見出し画像

人は、覚えたいことしか覚えない。

「えっ!?  あのこと、忘れたの? 覚えてないの?」

共通認識しているはずの話を、どちらかが覚えていないとき、覚えている方はショックを受けます。

自分だけが覚えていて、相手が覚えていないなんて、当然寂しくなるし、自分を惨めに感じてしまうでしょう。

しかし、人は、そんなにいろんなことを覚えてられません。そして、覚える必要もないのです。

こう言うと、僕が覚えてない人を正当化しているようですが、そういうわけではありません。

むしろ、僕は記憶力が良い方なので、他人の話を忘れてしまっていることは、ほとんどありません。

そのため、「自分だけが覚えていて、他の人が忘れている」というシーンに直面することの方が、圧倒的に多いです。

はじめは、「この前、話したじゃん! なんですぐ忘れるの?」と思っていたのですが、いろんな人と喋っていくうえで、自分の方が少数派だと気づきました。

人は、それぐらい頭を使わなくなっていくし、特に記憶力に関しては、勉強を辞めた途端、一気に衰える人が多いです。

特に、両親と喋るときは、いつもそれを実感させられます。

翌日には、僕の話したことの9割は忘れるので、毎回、同じ話を何度も繰り返す必要があります。

最初は、それが面倒でしたが、ある程度繰り返していくと、記憶している話、記憶していない話に、差があることに気がつきました。

覚えたいこと以外は、覚えない。

これまで「忘れている」と思っていたのですが、それは少し違っていて、はじめから、覚えたいこと以外は覚える気がないのです。

「忘れている」と思えば、多少は申し訳なさを感じますが、覚える気がないのであれば、申し訳なさを感じる必要がなく、何度だってきけばいいと考えます。

若い人は、記憶力が高い人も多いので、どんなことを覚えようとします。

結果、自分にとって良いこと、悪いこと、どうでもいいことなど、なんでも覚えてしまって、それらの情報が自分を苦しめることだってあります。

しかし、はじめから「覚えたいことしか覚えない」と決めてしまえば、自分を余計に苦しめることはなくなります。

自分の気持ちが良くなる情報だけ覚えて、それを何度でも回顧すれば、毎日ご機嫌に過ごせます。

親世代になると、成績が良いかどうか、恋人がいるのかどうか、結婚するのかどうか、目立つ仕事をしているかどうかなど、子どもの社会的評価につながる話は覚えますが、それ以外の話はあまり覚えようとしません。

自分の失敗した話を何度も回顧されるよりは、社会的評価を受けそうな話を回顧してもらった方が、こっちも安心できます。

なので、恋人同士、友達同士の間でも、覚えていないことにショックを受けなくても良いと思うのです。

おそらく、その人たちにとって、覚えたい話が別にあって、それを何度も回顧して心地よくなっているのです。

相手が喜んでいるなら、それでよくないですか?

他人は変えられないのですから、そのぐらいで考えた方が、記憶力が良い人も、怒りを持たずに会話ができるはずです。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!