Inside of my submarine

中身が空っぽな人間は、常に外に向かって逃げるしか生きようがない。ここは、読んで、書くこ…

Inside of my submarine

中身が空っぽな人間は、常に外に向かって逃げるしか生きようがない。ここは、読んで、書くことしかできないぼくが、空っぽな自分であるときの 逃避先です。ただ、ぼくがどういう人間か知りたい人だけが留まって欲しいです。それ以外の有効な情報はありません

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ヤモリの「えぎ」

 東京には不思議にもヤモリがたくさんいる。長野の木曽福島町にしか住んだことがないので、日本の他の地域と比較はその程度だが(あとは長野の北アルプスの山小屋くらい)、韓国やアイルランドでヤモリに出会うことはなかった。だが、今住んでいる一戸建てのアパートには、ほぼ毎日のようにヤモリが顔を出してくれる。  最初の出会いはもう数年前になる。キッチンの角であった。いつの間にか貼られてあったしっかりした蜘蛛の巣にかかっていたのが初めての出会いであった。それほどでかい蜘蛛の巣でもなかったので

    • ガストのおばさま

       日本はファミリレストランで長居をする人がかなり多い気がする。食事が長いという意味ではなく、そこで本を取り出し、パソコンを取り出す人がかなり多いという意味だ。僕もその連中の一人である。美味い唐揚げを頬張ってから、勉強ができることはありがたいことだ。  そういう理由から、度々学校の前のガストを訪れる。従業員はかなり多数いるらしく、同じ人に何度も出会うということはあまりない。にもかかわらず、一人のおばさま(便宜上、「おばさま」と名乗ることにする)は脳裏にしっかりと刻まれている。今

      • 「終わりの意識」

        「The sense of Ending」Frank Kermodeを読んで。  カーモードはこの本にてしつこく「終わり」の感覚を問う。  日本語では「カチカチ」にあたるTick-Tockという言葉において説明されるその感覚は、小説Fictionの基本的構造となっており、小説Fictionにより絶え間なく再生産されてきた。  Tickという語には、当たり前のようにTockという言葉が続く。Tickは「始まり」であり、Tockは「終わり」となり、小説はその間Intervalの

        • キムチ

           キムチという食べ物がある。  この言葉を耳にしたことがある人は、かなり多くいるはずである。今ではスーパーでも、コンビニでもよく目にするようになった。  僕が子どもの頃はそうではなかった。僕は母とともに年に一度か二度、夏・冬休みに長野にある木曽の母の実家を訪れていた。その頃は、今のように辛ラーメンやチャミスル、韓国海苔や韓国のお菓子が簡単に手に入るような世の中ではなかった。母と僕のトランクの中には、プレゼントとしてそれらのものがたくさん詰まっていた。その中にはキムチもあった。

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        • 呟き
          4本
        • モノ語り
          4本
        • 勉強:哲学、文学
          3本

        記事

          厚着

           今日は、昨日と一昨日の気温は一体何だったのかと問いたくなるほど、また冷え込む1日だった。花冷えなのだろうか。韓国では、花冷えを「꽃샘추위(コッセム・チュイ)」という。直訳すれば「花妬み寒さ」とでも訳せるだろうか。「花が咲くのを妬むような寒さ」と言う意味である。  花は気にせず咲いているようだが、ひさびさに取り出した半袖を着た僕は、一日中「寒そう」と言われ続ける羽目になった。  今日は、アルバイトを終えた愛方と神保町で待ち合わせをした。古本祭のためである。(愛方もそうである

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           それほど人付き合いに優れていなかった僕には、子供の頃からの友達が一人いる。  親が友達同士であったせいもあり、親が通っていた教会が同じだったこともあり、生まれて間も無くから友達であった。友達になった、のか、それとも友達として生まれたのか、よく見当がつかない時もある。  しかし、大学に進学するころから、顔を合わせることが少なくなった。 よく人は言う。何の連絡も取り合わずにいても、ひさびさにあっても楽しく話ができ、時間を過ごせる人こそが本当の友達であると。  そのことに異見はな

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          アフガンの撤退に対するTBSの報道を受けて

           2021年8月31日。アメリカが20年に及ぶ戦争を終わらせ、アフガニスタンに滞在していたすべての軍を撤退させた、との報道があった。TBSの報道は驚くべきに平易で、愚かなものであったように感じる。そもそもの期待値もなかったが、その愚かさには驚愕せざるを得なかった。  2001年の9・11テロに対するほぼ仕返しに近い侵攻は、当地にあるある団体を支持し、彼らに政権を握らせるためであった。アメリカが支持をした者どもは「政府」となり、その反対側にいたものは「タレバン」などの名前がつ

          アフガンの撤退に対するTBSの報道を受けて

          沈黙

          黙り込む 黙り込みたい時がある 沈黙 黙らされる 仕方なく黙らさられる時がある 沈黙 あなたには その差がわかるか 酷く引きちぎられた その傷跡が あなたには わかるか 沈黙ののち お皿の壁についている キャベツを眺める 眺める、眺める、そして、眺める あなたは 壁についたキャベツの無意味さが わかるか 私が友と呼び願うあなたよ あなたは、わかるか わかるか、わかるか、そして、わかってくれるか

