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外で呼吸することは、傷つくこと。

基本的に僕は、家で引きこもって仕事をすることが多いです。

忙しい土日月は、家から一歩も出ずに、仕事に没頭していました。

こうして、家から一歩も出ない日を何日か送っていると、ある弊害が生まれます。

それは、外の空気を吸うことが怖くなることです。

誰かと会うのが怖くなったり、面倒くさくなるのです。

そんなこと言ってたら、何もできなくなるので、火曜日になったら散歩に出かけて、行きつけのカフェに入ります。

しかしながら、あまりにも誰とも繋がっていない時間が長いと、良からぬ思考が思い浮かびます。

「今、入店したら迷惑じゃないかな?」
「今日は、席がいっぱいしてないかな?」
「店長、俺が来ても、相手しないだろうな…」

いつもなら当たり前のように入るカフェでも、いつもの3倍ぐらい気を遣ってしまいます。こういう風に考えてしまうと、結局、入り口の前で引き返してしまいます。

別に客の一人なんだから、お店側からすれば迷惑なことはないのですが、僕は自分が迷惑をかけてしまうかもしれない可能性を考えたら、そこから先は行動できなくなります。

一見、相手に迷惑をかけないようにしている、極限の気遣い青年に思えますが、実態は少し違います。

本音を言うと、自分が傷つきたくないのです。

もちろん、相手に気を遣っている部分も多少はありますが、それよりも迷惑そうな顔をされるのが怖い、自分が歓迎されなかったら怖いという気持ちの方が、大部分を占めています。

これは、人と繋がっていないからこそ、起こることだと思います。

人と繋がっている感覚がなければ、人からの言葉や態度に敏感になってしまいます。

自分の繊細さにも磨きがかかってしまい、すぐに割れてしまうガラスのハートになります。

自分一人でいると、誰かに傷つけられることはありません。

でもその代わり、誰かのおかげで得られる喜びもありません。

真心のこもったサービスだったり、自分に向けた面白みのある話だったり、愛嬌のある笑顔を向けてくれることも必然的になくなります。

自分を守ろうとすればするほど、豊かさとはかけ離れていきます。

もちろん、傷つくことは怖いことです。

でも、誰しも傷ついて当たり前ということも覚えておかなきゃいけません。

誰かのさりげない発言にも、誰かの失礼なマナーにも、世の中の仕組みにも、傷つけられながら、みんな生きているんです。

傷つくことに慣れていって、だんだんと泣かなくなって、人とつながることに喜びを感じた時、楽しく感じます。

傷つけられたらゲームオーバーではありません。

一人でいるより何倍も喜びを生み出せるのですから、傷ついても突進していけば、喜びにたどり着くはずです。

その喜びだけを目指して歩けば、傷つくことなんて、ちょっとした上り坂のようなものです。

多少体に負荷がかかっても、上りきった先に、美しい景色が待っていると信じて、上りきりたくなります。

喜びにたどり着くために、僕は今日から、しっかりと外で呼吸をしたいと思います。

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