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高野山のススメ

今、高野山でこの記事を書いてます。
もうそろそろ片手では数えれないくらいには高野山に来てるでしょうか。
行きのバスに乗ってたのはほぼ外国の方で、すっかりコロナ前に戻ったなぁという感じです。
旅行サイトからはほぼ宿坊の予約が取れなくなってて、今回は宿坊協会のフォームから空いてる部屋を探してもらう形にしました。

私が高野山に来る目的は「ストレス解消」「世のため人のための決意を新たにする」の2つです。
私は仏教徒ではありませんが、高野山に来ると不思議とこんな力をいただけます。
今この記事を書いているのも、アウトプットすることで思いをまとめ、高野山を降りた後もそのパワーをできるだけ持続させるためです。

仏教の教えは苦しみから解放されるためのものであり、その秘訣は世の中のもの全てが「諸行無常」であると悟ることです。
諸行無常とは方丈記の一説「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の通り、世の中のものは全て、人間も含めて一定の存在ではないということです。
高野山を開いた空海は、人とは一定の存在ではないという考え方を大日経の教えに沿って「宇宙と私は一体である」ことを悟りであると説いています。
(「空海の教えを人生に生かす」の記事参照)
高野山に来た時は「宇宙と私は一体である」ことをひたすら自分に言い聞かせます。
高野山には「宇宙と私は一体である」ことを悟るための体験が様々に用意されています。
「宇宙と私は一体である」ことを悟ることでなぜ苦しみをなくし、世のため人のために生きる決意を思い出させてくれるのか、まとめてみます。

高野山に来ると苦しみが消える理由


阿字観:宇宙と一体になる瞑想法

そもそも苦しみとは何でしょうか?
自分の理想とする生き方と、そうでない自分の今の姿とのギャップに、人は日々悩んでいるわけです。
でもそれは、その人が本来抱えなければならない悩みなのでしょうか?

例えば、貧乏で日々インスタント食品でしのぐような生活に悩んでいる人がいるとしましょう。
しかしもしその人以外の人類全員が、ある日突然草木をかじり泥水をすする生活を強いられることになったらどうでしょうか。
その人は悩むどころか、自分だけ飢えることなくインスタント食品を食べ、水道から水が出る生活という恵みに感謝するでしょう。
むしろ自分だけがそんな豊かな生活をしていることに悩み、一人でも多くの人が飢えることなく水に不自由しないよう、使命感を抱くかもしれません。

苦しみとは結局、人との比較から生じるものです。
だから「宇宙と私は一体である」という考え方を身につけることによって、「私」と「あなた」の境界線を取り払うわけです。
そうすれば飽くなき欲によって我が身を嘆くこともありません。
めちゃくちゃ稼いでそれを自分の贅沢のために使うような人を見たら、羨むどころか哀れみすら感じるようになります。

「自分」とは宇宙からたかだか数十年の間いのちとしてお預かりしている存在であり、生かされている存在だと悟れば、ただ生きているだけで有難いと思うようになります。
生きているだけで有難いと心から思えたら、それ以上の良いことはおまけであり、それが全て自分の思う通り満たされないからと言って悩むことなど本来あるはずがないのです。
たとえ死ぬ日が来たとしても、それはお預かりしている命を宇宙に返すだけのことです。
「宇宙の一部として生かされていることに感謝」の気持ちを持てれば、今の悩みがどれだけ重大なものでも、かなり軽くできるのではないでしょうか。
悩みを完全には消せなくても軽くして前向きに生きることができたら、悩みを吹き飛ばすような幸運も巡ってくるものです。

高野山に来ると世のため人のためのパワーをもらえる理由


先ほどのような話を正面から受け取ると、命をちっぽけなものとして軽視しているのではないかという誤解も生まれそうですが、決してそうではありません。
自分とは宇宙からお預かりしている命であると同時に、自分は宇宙そのものであるので、実に大きな存在です。
自分は宇宙そのものであるので、世界を変える力があります。
宇宙の大いなる流れの一個として、世界がより良くなるよう光を発することが、この世に生きとし生けるものの使命なのです。
自分と宇宙が一体であるなら、自分だけいい思いをするのが虚しいことであるのは明白です。
人に善きことを施して、その人がまた別の人に善きことを施していく。
これが宇宙の摂理に沿った人間本来の生き方であり、本当に幸せな人生であると悟るので、世のため人のためのパワーが満ちてくるのです。

高野山でできる体験

このことを理解して高野山に訪れると、他に類を見ないリフレッシュ感とパワーをいただけます。
ですが最初から理解できるはずもないので、騙されたと思って一度観光気分で訪れてみてください。
こちらの「高野山訪問記」の通り、私も最初に訪れた時は空海の教えなんて触れてもいませんでしたが、それでも心が洗われる体験ができました。
ストレスが溜まっている時は、ハワイとかのバカンスに行くよりも高野山の方がよほどストレス解消になります。
美食やバカンスはストレスを一時忘れさせてくれるだけで何も解消してないので、翌日にはストレスの元が膨らんでいてむしろストレスを増大させかねません。
高野山には「宇宙と自分は一体である」と感じたり「利他の心の大切さ」を学ぶ体験が数多くあり、これによって現在の問題に対峙すべき姿勢が明確になり立ち向かう力が湧き出てくるので、ストレス解消のためには最強のパワースポットだと思っています。
(高野山での体験はこちらの記事にまとめています)

個人的にお気に入りなのは、壇上伽藍にある根本大塔です。

根本大塔内部

「宇宙そのもの」である大日如来を中心に5体の如来が配置され、それを囲むように菩薩が描かれた柱が巡らされています。
これはまさに宇宙そのものを具現化した空間です。
正面には椅子が置いてあって、そこに座って大日如来と向き合い、ひたすら宇宙と一体化するイメージを持ち続けます。
本当なら一日中でも座っていたいくらいで、さすがに迷惑なので人が増えてきたら退散しますが、平日は人も少な目なのでちょっと瞑想するくらいには十分な時間を取れると思います。

他にも奥の院などパワーを感じられるスポットは沢山あるので、色々巡ってお気に入りのスポットを見つけていただければと思います。

アフター高野山

高野山にいる間はできるだけ世俗のことを忘れて、「宇宙と自分は一体である」「利他の心」をとことん自分に叩き込みます。
そうすると帰る頃にはストレスゼロ、前向きに生きる気力に満ちています。しかし世俗に戻ると残酷なもので、スーパーに行けばおいしそうな肉や酒が並び、外食に行けば魅力的な料理や酒がメニューに載り、みんな幸せそうな顔で飲み食いしてます。
そんな中で「最低限生きるだけの食事と水だけで結構」という訳にもいきません。
今時、高野山のお坊さんですらそんな生活はしていません。
そうした様々な快楽に少しずつ流される度に、また煩悩にまみれていき、悩みの種が芽吹いてきます。
こんな誘惑の多い現代だからこそ、高野山のように煩悩をリセットしてくれる存在はむしろ必要性を増しているのではないでしょうか。
でも現役経済人の私はずっと高野山にいる訳にもいきませんから、世俗でも高野山のパワーを受け取る手段として、護摩行ライブを視聴して少しでもパワーを長持ちさせています。
(「私の朝のルーティン:護摩行ライブ」の記事参照)

外国の方がはるばる日本に来て、そこからさらに3時間ほどかけてまで訪れる高野山。
仏教を信じていようといまいと、何らかの気付きを得て帰れる場所です。
日本人として、一度は行っておいて損はないと思います。

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