音楽が「心通わせる」希望~映画『リンダリンダリンダ』~

2022年6月、新宿武蔵野館(及びシネマカリテ)による「新宿東口映画祭」の企画でリバイバル上映された映画『リンダリンダリンダ』(山下敦弘監督、2005年。以下、本作)を観て思った。
本作の舞台である2004年が、20世紀と21世紀の「端境期はざかいき」だったのかもしれない。

2022年公開の映画『麻希のいる世界』(塩田明彦監督)を観て、私は『「音楽」が、心通わない無力な存在になってしまったことに対する絶望感』を覚えたのだが、「2つ折り携帯電話」が普及していたとはいえスマホもSNSもなかった2004年には、まだ「音楽」は「心通わせる希望」たり得たのである。
同時に、それから17~18年を経た現在、それらが「フィクション」あるいは「ノスタルジー」になってきているのではないかとも感じた。

たとえば、夜中の学校に忍び込んでヒソヒソ・コソコソ練習をする4人の女子高生たちが、そのシチュエーションに嬉しくなりワクワクし、誰ともなくクスクス笑い出し、それが皆に伝染し、笑いが止まらなくなる……。
夜の校舎の屋上で、普段なら絶対に話さないような真面目な言葉を口にし、それを聞いた皆が照れ隠しで茶化しながらも各々センチメンタルに浸る……。
ノートの切れ端に書かれ丁寧に折られた(こういう手紙は私が学生時代からあったが、あんなヘンな折り方は一体誰が考案するのか?)手紙で、使っていない教室に呼び出し、告白をする……。
男の子から家電いえでん(すでに死語……どころか知らない人もいるだろう)に電話が掛かってきて、家族が取り次ぎ、小声でコソコソ話をする……。家族も無関心を装っているが、興味津々なのがバレバレ……。

公開当時、既に30歳を超えていたオジサンの私でも、かつて経験したかもしれないようなエピソードが満載で、素直に物語に共感できた(しかし、本作が「大人のノスタルジー」でなく主人公たちと同世代の若者向けとして意図されているのは、ライブ最後の曲「終わらない歌」の演奏をバックに校舎や校庭のカットバックが続いた後に少し彼女たちの演奏を引きで映し、演奏が終わる直前で映像が切れて本作が終わってしまうことでも明白だ。つまり、本作終了時点で文化祭は終わっていないのであり、それは物語が彼女ら/彼らの「あの頃」ではなく「今現在」であり、そしてこれからも続くことを意味している)。


物語は、文化祭のライブ直前にギタリスト(湯川潮音しおね。本作では退屈し切った観客の心を一気に掴む素晴らしい歌声が聞ける。「子供ばんど」ファンの私は、色んな意味で感慨深かった)が突き指で弾けなくなったのをきっかけに空中分解したバンドのメンバーけい(キーボード→ギター。香椎由宇)、望(ベース。関根史織(Base Ball Bear))、響子(ドラム。前田亜季)が、偶然出会った韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)をボーカルに迎え、「THE BLUE HEARTS」(以下、ブルーハーツ)の即席バンドを結成し、文化祭の舞台に立つ、というストーリー。

「音楽で心通わせる」本作のきもは、簡単な日本語しか理解できない韓国からの留学生をボーカルにしたことと、ブルーハーツを題材にしたことだろう。
ボーカルにと請われて初めてブルーハーツを聞いたソンは涙を流す。
これは簡単な言葉の組み合わせで若者が心の中に抱えた複雑な感情を表現した歌詞と粗野で勢いに任せた(ように聞こえる)ブルーハーツと、留学生のソンが「心を通わせた」ことを意味する。
そんなソンが、「心通わせた」ブルーハーツの楽曲によって、"日本の普通の女子高生"とも「心通わせる」。
それを媒介したのは、"拙い"言葉と、"饒舌な"音である。
「心通わせた」印象的なシーンが、ライブ前夜、機材もなく誰もいない体育館のステージの上に一人立ったソンが、誰もいない暗闇に向かってメンバー紹介をする場面だ。
とても嬉しそうに誇らしげに、(今ここにいない)大好きなメンバーを一人ひとり紹介していくソンを観て、私は「音楽」への希望を再び取り戻したような気になった。

もう一つ、改めて思ったのは「映画は大きなスクリーンで観るためにある」ということだ。

アマチュアとはいえバンドものの本作であれば音響的にも映画館で観るのが良いし、そのライブシーンはスマホはおろかテレビ画面でも絶対に感じられない圧倒的な臨場感と迫力がある(本作をビデオで繰り返し見ていたが、今回改めてスクリーンで観て、その歴然とした差に心底驚いた)。

特に、クライマックス。
突然の土砂降りに見舞われてずぶ濡れになった上に校庭で転び、まさに"ドブネズミ"になったソンが歌い始める「リンダリンダ」。
この歌詞が単なる比喩ではなく、確かにある「美しさ」として現出するシーンは、息を呑むほど圧巻だ(きっと「写真」ではなく「映像」だから出来たのだ)。
そして、ソン以外の"濡れネズミ"たちが奏でる「音楽」は、「心通わせる」「美しさ」や「楽しさ」を余すところなく体現している。
この演奏の躍動感と崇高さ、そして「音楽」の楽しさは、絶対に映画館の大きなスクリーンで体感するべきだ。

エンドロール。
彼女たちによる「終わらない歌」の演奏を引き継ぎ、ブルーハーツのオリジナル版「終わらない歌」が始まる。
本作の舞台は、「終わらない歌」「リンダリンダ」が収録されたブルーハーツのファーストアルバム『THE BLUE HEARTS』発売から17年後の2004年。
アナログ盤LPレコードで発売されたアルバムをダビングした(ソースは後発のCDからだろうけど)カセットテープで、彼女たちはブルーハーツと出会う。

2007年に初代iPhoneとして登場したスマホをきっかけに、「音楽」はレコードやカセット、CDといった媒体を介さず、ネットなどを介してコンピュータ上で扱われる「データ」となり、それが音楽や映画の楽しみ方を激変させた。

そして、本作公開から17年後の2022年の現在、バンドどころか自分一人でフルオーケストラの楽曲だって作れてしまう時代になっている。
もう誰かの家やスタジオで「せーの」で演奏したり、練習の帰りに寄り道したファミレスで何時間も話し込んだり、時には「音楽論議」を闘わせてみたり、普段は照れて言えないけれど何かのきっかけに背中を押されて自分たちのバンドやメンバーを熱く語ってみたり、それを聞いて皆で泣き合ったり……そんな「心通わせる」ようなことは、もう「音楽」ではできないのだろうか?

「音楽が担う役割」という意味で、本作が公開された2004~2005年は、20世紀型から21世紀型に移る「端境期」だったのかもしれない、と思った。

「音楽」の受け止められ方や、「恋愛」「友情」の在り方が20世紀のそれらとは変わってしまっていても、せめて「青春物語」として、今の、そしてこれから先の高校生たちが、本作を「フィクション」ではなく「リアル」として共感し続けてくれればいいな、と心から願う。
それが今の私の「希望」だ。


メモ

映画『リンダリンダリンダ』
2022年6月5日。@新宿武蔵野館(新宿東口映画祭2022)

ベースの望役の関根史織が実は"Wink Sniper"(「武道館、いっちゃえー」日本武道館 2012.01)だと思って本作を観ると、別の感慨が浮かぶ……かもしれない……なんてね。


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