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「明治天皇」ドナルド・キーン著を読む

平成三十年二〇一八年十〇月二十三日に、明治大政奉還百五十周年記念を迎えたことから、これまでの祖国の近現代史を顧みるとともに、今後の国家百年の計を展望して、国家と共にある我が身の日本人としての自覚の覚醒を試みることとして、平成十九年二〇〇七年、日本学研究者でコロンビア大学名誉教授ドナルド・キーンが著した「明治天皇」の訳本が、角地幸男氏の手で文庫化されたことで、私も皇国史上、最も重要な明治天皇について整理することとした。

明治天皇祐宮が誕生した頃、朝廷は、攘夷の嵐に揺れていた。幕府では、徳川家茂から慶喜へと征夷大将軍の地位が譲位され、それとと共に、朝廷幕府の権力内部で、日本の最高権力者が「タイクン」将軍から「ミカド」天皇へと、言わばクーデターが尊王攘夷となって引き起こされ、英仏露蘭の欧米列強に示される形となった。その際、公家の策士、岩倉具視が暗躍して孝明天皇、徳川家茂はともに毒殺されたとする説もある。

慶應の新しい治世となって、西欧列強諸国にとっても関心事となった。イギリスは朝廷を支持して、フランスは幕府を支持した。フランス全権公使レオンロッシュは薩摩長州両藩を挫くため、鹿児島、兵庫両港の開港を慶喜に進言した。

幼少期の明治天皇を読み進めてきたが、キーン氏が描こうとしたのは、決して神格化された明治天皇ではなく、昭和天皇が戦後の「人間宣言」の経緯を経たように、明治天皇もまた幼いながら、幕末の動乱に苦悶する等身大の人間の姿を描写しようとしたことは共感する。

明治天皇は、権大納言左近衛大将一条実良の妹美子を花嫁候補に迎える。美子は、諸学諸芸に通じ、古今和歌集、和歌、本朝三字経、筝曲、笙、能、謡曲、茶道、生け花を嗜み、健康な才色兼備で大層、天皇に気に入られ、やがて婚礼の儀を経て皇后となる。ふたりの門出は、天皇家と一条家のみならず、日本の護国豊穣、子孫繁栄をも意味していた。

ドナルド・キーンは、米国艦隊ペリー来航と並んで、ロシア艦隊プチャーチン来航を描写しているが、ペリー総督が、英仏の威信を借りて武力で威嚇しながら迫るのに対して、プチャーチンは、来日中の地震、嵐、火災など災禍に耐えながら和親条約に臨んだことを紹介して、ロシアには親近感を覚える。

欧米列強との不平等条約締結から始まる明治の近代化は、当時米国艦隊が太平洋横断ルート開拓のために、日本の石炭資源を求めたことからも、石炭、蒸気船を動力源とした大航海時代のうねりに伴う、帝国主義時代の幕開けは、世界貿易、世界経済の胎動を促すとともに、旧来の東アジアの華夷秩序を失墜させた。

外国人居留地の存在は、隠れ切支丹の問題と結び付き、日本では200年以上に渡ってキリスト教が厳禁されていたにも関わらず、隠れ切支丹らは土着の信仰を堅持していた。安政四年一八五七年、米国公使タウンゼントハリスと老中堀田正睦との間で、信教の自由を保証し、米国人はその居留地内にプロテスタント教徒の礼拝堂を建設する自由が約束された。同じ頃、フランス人宣教師が、長崎地方でカトリック教の布教を展開していた。自分たちと信仰を同じくする宣教師の到着に、隠れ切支丹らは大いに喜んだ。さらなる混乱から、長崎奉行所は浦上村教徒を逮捕した。これに対し長崎在住のフランス、ポルトガル領事は、長崎奉行所に抗議し、釈放を要求した。後、徳川慶喜はフランス全権公使レオンロッシュを引見した。引見は表向きは、貿易交渉で、幕府は武器輸入先としてフランスに大いに依存していた。そのためフランスは捕縛された教徒の放免を要求できる強い立場にあり、結果慶喜はこれに応じた。しかし幕府の隠れ切支丹らへの弾圧は続いた。

日本近現代史の幕開けは、国際化、グローバル化に尽きる。ここでいう国際化とは外交事象のみをさすのではない。政治・経済・社会・文化といった総合的な歴史通史において国際化が進んだ。同時に皇室の西欧化を前面に謳った脱亜入欧の国家主義は、明治期、大隈重信の国葬に朝鮮王室李家からも来賓を招くほど、その外交関係において濃厚ぶりを示したものの、特に太平洋戦争や昭和の時代を通じて、在日韓国人・朝鮮人ら在日コリアンの差別問題として後を引き、彼らに暗い過去を残した。しかし、参政権運動をはじめとした彼らの社会運動によって差別は、二〇〇〇年代前後からの新興国の躍進に伴って、大いに払拭されつつあるのが現実と考えて良いであろう。

帝紀において、歴史上、傑出して最も重要な役割を担った明治天皇だが、そればかりか、国家の定義を、生命、財物、資本の三要素と考えれば、これらの三要素は非常に流動性を帯びており、大正、昭和、平成、令和の時代を超えて、今日に至っては、大坂なおみ選手や八村塁選手の世界的活躍を筆頭に、世界では百三十六万人に上る日本語学習者、日本語能力試験JLPTの受験者(二〇一九年現在)が存在することからも、その人種的文化的言語学的背景を含めれば、グローバル規模にまで発展を遂げた日本人のその地球人としての定義概念の生物学的な驚愕の変容を挙げることができるであろう。

二〇〇〇年前、イエス・キリストの教えが、古代ローマ帝国で国教化され、その後大航海時代を皮切りに、宣教師によって地球的規模で世界的普及に成功した。開国以来の日本のグローバル化が、日本伝燈文化の根本を成す、やはり聖賢の教えである仏教思想や儒教思想が、同じく世界的波及を見るのならば、そこに日本伝燈文化が打ち立てた目的の趣旨は達成されたと言って良いだろう。いや東洋文化による啓蒙思想が日本人のみにとどまる理由は皆無であり、日本文化の国際化が、ややオーバーツーリズムながらも、臆することなくその意図の分別に過ちさえ起こさなければ、洋の東西を問わず外国人にも万遍なく解放されることこそ、聖賢の教えである仏教思想や儒教思想もキリスト教と同様、グローバルな価値に値する。キリスト教の宣教師がそうしたように、おもてなし、英訳ではホスピタリティと言える啓蒙を諸外国の隅々に図る、まさに、大地の緑が失われようとする今、日本文化という地球の癒しの涌き泉が、押し寄せる世界の疲弊した訪日外国人旅行客を潤すのに溢れんが如く、二〇〇〇年前のイエス・キリストの花園が日本の桜となって開花するような、世界の民を新たにする運命を宿した日本伝燈文化の本旨こそ、後生の歴史に刻まれるだろう。

このドナルド・キーン氏の大作を読み進めながら、明治天皇と大隈重信ほか幕末明治の志士について理解を深めたい。

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