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「寂しい」のは、自分を客観的に見過ぎているから。

僕は、ここ最近まで「寂しい」という感情を感じたことは、ほぼありませんでした。

沖縄から1人で上京して、「実家が恋しい」と思ったこともないし、「誰かと会いたい」と思ったこともなく、東京での暮らしは快適でした。

作家の養成所に通っていた時も、東京で新たな友達を作る気もなく、誰とも群れることなく、生きていました。

そんな時、同期の一人から言われました。

「稲本くんって、めっちゃ浮いてるやんな?」

関西弁のその男は、僕のことをたった一言でこう表現しました。

「浮いてる」ときくと、自分が原因でみんなに馴染めていないように聞こえてしまって、自分が問題のある人間なんだと自覚させられました。

とはいえ、「浮いてる」つもりが全くない僕は、「俺は、お前らみたいに群れるのが嫌いだから、1人でいるだけだ」と言って、彼らの方に問題があるという片付け方をしました。

しかし、彼が言い放ったその言葉の意味が、ようやく分かるようになり、自分の方が少数派であることに気がつきます。

それが、渋谷の街に一人で出かけたときです。

僕と同い年ぐらいの人たちは、友達や恋人と渋谷に来ていて、楽しそうな会話をしています。

もちろん、1人で来ている人もいますが、その人たちはだいたい待ち合わせだったりするので、僕は仲間がいない気がして、勝手に孤独を感じます。

僕は周りの若者たちを見て、自分のことをやっと「寂しい人間だ」と自覚するようになりました。

自分を見てくれる相手がいない、用事が終われば特に行き先もない、感動しても伝えたい言葉が誰にも届かない。

この状態を、「寂しい」と言うんだなと理解しました。

その瞬間、今までの自分の発言を振り返っては、反省しました。

好きでもない人と付き合っている人には、「なんで付き合っているのか、分からない」と言ったこともありますし、寂しさに悩んでいた友達に「そんな悩みより、悩むべきことはもっとあるだろ!」と言い放ちました。

みんな寂しかったから、妥協点の恋人を作ったり、僕に話しかけてくれたのに、その寂しさを分かってあげられませんでした。

でも僕は、こうも思うんです。

あなたは、そんなに寂しい人間じゃないよ。

振り回される恋人に時間を使うほど、意味のない馴れ合いをするほど、寂しいことを埋めるために時間を使うほど、寂しい人間じゃない。

寂しいと感じるのは、周りの人と比較しすぎているから、そう思うだけなんです。

渋谷の若者たち、SNSでの飲み会の写真、たまに会う友達の話が、「お前は寂しい人間だ!」と脅迫しているように聞こえてくるかもしれませんが、周りと違うことに焦らなくても良いんです。

焦って、自分を発揮できない環境に身を置くのはもったいないし、「寂しさを紛らわす」のが目的になる人間関係は、相手にも失礼です。

自分の人生に主観的になれば、寂しさは自然と消えていきます。

仕事や恋や勉強など、自分がやりたいことや好きなことに夢中になれば、寂しくなんてありません。

正確に言うと、周りと比較する暇がなくなるので、自分が寂しいかどうかが分からないのです。

かく言う僕も、渋谷で「寂しさ」に襲われてしまったので、もう一度自分の人生と、しっかりと向き合わないといけない時なのかもしれません。

そのきっかけをくれたのなら、「寂しい」って、悪い感情じゃないですね。

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