことはないけれど)。
投稿した後も、頭を使い過ぎたからか、なかなか寝付けず……

2024年5月5日

子供の日
……とノンビリしていたところ、突然報じられた訃報に驚く。
「唐十郎氏死去」

上京したて二十歳そこそこの私は、田舎にはなかった「高度なサブカル(そう思っていた)」の熱にやられ、新宿花園神社の「紅テント」に行った(記録によると、1991年5月18日に『電子城Ⅱ』を観たとある)。
祭りの見世物小屋のような怪しげなテントに入り、寿司詰めの観客に混じって一緒にゴザに座る。
怪しげな衣装を着た俳優たちが声を張り上げて難解なセリフをはき、音が割れ気味の音響……何が行われているかは全くわからなかったが、何だかわからない俳優の熱意にあてられた観客たちの熱にあてられ、物凄く興奮したことを覚えている。それにやっぱり、あの「屋台崩し」……
そんなことを思い出しながら本棚を漁る。

唐十郎著『電気頭』(文藝春秋、1990年)

東京の下谷万年町生まれ。その出生地をモデルにした戯曲が『下谷万年町物語』。故蜷川幸雄氏演出で1981年に初演された芝居で舞台デビューを果たしたのが、渡辺謙氏。彼の追悼のSNSはそのことが触れてあったという。
そんなわけで、2012年にやはり蜷川演出で上演された同作のビデオを、酒を飲みながら見る。唐作品のビデオは何本か持っているが、唐氏本人が出演しているのは、これ1本だけだ。

『こんな芝居を観てきた』(河出書房新社、2015年)で、演劇評論家だった故扇田昭彦氏はこう書いている。

この劇の舞台となるのは、唐が少年自体を過ごした東京の台東区万年町(旧・下谷万年町。(略))。ここは芸人の町として知られた所で、戦後は近くの上野公園に出没する男娼(オカマ)たちのすみかとなった。

物語は、それをそのまま踏襲している。
舞台前方に本当に水の入った池(ひょうたん池)を設え、池の底には街があり、劇場もある。
物語序盤、藤原竜也演じる洋ちゃんが言う。

時々ブザーの音が鳴る。(略)うらぶれた劇場のブザーでね、演じられようとして演じられなかった芝居のために、この池の底では、ひとつの小さな小屋で、女の子がひょうたん池色のお化粧をしているんだ。

『演じられようとして演じられなかった』のは舞台上では恐らく戦争が理由だ。
再演された2012年には、きっと東日本大震災が。
そして、2024年現在から見れば、COVID-19。
酔いのせいもあるが、私は涙が止まらなくなった。

もう一つ。この芝居は50人もの俳優が出演している。先の扇田氏によると初演は、79人だったという。
もうこんな多くの人が怒鳴り散らす(しかも下品な言葉を)猥雑な芝居は、絶滅危惧種なのだろうと思って寂しくもなった(2023年に清原果耶さん主演で上演された『ジャンヌ・ダルク』も大人数だったが、ほとんど合戦シーンだった)。

下谷万年町とひょうたん池は、唐氏の原風景だった。
『唐十郎のせりふ』(幻戯書房、2021年)で著者・新井高子氏はこう書く。

浅草には昭和20年代まで「ひょうたん池」という名の池があった。幼少の唐はしばしば訪れたというが、そこは東京随一の歓楽街としての象徴だった。あかテントを引っさげて、奔放かつ繊細に、人間という暗黒幻想を追い続けてきた彼の戯曲には、80年代の代表作のひとつ『下谷万年町物語』(1981年)をはじめ、ひょうたん池がしばしば描かれる。そして、その消滅とともに沈み去った娼婦や男娼、芸人や役者もしきりに登場する。

彼の死去によって、本当の意味で「ひょうたん池」が沈み去ってしまったのではないか……

などと考えているうち、芝居の幻想にあてられたか、それとも酒に酔ったか(恐らくこっち)、自分の居所が怪しくなってきた。

2024年5月6日

連休も今日でおしまい。
唐氏の報道を見たくてテレビをつけるも、行楽地の人の多さと、行儀の悪さと、円安の影響と、Uターンラッシュばかり……。
諦めてテレビを消し、本稿を仕上げて、投稿する。


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