文化を作るにはお金が必要?
以前「幼保無償化について思うこと」で、
「我々は『問題が複雑で、実行するのに時間も労力も資金も要することを丁寧に紐解いて、制度や法律を制定してトップダウンで変えていく』ことを政治や行政に望んでいるのであって、お金が欲しいわけではない」
と、個人的な思いを記しました。
無尽蔵にお金が湧き出して来るのなら、そりゃ過度なインフレ懸念の無い限りどんどん配っていただきたい。
でも、お金にも人的資源にも限りがある中で、少子化対策が最優先課題の一つであるとはいえ、単にお金を再分配するということが今優先的に取り組むことなのかなぁ、という思いがありました。相当に緩和されて来たとはいえ、まだ「働きたくても働けない」人が一定数いるのは事実で、フルタイムの継続勤務者のみならず、パートタイムで働く人や再就職者など、これまで保育園に入園することが難しかった人達にまで門戸を広げることが先決ではないか、と。
しかし。いろいろ考え、調べてみると、少なくとも「幼保無償化」については、このタイミングで実現出来ていることは喜ばしいことで、対象についても、所得制限等設けることなく「一律」無償化することが最適解なのかもしれない!と今は思っています。
[子育てや教育にお金がかかりすぎる]
2015年頃の調査結果ではありますが、文部科学省の資料を見ると「理想の子供数を持たない理由」のトップが「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」。
引用:幼児教育の現状/文部科学省@令和2年2月17日 幼児教育の実践の質向上に関する検討会(第8回) <参考資料6>
「どのようなことがあれば、あなたは(もっと)子供が欲しいと思うと思いますか」との質問に対しては、「将来の教育費に対する補助」が68.6%、「幼稚園・保育所などの費用の補助」 が59.4%。
引用:同上
逆に言えば、「3割〜4割の人は『教育費や幼稚園・保育所などの費用の補助があれば子供が欲しい』と思えるわけでもない」ということでもあるものの、これらの結果を見ると、「幼保無償化」が少子化対策のための一つの有効な手段である、というのは納得がいきます。
[他国も無償である]
さらに、イギリスやフランス、韓国など、諸外国でも幼児教育の無償化が進んでいると言います。
引用:同上
何においても、「他国も○○だから日本も!」と考えるのは早計ですが、貴重な財源を幼児教育の無償化に割いている国が複数ある、というのは、認識しておくべき重要な事実だなと思います。
[トップダウンの意識改革]
上記2つは「幼保無償化」の裏付けであって、必ずしも「一律」無償化を後押しするファクトではないですが、私が個人的に「一律」無償化が最適解なのかもしれないと思ったのは、それによって「文化」を作れると思ったからです。
「子どもは将来の国や世界を形成していく社会の宝であり、子育ては母親だけの仕事ではなく、父親が参加してもなお十分ではなく、社会で一丸となって取り組んでいくべきものだ」という文化。
子どもが幼少の頃から、義務教育のように、国の施策として無償で保育・教育の機会を提供することで、「子どもを育てるということは、社会全体で担っていくべき役割なんだ」という意識が社会全体に浸透していくのではないか、そうなったらいいなと思っています。
そのためには、所得で制限を付けて格差是正としての側面に力点を置くのではなく、「一律」で対応するのがベストなんだと思います。「所得が上がったら幼保無償化の対象にならないのなら、働かない」なんていう、103万円の壁と同じような事態にもなりかねないですし。
[まだまだ「育児=母親の仕事」]
上記のように考えたのは、まだまだ「育児=母親の仕事」という意識が根強いなぁと感じたからです。
「子どもを持つことは女性にとってキャリア上のハンデなのか?」でも触れましたが、出産と授乳を除けば、育児は男性でも担えます。「ママじゃないと泣かれてしまう」なんて声も聞きますが、それは一番身近でお世話をしてくれる安心できる存在がたまたまママだったから、なのであって、パパやその他の人が同じように身近でお世話をして安心できる存在になれば泣かないのでは、と思います。
けれど、これだけ共働き世帯が増えてもなお、育児を母親と結び付ける意識は強く、ワーママは外での仕事に加えて家事育児も中心的に担うという、あり得ないほどハードワークな状況を強いられています。
社会の意識も確実に変わってきてはいて、家事育児を担うパパが増えてきたというのは事実としてあると思いますが、恐ろしいのは、未だにママ自身も「家事育児をきちんと担えない自分に罪悪感を感じる」ケースがある、ということです。
子どもを産むという選択をした以上、その子を最大限の愛情を込めて大切に育て上げるということは、親としての責務ではありますが、母親だけの責務ではありません。まして、パパと同じように働いているのに、それプラス家事育児も全て担うなんて、キャパオーバーになって当然です。それでも、「育児=母親の仕事」という意識が根強い私たちは、仕事も家事も育児も中途半端になってしまっていることの責任は自分にあると思い込み、自分を責めます。やがて、「そもそも仕事も家事も育児も全てを一人で担えるはずがないじゃないか!」という当たり前の事実に気が付くと、怒りの矛先がパパに向かいます。「なぜ、私だけが全てを背負ってこんなに苦しい思いをしなければいけないの!」と。しかし、パパもパパで、大分社会の意識が変わって来たとは言え、残業をしている同僚を尻目に保育園のお迎えのため「男性が」仕事を切り上げるということに対する偏見や、制度として認められていても「男性が」育児休暇を取得するということに対する偏見と、未だ戦わなければいけない状況なのだと思います。その事実に気が付いてから、「そうか、敵はパパじゃなく、社会の意識なのだな」と思うようになりました。
ママは「家事育児をきちんと担えない自分に罪悪感を感じる」必要もないし、きっと精一杯頑張ってくれているであろうパパに対して怒りを覚える必要もない。(事実として「精一杯」でないようであれば、そこはきっちり話し合いましょう!笑)
パパもママも、そして社会も協力して、未来を担う大切な子どもたちを出来るだけ笑顔で育てていけるように、「子どもは社会で育てるものだ」という温かい文化が一層広がっていったらいいなと思います。