ヤモリの「えぎ」

 東京には不思議にもヤモリがたくさんいる。長野の木曽福島町にしか住んだことがないので、日本の他の地域と比較はその程度だが(あとは長野の北アルプスの山小屋くらい)、韓国やアイルランドでヤモリに出会うことはなかった。だが、今住んでいる一戸建てのアパートには、ほぼ毎日のようにヤモリが顔を出してくれる。
 最初の出会いはもう数年前になる。キッチンの角であった。いつの間にか貼られてあったしっかりした蜘蛛の巣にかかっていたのが初めての出会いであった。それほどでかい蜘蛛の巣でもなかったので、ヤモリがひっかかっていることが不思議に思えた。が、そのこはちゃんと捉えられたまま身動きが取れなかった。僕はそのこの蜘蛛の巣を取り除き、家の外にそっと置いてあげた。クリッとした目玉があまりにも可愛かったので、動画だけ撮らせてもらった。その翌々日くらい、もう一度家の中でヤモリに出会った。今度は蜘蛛の巣にひっかかっていなかったが、僕が手を伸ばし掬い上げようとしても特に動かなかった。少しだけ手の上で遊ばせてから、また家の外に出してやったが、僕はそのこが救ってくれたことに対する挨拶にきたのだと信じている。(信じたがっている、という言葉は、多くの場合「信じる」の同意語のようだ)
 その後、家は一度工事が施された。築50年を過ぎていたので、家主さんが心配をして家を全て取り壊し、立て直してくださった。アパートは2年前に出来上がり、今は築2年のニューカマーだ。そして新たな家に住み込んでから間も無く、ヤモリが家の前の赤い郵便箱の周り、「〇〇荘」と書かれた扁額の裏に住み着いた。昼はいないのだが、夜10時頃家に帰ってくると、十中八九扁額の周りで顔を少しだけ出している。時には足だけ、時には尻尾だけ。ある時は体全体をあらわにさせて、壁にペタッとくっついていた場合もあった。僕はそのヤモリの写真を毎日愛方に送っていた。愛方と僕は家に帰ったことをラインで報告することが慣わしだが、僕はいつもヤモリがいるかいないかを報告がわりにしていたし、いる時には必ず遠くから写真を撮って送った。(家に着く少し前からカメラをつけたまま、歩いてくるのだが、それcも逃げてしまって撮られない場合もあった)僕と愛方は、そのヤモリを韓国語で「赤ちゃん」を意味する「えぎ」と呼んでいた。韓国では可愛い生物をよく「えぎ」というあだ名で呼ぶ。(付き合っている人に使われることもしばしばある)「えぎ」は、毎晩家に帰る際に、ちょっとした微笑みを与えてくれるそれこそ「家守」としていた。ただ、僕は「えぎ」がいることを喜んではいたが、所有したことはない。一緒に住みたいと思ったことはあったが、「えぎ」が望むかどうかもわからないし、どうすればいいかわからないためだ。
 ただ僕は、毎日のように顔を出していた「えぎ」がいることに喜び、数分間の喜びを得ていた。

 だが、今朝衝撃的な知らせを受けた。家主さんの親戚の子どもたちが週末に家に来ていたらしく、その子どもたちが「どうしてもヤモリが欲しい」といい、家の庭を探し回した挙句、二匹のヤモリを取ったらしい。(僕の住んでいるアパートは、家主さんの敷地内の一角にある。)虫取りケースに入れられたヤモリの写真が送られてきた。ヤモリは今、長野に連れて行かれ、「ともだちに自慢」されているだろう。そして、家主さんは、僕の「郵便ポストも周辺もしっかり探した」けど探せなかったとおっしゃっていた。その子たちは、また取りに来ると言っていたらしい。
 僕は衝撃を受け、返す言葉が思いつかなかった。今このように呟いていることも、その衝撃を和らげようとする努力に違わない。ケースの中のヤモリが、「えぎ」なのかどうかはわからない。だが少なくとも、そうかも知れないという疑念は強くある。そして、ポストの周辺を探したことは、僕が「えぎ」がうちの守神みたいに毎日顔を出している、ということを家主さんに言ったことがあり、幾度かインスタグラムにその写真を載っけたことがあったことを、家主さんが思い出してのことであるだろう。

