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【毒親連載小説#33】海外渡航前のこと 1

このように
私が成人した頃には
生まれ育った家庭はもちろん
また、日本という国にも
なにひとつ未練などなかった。

かといってこの先、
将来どうしたらよいのかも
分からずにいた。

そんな私が祖国である韓国に
自分の居場所を見出そうと
一縷の望みを持つようなったのは
自然の流れだったのかもしれない。

その望みは、強い願望となり
それはすぐに私の目の前に
とある「チャンス」として訪れた。

大学3年生の頃だった。

周囲が就職活動で
忙しくしている中、
私は彼らとは確実に
別の道を歩もうとしていた。

いや、正確に言うのならば
私はあの集団からは完全に
外れてしまっていて他の道を
選ばざるを得なかった。

そんな中、
私は大学内の掲示板で
韓国への交換留学制度が
あることを知った。

私はずっと
朝鮮学校に通っていたので
韓国語が喋れるという
アドバンテージがあった。

「チャンスの女神は前髪しかない」

長い期間、
じっとそのチャンスを
待ち構え続けていた私は、
待っていましたとばかりに
前のめりでその前髪をグイッと
鷲掴みにした。

こうやって私は
韓国への留学の切符を掴んだ。

しかし、
私にとって韓国留学は
大きなハードルが2つあった。

ひとつは「国籍」。

韓国人なのになんで?

きっとこれを読んでいる人は
そう思っていることだろう。

告白すると、
私が生まれた時に
与えられたのは「朝鮮籍」だ。

私の祖父母は韓国で
生まれ育ったのにも関わらず…だ。

「朝鮮籍」

この何とも不思議な「記号」。

北朝鮮と国交のない日本にとって
「朝鮮籍」とは、国籍ではなかった。

そのため、私が以前に
所持していたものは
パスポートではなく
「再入国許可証」という
「パスポートのようなもの」
だった。

これは、
もし私が外国へ出たとしたら、
日本に再入国することができる。

ただそれを証明するだけの
書類に過ぎなかった。

つまり、私は
「朝鮮籍」であった頃は
パスポートというものは一切
持っていなかったのだ。

読者の方々は
知らない人がほとんどだと
思うので少し説明をすると、
私が与えられた
この「朝鮮籍」というのは
生まれた国や血筋で
決められたものではなく
親の代から遡って説明が必要だ。

日本には
北朝鮮系の組織「総連」と
韓国系の組織「民団」という
2つの組織があるのだが、
私の両親は当時、
どちらの組織を選ぶのかという
「政治的な理由」で国籍が
決められた。

当時、両親の時代は
社会主義国家が支持されていた。

そんな流れから、
両親はともに総連を選び、
それは即ち「朝鮮籍」を選ぶこと
になったというわけで、
その子供として生まれたのが私…
と言うわけだ。

この何とも奇妙な
「国籍のようなもの」によって
私のルーツは歪曲され、
複雑に絡まっていることを
私は留学に行きたいと思った
この大学の頃になって私は
初めて知ることになった。

(つづく)

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