子ども視点からの卒業は、まだ難しい。
僕は、小さい子どもだからといって、子ども扱いして接しません。
いきなり赤ちゃん言葉になったり、「可愛い!」と連呼したり、頻繫に抱っこしようとしたり、そんな近づき方をしません。
決して、小さい子どもが嫌いというわけではないのですが、どうしてもそうするのは気が引けてしまうのです。
子どもが好きな人は、子どもを見るたびに笑顔で近づきますが、僕が子どもなら、なぜ顔見知りでもない僕に近づいてくるのかも分からなくて怖いですし、その理由が子どもだからだと知ったら嫌悪感を抱きます。
僕が小さいときも、笑顔で近づいてくる人に嫌悪感を抱いていましたし、子どもだからという扱いをされるのが、なかなか嫌なことでした。
そんなこと言っても子どもだったので、特別抗うことはしませんでしたが、子どもの世界で起こっていることを、少しは大人に理解してほしいと思っていました。
子どもの時は、大人にとってはしょうもないことで悩みますし、泣きます。
「逆上がりができない」とか、「兄にいじめられる」とか、道端で転んで泣くとか、お化けが怖くて泣くとか。
しかし、それすらも可愛いと思ってしまう大人は、子どもが一生懸命わめいても、すごく笑顔で見つめます。子どもからすれば、生死がかかっているほど苦しんでいるのに。
なので僕は、子どもが苦しんでいる姿を見ても、全然笑えません。その子どもなりに、一生懸命にもがいた結果の涙だったり、思い悩んだ時の表情だったり、その子どもの視点では最高潮の苦しみだったりするからです。
僕自身は、こういう風に子どもと接するのは、何も悪いと思っていませんが、一つだけ大きな問題があります。
それは、子どもが苦しんでいる姿を見ると、それに共感して自分も泣いてしまうことです。
先週の日曜日に放送していた、TBSラジオ「全国こども電話相談室」では、子どもが疑問に思ったことや、実際に苦しみとして抱えているもの、そういうことを大人にぶつけるのですが、子どものリアルな言葉を聴くと、なぜか涙が溢れてきます。
大人にとっては、それほど悩む必要はないということばかりですが、子どもにとっては、それが全てだったりします。
「どの部活に入ったらいいかわからない」とか、「どうしてお姉ちゃんばっかり頼られるの?」とか、「なんで人の心は見えないの?」など、真剣に大人たちに疑問をぶつけます。
僕は、その質問内容をきくたびに、自分の子どもの時の視点を一気に取り戻し、その苦しみを想像してしまいます。
もしも僕に子どもがいたら、子どもの話を聞くだけで何度も泣いてしまう、余計嫌悪感を抱かれる父親になりそうです(笑)。
まだまだ、大人として成長する必要があります。理想は、子どもの苦しみに寄り添いつつも、的確な言葉を伝えることです。
子ども視点を接してしまうのは、僕が大人になりきれていないだけなのかもしれません。
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