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謙遜を通り越したら、本心が消える。

例えば、あなたが誰かに褒められたとします。

その時、「ありがとうございます」と言う人もいるでしょうが、反射的に「いえいえ、そんなことないですよ」と言う人もいるでしょう。

もちろん自分では、そんな風に思っていないのもあるかもしれませんが、それよりも、「まぁ、そうですね!」と自慢げに言うのも印象が悪いため、“謙遜”を使っている人が多いのではないでしょうか。

このことを決して悪いことだとは思いませんが、あまりにも謙遜しすぎると、自分の本心がどこにあるのか分からなくなることがあります。

僕は、“謙遜”の度が過ぎてしまうタイプの人間なので、どんなことでも下げてしまいがちです。

「仕事、どんな感じ?」ときかれれば、『いやぁ、すごい大変ですよ。朝までやっているときなんて、しょっちゅうですし、やるもんじゃないですよ』なんて、言ってしまいます。

「休みの日、何してるの?」ときかれれば、『まぁ、学生時代の同級生とい一緒にいることが多いんですけどね、もう、ロクなヤツいなくて、この前なんて、急にすっぽかされたりしたんですよ!』なんて、答えてしまいます。

僕がこういう風に喋るのは、“謙遜”をしているからです。

「素晴らしい仕事をやっていて…」「心を許せる親友がいて…」と話すよりも、笑いに繋がりやすいし、照れ隠しの意味もあります。

なので実際は、案外、仕事にも友達にも苦しめられてはいません。

「こういう語り口の人間だ」と理解されれば、全然問題ないのですが、なかには素直な人がいて、「この人、大丈夫かな?」「愚痴が多いな…」と思う人もいます。

結局、そう伝わってしまうと、語弊を招くだけですし、余計に面白く伝わりません。

なので、語り口を柔らかくして、「好きな仕事やっているんですけどね…」「学生時代からの同級生がいるんですけどね…」と言うのが適切でしょう。

しかし、こういう風に謙遜してしまう人は、多いでしょう。

結婚した人は「結婚なんてするもんじゃないですよ」、子どもがいる人は「毎日が戦争ですよ」というセリフは、定番です。

もちろん、本心と言えば本心なのでしょうが、結婚や子育てが楽しい面もあるはずです。

でも、良いところから言うのではなく、まずは謙遜して大変さを伝えることで、聞き手にリアルさが伝わるし、優越感を与えることができます。

話を聞いている人も、完全にハッピーなことしか言わない人が目の前にいると、腹を割って話せそうな気がしないし、場合によっては、いらだちに変わります。

例えば、現代は「自粛するのが正義」という風潮があるため、外に出て楽しんだ話をすると、「こっちは我慢しているのに!」と怒りを覚える人が多いはずです。

いくら感染予防対策をしても、いくら大切な仕事だとしても、外に出て楽しんでいることに、いらだつ人もいるでしょう。

これは決して、このご時世だからではなく、ほとんどの大人は、多かれ少なかれ苦しみを味わって生きています。

自分が苦しんでいる中、相手が幸せそうにしていると、腹が立ってしまったり、「俺はダメだ…」と思う人もいます。

僕は、聞き手を追い込まないように、これからも謙遜していくでしょう。

ただ、ある程度謙遜した後は、ちゃんと自慢するように話さないと、自分もなんとなく苦しい気分になってしまいます。

「疲れる」「大変だ」「面倒くさい」ばかり言っていると、自分が何が楽しいのか、分からなくなってきます。

そうならないように、謙遜する人こそ、好きなことの好きな部分もしっかり話す必要があります。

コミュニケーションとは、謙遜と自慢のバランスを取りながら、楽しむものかもしれません。

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