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【毒親連載小説 #26】気づけない父のモラハラ 1

母はストレートに
怒りをぶちまける人だったのに対し、
父は巧妙な手口で私や兄弟を洗脳し、
見えないところでコントロールする
ような人だった。

それは「皮肉や嘲笑」
という見えづらい一瞬の否定。

時折、言い放つ
緩やかな脅し文句。

そうやって、
相手の様子を見ながら
罪悪感を植え付け、
人の感情を巧妙に操り
コントロールする。

そんなある種の狡猾さを
持っていた。

私が高校ぐらいの頃から、
母の問題行動は
確実に増えていった。

うつによって処方される
睡眠薬の種類は尋常ではなかった。

母はいつも大きなビニール袋の中から、
何十種類もの薬を一つ残らず飲んでいた。

それでもまだ眠れないから
…とアルコール摂取も増えた。

そして、一番最悪なのは、
夫婦喧嘩の怒りに支配された母は、
怒りに任せて睡眠薬とアルコールを
一緒に飲むのだった。

他にも母はこの時期、
パチンコに完全に依存していた。

当時、パートで働いていたお金は、
ほぼパチンコに消えたのでは
ないかと思う。

また、父はこの頃から
今までの商売をたたみ、
タクシー運転手として
働きに出るようになった。

タクシーは24時間勤務の後に
1日休みが入るので、
1日置きに帰ってくるようになった。

すると母は、
父が仕事で出かける日は、
決まって夜遅くまで
パチンコに興じるようになった。

母が夜遅くに帰ってくると、
決まってスーパーの出来合いの
おかずの袋を持って帰ってきた。

そして私たちはそれを黙って
食べるのだった。

母が帰宅し、
私の側を通り過ぎた瞬間、
母からタバコの匂いが
プーンと漂ってくる。

そして、パチンコの端玉で
替えたであろうお菓子や
お酒の茶色い紙袋を持っている。

母はいつもそれを戸棚に
こっそり隠していたのは
パチンコに行った後ろめたさ
からくるということは
私たち兄弟は全員知っていたが、
誰もそれを口にすることはなかった。

また、
土日に父が出勤していない日は、
母は朝早くからパチンコ屋の
オープン時間に合わせて
パチンコに明け暮れることもあった。

私はそんな母を見ながら、
これが我が親かと思うと
情けないやら、恥ずかしいやら…
軽蔑のような気持ちが
入り混じっていた。

この母の問題行動に対して、
父は気づいているのかいないのか?
いや、きっと
気がついていたはずだ。

しかし、父は面倒なことには
いつも向き合おうとしなかった。

当時、母のパチンコ依存症が
ひどくなっていったことをいい口実に、
父は母を「悪者」として
吊るし上げるようになった。

(つづく)

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