「私」と「他者」


 崎山多美という作家をご存知だろうか。沖縄県西表島出身の作家である崎山は、1979年に「街の日に」で新沖縄文学賞佳作からデビュー、「シマ籠める」で1990年芥川賞を受賞した。
 崎山氏については、講演会や論文集などから接しただけなので多くのことを語ることをできないが、崎山氏の作品のもっともわかりやすい特徴は、作品の中に、ウチナーンチュ、つまり沖縄語を自然に使うということだ。
 例えば、こういった感じにだ。

”でもヤぁ、都合の悪いことをつごうよく忘れて、知らんフーナー見らんフーナー、忘(バス:原文は振り仮名)キタンよ。我(ワン)の記憶には無(ネ)ーらんしがテ”
(崎山多美「ユンタクサンド(or 砂の手紙)」『三田文学』第97巻135号、2018年11月13頁)

 バスキタンよ、と言われても、と思うほどさっぱり分からない表現を、ところどころ書かれる漢字と文脈から読み取れる。しかし、「でもヤぁ」のように、日本で国語とされる言語でも使われるような言葉遣いも、「ヤ」だけをカタカナにすることで異様な雰囲気を醸しだす。イントネーションの違いや、発音の違いを表したのかもしれない。
 このように、崎山氏の作品には、カタカナと超音、見慣れぬ振り仮名などが入り混じっている。

 卒論を書くことで、もっとも好きになってしまった作家の李良枝(いやんじ)氏や、今も活発に活動されている温又柔(おんゆうじゅう)氏も、似たような形で、一般的に「日本語」とされる枠を崩していく。
 日本語使用を通して、日本語の枠を崩していく、といった実践が描かれる彼らの作品群は、ドゥルーズ・ガタリが述べた「マイナー文学」に当てはまる。だが、読んでいて、「我が伝統の日本語を崩すなんて!」と怒りを感じるかたもいるかもしれない。
 これらの作者の作品は、その怒りに対する真正面からの実践でもある。「我が」は、誰でしょうか。「伝統」とはなんでしょうか。「日本語」とはなんでしょうか。「日本語を崩す」とはなんでしょうか。と
 上述の文章の各々のパーツは、一概にはある確固たる領域を有し、それは揺らぎないものとされる。しかし、実際そうであろうか。

 上の問題は、あれだけでもずっと語り得るような、重く深いテーマなのでここら辺で、切り上げる。より深く知るためには、
 ・ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』書籍工房早山、2007年
 ・酒井直樹『死産される日本語・日本人 ─「日本」の歴史-地政的配置』新曜社、1996年
 ・イ・ヨンスク『ことばという幻影─近代日本の言語イデオロギー』赤石書店、2009年
 ・同作家『異邦の記憶─故郷・国家・自由』晶文社、2007年
 などをオススメする。

 崎山多美の説明で長くなってしまったが、今日軽く考えようとしたのは、崎山氏の作品にも現れる、崎山氏の思想、といったものについてである。それは、温氏、李氏の思想にも共通するものである。下の引用から見て欲しい。

”私などは、相手からウチナーンチュのイナグであると認知されたと感じた時、ある虚脱の状態に陥る。まるで自分が透明人間になってしまったような。そんな時だ、「私」とは何なのだ、と言わずもがなの問いを思わず発してしまうことになるのは。”
 (崎山多美「9 「他者」の名前」(崎山多美『コトバの生まれる場所』砂子屋書房、2004年2月、95頁)

 ぼくはしばしば聞かれる「何人ですか?」と。日本ではあまり無いが、アイルランドに留学していた頃は、8割くらいの初めて会う人から聞かれ、逆にこちらからも聞いていた。
 その度に、ぼくは少し戸惑う。「韓国人です」と返事をしてしまい、気にしなければそれはそれでいいのだが、それがなかなかできない。問題は、日本で「韓国人です」と言った場合だ。
 その際には、「なんで日本語が上手なんですか?」と聞かれる。ぼくの日本語はあまり上手では無い。(不可能だが)あえて客観的にいうとするなら、あまり日常で使われない単語、かつぼくが慣れてない単語の場合イントネーションが少し狂う。あるいは、基本的な漢字以外には、ペンと紙を渡されると漢字があまり書けなかったりする。しかし、少し話したくらいで「日本人でない」ことがバレることはあまりない。だが、「韓国人です」と言った途端、ぼくは日本語が「上手」な所以を説明しなければならない。それをあえて聞かない人でも、聞いているような目つきをする。
 「育ちは韓国ですが、母が日本人なので家の中では日本語を使ってました」と、数十回繰り返し述べて、もう確固たるフレーズ化した上の文章を又述べる。
 その説明をすることは、ぼくが「日本人」ではない(前は国籍を持ってたので日本人だった)ことを浮き彫りにさせられる気がする。いや、「韓国人です」と言った瞬間からそうなのかもしれない。多分そうだろう。だが韓国人とはなんだろうか、日本人とはなんだろうか。ぼくにはさっぱりわからない。
 例えば、2歳児に会った時、ぼくはその子の国籍を知りたがるだろうか。彼らは自分の国籍の認識があるだろうか。もし、7歳児に出会ったとしよう。「普通の日本語」を使っている。だが、見かけは「外国人っぽい」。さりげなく聞くかもしれない「あなたはどこの国の人?」
 そこから、その子のアイデンティティの揺らぎが始まるのだ。学校や家に言って、聞くかもしれない「私はどこの国の人?」と。「韓国人だよ」「アメリカ人だよ」「ギニア人だよ」「タジキスタン人だよ」などと言われるかもしれない。だったら、聞き直すだろう。「友達はみんな日本人なのになんで私だけ日本人じゃないの?」どれだけ賢い答えができるかはわからないが、始まってしまったアイデンティティの揺らぎがなくなることはないだろう。特に、日本ではマイナスなイメージを持つ国籍を持っている場合は、その揺らぎは増すだろう。

