反抗期とは、ひとりぼっちになる勇気
最近の若者は、反抗期がないと言います。夢もないし、やりたいこともないと言います。そのせいで、さとり世代と呼ばれます。
僕は若者ですが、何かをクールに悟っているタイプではありませんでした。
納得できないこととは、とにかく闘って、徹底的に自分を貫きます。
高校時代、何らかの行事があると、体育着で登校しないといけない日があるんですが、うちの高校はジャージの上しか用意されておらず、下がありません。そのため、上は紺の長袖で、下は赤の短パンというダサい格好になります。別に、体育祭の練習だったら着替えればいいだけなので、制服で登校しても何の問題もありません。だから、貫いていました。
あと、体育祭の種目で棒倒しというものが行われたんですが、それは全校生徒の男子が上半身を脱いで参加しないといけないのです。先生たちは、脱がないと危ない、演技だから脱がなきゃいけないと言っていましたが、その割には後夜祭の出し物で、筋肉自慢の男子が脱ぐことを良しとはしていませんでした。そんなセクハラまがいのことをするぐらいなら、種目を変えればいいし、道理もよくわからないです。
こう考えると、僕という人間は本当に面倒くさいです(笑)。屁理屈ばかりの人間です。これは大人からすると、理想をうだうだ語っている若者だし、反抗期なのかもしれません。しかしながら、わざわざ母親に向かって「クソババア!」とかいって、甘えきった態度をとったことはありません。家の外で、納得できないことと闘ってきた中で、どうせ社会に出たら頭を打つとか、先輩に殺されるとか、そんな批判をたくさん受けてきただけです。
確かに、現在も上手くいっている気はしません(笑)。でも、こんな生き方を続けてきて何が残ったのかといえば、ひとりぼっちになる勇気です。
誰に肯定されなくても、誰に認められていなくても、自分の姿勢を貫くことで、必ず一人になります。誰かに笑われたり煙たがられて、傷つくことはたくさんあります。人格否定なんて当たり前です。
でも、この“ひとりぼっちになる勇気”がなければ、周りに人がいないことで不安に感じたり、誰かに自分を肯定されたくてたまらないです。
しかしながら、誰かに存在を肯定されないと、自分自身は大した人間ではないのか、誰かとつながっていないと、自分自身は価値が高くないのか。絶対そんなことはありません。
それを証明するために、必死になって生きている気がします。そんなものは捨ててしまって、長い物に巻かれたらラクなのに。
いえ、僕はこれからも反抗期なので、そういうわけにはいきません(笑)。
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