 僕は、子どもの頃、昆虫博士になりたいと言っていた。「ファーブル昆虫記」を読み尽くし、本棚の角で埃をかぶっていた十冊ほどのノートの繋ぎ目に穴を開けてつなげ合わせ、「〇〇〇(僕の名前)昆虫記」と名付け、蟻について何かを書いていたことを覚えている。その頃は、多くの昆虫を取って、結果的に殺してしまっていた。なん匹かのカブトムシ。なん匹かのクワガタムシ。なん匹かのコオロギ。なん匹かのカマキリ。なん匹かの芋虫。数十匹の蟻。一匹のカメ(ミシシッピアカミミガベ)。などなど。不思議に、カメ以外の生物の死に直面したことについては、覚えていない。全く覚えていないことに、僕にとってその命がいかに軽々しかったかを物語っているように思えてならない。なので、何もヤモリを連れて行ってしまった子どもたちが、残酷だと訴えようとするものではない。その子どもたちは、実際にとてもいい子たちである。(子どもが苦手な僕にとってもだ)
 また、僕が「えぎ」を可愛がっていることを知っている家主さんが、ポスト周辺を探したことも、家主さんがひどい、と訴えたいとも思っていない。田舎に住む僕の父は、鶏小屋の横にある犬小屋(鉄柵でできた本当の小屋)に犬を飼っており、父にとって犬は家畜である。僕は父の、家主さんの行動が、それぞれの今までの生の中で積み上げてきた感覚であることを知っている。それが間違っているなどとの判断など僕が下せるわけがない。
 ただ、僕のポストと扁額周りが徹底的に調べられ、ヤモリが連れ去られた現実が、あまりにも「ひどい」と思うのだ。

 子どもたちは、僕が幼児期におじいちゃん(祖父など、距離感を感じる言葉は使いたくない)に言っていたように、ヤモリを「飼いたい」ではなく、「どうしても欲しい」と言った。「欲しい」とは、「自分のものにしたいと思う。手に入れたい」という意味らしい。朝鮮語では、この場合、「갖고 싶다」(カッコシ(p)タ)という。直訳すれば「持ちたい」である。
 不思議なことだ。僕の父は犬が「欲しい」とは言わないだろう。父にとって犬は、家を守る番犬としての「機能」が大事であって、それは所有欲、という欲求とは違う。
 子どもたちのいくつかの意味での「純粋な」欲求は、いつからあった現象なのだろうか。いや、命が宿っている生物に対し、その生物の生殖地や脊髄の有無、繁殖の仕方などによって区別され、あるものに対しては尊さが保たれ、あるものに対しては河辺の石ころくらいの価値しか見出せなくなったのは、いつ頃からだろうか。子どもの頃の僕にとって、小さな昆虫は「動く石ころ」それ以上のものでも、それ以下のものでもなかった。
 この純粋な所有欲、つまり何の手段としてでもなく、それ自体が目的とされるにも関わらず、目的とされたものに対する配慮のなさからは、その「不必要」な性質が最も際立って見て取れるのではないだろうか。それは無くてもあっても、生活するのに何の問題をももたらさない。とって食べるわけでも、侵入者を知らせるのでもない。ただ、「持っている」と気持ちがいいのだ。そして、大人はそういう子どもの欲求を満たしてあげる。

 ここ数十年間で、日本と韓国では動物の地位に対する議論が数多く行われ、一般の認識も変わってきた。にも関わらず、犬と猫などのごく少数の「ペット」以外の動物は放置されている(多くの犬や猫が飼い主から捨てられることも忘れてはならない。人はケージの中の動物を「買い求め」て、都合に合わないと、それを「捨てる」)。野良猫が可愛がられ、その数が莫大に増えていることで野鳥や小さな動物の数は年々減少している。また、希少な動物は気候や環境が相応しくない場所に建てられた動物園などに入れられ、死を待っている。それらの動物は、動物園の所有者の「所有」にあるだけでなく、それを見る全ての人々によって共同所有されている、とも言えるのかも知れない。
 こんな状況からには、昆虫やヤモリなどの小さな動物がいちいち守られることなど、あと数百年が経っても訪れるかどうかわからない。人間が、必要によってではなく、不必要であり、それらのものを尊重することもなく、ただ「欲しがる」という事実は、果たして「自然」なのだろうか。僕は昨日も一匹のゴキブリを潰した。どこかそのゴキブリを可愛がっていた人がいるかも知れない。だが、それが問題なのではない。ゴキブリはただ生きていた。ヤモリのように。ゴキブリの場合は、不必要であり、尊重されないだけでなく、いなくて「欲しい」が故に殺された。ヤモリとは裏表の違いしかない。
 ヤモリが純粋な所有欲によりケースに入れられ連れ去られたことは、過去の僕の仕業に対し、僕が耐えなければいけない自然の摂理なのだろうか。それとも、現代の人間が全て間違っているのだろうか。我々は生きている。彼らも生きている。そのことは確かである。そこから、問いは始められなければいけない。


いつかまた、えぎに出会えますように。


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