「旅行がつまらない」という感覚
自ら好んでする旅は、楽しくて素晴らしいものであるべきだ。そうあってほしいものだ。
そして私も、今回の旅が充実したものになるだろうと、そう確信していた。
しかしながらその期待は裏切られた。なんと、旅程計画を立てる前からちっともワクワクしないのである!
もっとも、私は細かい日程を立てるほど繊細ではない。大雑把に「この日はここら辺にいるといいね〜」くらいにしか計画を立てておらず、宿も取らないし、どの列車に乗るのかもあまり考えない。半ば気まぐれ旅みたいなもので、大学生のころからそんな感じで全国津々浦々を訪れてきた。
旅のスタイルは時代とともに移り変わる。昔なら命懸けで、ときに使命感を持って旅を遂行していたのだろうが、文明が発展した現代ではレジャーの仲間入りを果たし、自発的な旅行がメインになった。
私の今回の大雑把な旅程も、自発的に組んだものである。しかし、結果的にはそれに満足できなかった。出発のタイミングで二の足を踏み、スタバでマキアートやエスプレッソをかっこみながら迷い悩むこと4時間!その結果、旅を諦めて近所をほっつき歩くことにした。旅行前のワクワク感を感じられず、行っても楽しめないのではないかという思いが頭をよぎったからだ。
では今回の旅程の何に満足できなかったのか、もう少し具体的に話そう。
まず、行き先がベタな場所だったのは言うまでもない。東京近郊の松本や新潟は、確かに新鮮味に欠ける。ただし5年間北海道に引きこもっていた私にとっては約10年ぶりの場所もあるわけだし、さほど大した問題ではないと分析している。実際、現地の美味しいグルメや、某アニメの聖地巡礼には期待していたし、道中の温泉にも思いを馳せていた。観光への期待感は高かったし、今でも食べてみたい、行ってみたいという願望はしっかりと残っている。
となると、次に思い当たるのは交通手段である。私は鈍行で旅をすることが多い。昔に時間をかけて何度も通った線路の上をもう一度トレースするのは、正直億劫だ。しかしながら、きっぷによっては途中下車可能なので選択肢は駅とダイヤの数だけ広がるし、それに特急だって使いたいと思えばショートカットに使う。鈍行は大抵各駅停車だが、車窓に飽きたら持参してきた本を読むし、読書に飽きたらiPadもある。車内の暇つぶしには困らない。交通手段もさほど問題では無いように思う。
…と、そんな感じであれこれ思案したが、結局は心持ちの問題にたどり着いた。
旅を通じて日常から離れ、気楽さを体感する人は多いが、意図しない緊張感を覚えることもある。車窓の風景が移ろう向こう側にはさまざまな人の営みがある。その地方の人からすれば、私は旅行客で、つまりお尋ね者である。お尋ね者である以上は、その土地に根付く文化風習を無根拠に踏みにじる言動は慎むものである。客と現地の人、お互いに敬意を払うことで自然と緊張感が生まれるのだ。一方的なおもてなしなんぞ、クソッタレの極みだ。
旅行の醍醐味の一つは、客が現地にいる人の息遣いを感じられる点にあると私は考えている。
だから、ただ列車に乗り、現地の食事を楽しんでホテルに泊まるというスタイルは当たり前だと思いつつ、そこに控えた若干の無味乾燥に拒否反応が出てしまったのかもしれない。
ちなみに今回はホテルではなくゲストハウス(あるいは駅寝)を考えていたが、予約も何もしていないのだからどう転ぶかわからない。もしかしたらその不完全性がストレスだったのかもしれない。
とにかく、人並みに旅行が好きな私が、まさか「旅行がつまらないからやめるわ」と当日キャンセルするとは思わなんだ。精神的な調子を整えるのも、旅の備えには大事であることを痛感した出来事だったとさ。