 崎山氏がいう、「私」とは何なのだ、という質問、それを丸ごと他者に向けて、あの人は何人なのだ、と言い切れる人はいない。
 ぼくをある程度しか知らない人だったら、韓国人で、日韓ダブル(ハーフという言葉はあえて控える)で、韓国育ちだけど、今は日本の大学生(今年の3月まで)で、男性で、日本語が外国人にしてはうまいと語るだろう。
 ただ、ぼくと長く付き合っている人は、それ以外のことをいうだろう。なんでも知りたがり屋で、負けず嫌いで、村上春樹、村上龍が好きで、無駄な時間が生じることを病的に嫌うけどユーチューブなどで時間を潰してしまいストレスを受けて、センサティブ過ぎて、タトゥーを入れたいと4年いい続けながらいまだに入れてなくて、などと。
 後者は、ある程度ぼくだ。はっきり言える。だが、前者の場合は、ただ単にカテゴライズしているに過ぎない。しかし、カテゴライズされた説明に過ぎなくとも、皆は「ああ」と納得する。つまり、我々は他人に触れる時「範疇」を通した、大雑把なことでしか触れられないのだ。しかし、それでも納得し、わかりきったようになる。実際の知り合いだったら、そこからの付き合いからいろんなさらなる情報を得るだろう。
 だが、そうでない場合、大きなバイト先で、名前と国籍くらいしか知らない場合、あるいはネット上であってり、ちょっとした有名人をテレビ越しで見たりする場合、我々は一体どれだけその人々を知っていると言えるだろうか。

 「韓国人」だ、と範疇化された場合、ぼくはいろんなことを考えざるを得ない。日韓関係のおかげで、政治的問題に敏感な人はちょっとした敵対感を覚えるかもしれない。相手が在特会などの極右団体の人だったら、「クソ朝鮮人め」と考えるかもしれない。K-popや韓ドラが好きな人だったら、好感を抱いて色々聞いてくるかもしれない(ぼくは、両方について皆無なほどの知識しか持たない)、あるいは気にしないかもしれない。
 最後の「気にしないかもしれない」場合がもっとも望ましいのだが、その判断は明確に下せるものではない。常にぼくは嫌われているか、好かれているか、に怯えるしかない。新宿で見た嫌韓デモを見て以来、パブリックな場で韓国語を使うことも少し怖くなってきた。

 子供の頃は、まだ植民地期を経験した世代が多く残っていたので(ぼくの祖母も28年生まれなので経験していた)、学校では植民地期の歴史をかなり興奮した様子で教える先生もいた。周りの年寄りや、先生で、直接ぼくを植民地期の支配者としての日本人と繋げ合わせていじめる人はいなかったが、授業中日本占領期に日本帝国が土地を奪い、人を徴用し殺したとの歴史を聞くときは、なんとなく後ろめたさを感じた。小学生の頃の友達は(子供は残忍だ)ぼくを韓国支配のシンボルでもある伊藤博文に讃え、いじめる子もいた。その時、ぼくは少なくとも純粋な「韓国人」ではなかった。

 ぼくが純粋な「何人」であったことがあるだろうか。多分、日本にいた時にぼくの国籍だけを聞いたものからは「純粋な韓国人」としてみなされていたかもしれない。だが、自分は「韓国人」であったことも「日本人」であったこともない。しかしぼくは常に「韓国人」か「日本人」とみなされてきた。
 それは他の属性からも同じだ。男性として、あるいは、大学生として。それらの衣は、片面的な事実ではある。しかし、その事実もカテゴライズ化された、あえての事実であって、本当の「事実」ではない。
 にも関わらず、それによってぼくは判断され、判断されることを恐れる。そしてそのことから、他の自分は消されていく。それが、崎山氏の感じた、「虚脱」感だったのだろう。

 最近、ぼくは他人に「何人ですか」と聞くことを控え、男性女性であると決めつけるような言い方を控え、なるべく人を判断しないように努力をしている。誰にも言葉の暴力を犯したくないからだ。暴力とは言い過ぎかもしれない、という人もいるかもしれない。本当にそうかもしれない。だが、ぼくは少しながらその精神的暴力を経験した。ぼくよりひどい暴力に置かれるものもたくさんいるように思われる。少なくともぼくは、その加害者側には立ちたくない。しかし、知らず識らず常に加害者側に立たされてしまっていることも十分知っている。
 なぜなら、ぼくには限られた知識しかなく(教育の問題もある)、完全に他人を理解するとはそもそも不可能であるからだ。

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