美談が美談じゃなくなる瞬間。
美談は、良い影響だけを与えるのでしょうか。
ドラマ『問題のあるレストラン』を観ていたとき、「もしかしたら、美談に追い込まれることもあるのでは?」と感じることがありました。
このドラマでは、男社会で葛藤する女性が中心となり、話が展開していきます。
ドラマの中では、主婦は完璧に家事をこなすという固定概念を持った男性が、妻に対して暴言を吐くシーンがあります。
自分の母は、親父を労わって主婦業をこなせたのに、なぜ自分の妻はそれができないのだろうと呆れ、散々罵倒します。
そのせいで妻は、「自分なんかが…」と思うようになり、自信を失った人になっていきました。
ただ、あまりにもひどい夫の言葉に対して限界が来た妻は、劇中でこう言います。
この言葉を聞いて、僕はハッとさせられました。
夫だって、妻をイジメようと思って言ってないのです。ただ、自分の理想を叶えてほしいと願っていただけ。
そして、その理由を語っただけ。
しかし、それがどんなに正しくても、どんなに叶えてあげたいものでも、無理なことは無理なんです。
人間には得意不得意があって、完璧にこなせる人もいれば、できない人だっています。
できない人に対して、できないからといって責め立てるのは、実は追い込んでいるにすぎません。
相手の気持ちも考えずに、自分の気持ちだけを押し通して、相手が頑張ったことには目を向けられていないことに、気づいてすらいないのです。
これは、実際によくあることで、多分、親から子に対して美談を言ってしまうことが多いと思います。
「自分はこうだった」、「あっちの息子はこうなんだ」、「親戚の誰それはこうみたいよ」なんて、何回も聞いたセリフです。
それを聞くたびに、他の人たちはなんて優秀なのだろうと、僕は劣等感に苛まれていたのを覚えています。
そして、親に悪気がなかったのも分かっています。
なので、自分だって気を付けたい、無意識に人を傷つけないように。
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