          月光

          月よ、 貴方はなぜこちらを照らすのか 月夜 1人歩く木道 暗闇に飲み込まれた背後 目前の木道は ヘッドライトがなくとも 貴方のおかげで歩ける だが、月よ 僕は暗闇が怖い 貴方はそうではないのか 仄かな貴方の輝きに、 反射に、僕は、僕らは答えまい それでもよかろうか 貴方の無限に広がる暗闇は、 その名前すらついてない 空虚な空間は、 貴方一人で耐えられるのか 僕は暗闇が怖い 僕の飲み込まれた背後が怖い 貴方はそうではないのか

          グレゴール

           僕はロマンという言葉に恐る。小説ではなく、ロマンチックという際のロマン。それは常に僕の中のどこかに、例えば膝裏に、脇の下に、指先に潜んでいる。無言に潜んでいるわけだが、その存在はうるさい。その声は、僕にだけ聞こえるのだ。喚き声とも嘆き声とも言いうるその存在のうるささが。不意に音は僕から漏れ出ていき、他に届く。時には音として、時には空気として、そして、常に振動として他を揺らす。不意を撃たれた僕は恐怖に襲われる。恐怖は不安となり、不安は持続する。常なる持続ではなく、断絶をも含む

          庵野秀明のようなもの

          「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明スペシャルをみた。 このノートは、その感想ともいっていい。とても個人的感想で、客観的な正しさなどを主張するつもりは全くない。ドキュメンタリーという作品に対する、僕の感情をここにとどめておく、僕の視点を提示する、そしてできればそれについて話し合える人(非難、批判を含めて)がいるといいな、くらいの思いで書いている。  プロフェッショナル、という番組の、庵野さんVerってことなのか、まだよくわからないが、庵野さんを捉えるには、最悪の構成であ

          庵野秀明のようなもの

          私は差別などしてない

           ぼくは、タイトルの文章を堂々と言える人ではないと思う。差別を感ずる被害者のみがそれが差別かどうか、判断できるものであり、時によっては被害者も差別であることを意識できなくなっていることもある。  ぼくは、長い間「差別」というものについて考えてきた気がする。それは大した考えではなかったが、ぼくの人生の中では重要なポイントだった。その思考の中の一つについて書いてみたい。  アメリカで行われるAA(Affirmative Action:以下、AAと記す)は、いろんな訳し方があると

          私は差別などしてない

          デリダにおける「現前」

           ポスト構造主義、いや少なくともJacque Derridaを勉強するためには、「現前」という単語について知らなくては何も進まない。  青土社の「現代思想ガイドブック」シリーズの『デリダ』に置いて、著者であるニコラス・ロイル氏は、デリダの思想における鍵観念の提示を拒否する。なぜなら、その鍵観念というものをデリダのものとして、あるいは確固たる概念として規定してしまってはいけない、と考えるためのように思われる。(理解が間違っているかも知れない)  現前、という概念も、このよう

          デリダにおける「現前」

          「私」と「他者」

           崎山多美という作家をご存知だろうか。沖縄県西表島出身の作家である崎山は、1979年に「街の日に」で新沖縄文学賞佳作からデビュー、「シマ籠める」で1990年芥川賞を受賞した。  崎山氏については、講演会や論文集などから接しただけなので多くのことを語ることをできないが、崎山氏の作品のもっともわかりやすい特徴は、作品の中に、ウチナーンチュ、つまり沖縄語を自然に使うということだ。  例えば、こういった感じにだ。 ”でもヤぁ、都合の悪いことをつごうよく忘れて、知らんフーナー見らんフ

          「私」と「他者」

          「わかる」「わからない」

           ”ところで最近、いろいろな場面で「分かる」「分からない」という言葉を耳にする。『ナヌムの家』の上映やそれにともなう討論のなかでも、そんな言葉がよく交わされた。はたしてわれわれに「従軍慰安婦」であることを強いられたハルモニたちの「痛み」がわかるだろうか、というコンテキストにおいてだ。もちろん、「被害者」に安易に感情移入して──あるいは感情移入できた気になって──彼女たちの代弁者として語ってしまうことへの危惧というものがあるからだ。むしろ、「私にはわからない」と言い切ることの方

          「わかる」「わからない」

          卑怯者

          ”問題はむしろ広汎に存在する反ユダヤ主義を見せかけだけ否定することに、ユダヤ人ブルジョワジーが自己欺瞞のためのあらゆる舞台装置を用いて現実から逃避していることにあった。こうした逃避は、カフカやそのほかのひとびとにとってユダヤ人、いわゆる東方ユダヤ人(東ヨーロッパのユダヤ人)からのしばしば敵意に満ちた、そして常に傲慢な分離を意味していたひとびとは、より正しい知識をもっている場合でもなお反ユダヤ主義を東方ユダヤ人のせいにしていたからである。” (「阿部斉訳、ハンナ・アーレント著『