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生き物の美しさと科学の美意識 | 稲見昌彦×山中俊治対談シリーズ 第2話

   自分の体は1つだけ。そう思い込んでいませんか。
 ロボティクス技術の進展とメタバースの台頭が、リアルな世界とバーチャルな現実の両面から、人間の身体に根本的な変容を迫っています。洋服を着替えるように気分次第で身体を選び、忙しい時には何人もの自分を同時に使いこなす。そんな日常が刻々と近づいているのです。「稲見自在化身体プロジェクト」が取り組むのは、この環境の実現に向けた地ならしです。技術の開発から人々の行動や神経機構の理解など、複数の経路からアプローチしています。
 我々が思い描く新しい身体像を社会に受け入れてもらうには、多様な視点からの議論が欠かせません。そこで、身体性に造詣が深く革新的な業績で知られる各界の論客を招いた対談を企画しました。ホストはプロジェクトを率いる東京大学 先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授。自ら博覧強記、才気煥発で知られます。
 今回のゲストはデザインエンジニアで東京大学 大学院情報学環・生産技術研究所の山中俊治教授。Suicaの改札機や「美しい義足」など、数々のイノベーションを創出し、デザインと工学の最先端を同時に知悉する人物です。                                                               (構成:今井拓司=ライター)

第1話はこちらからお読みください。

生物と人工物の違い

ロボットのデザインと並行して、山中教授は生物らしさの本質を問う思索も深めます。その出発点は、生物と人工物を切り分ける根本的な差異です。

山中 このように「生き物っぽさ」を研究テーマとして掲げて、「生き物っぽいってどういうことだろう」を探りながらデザインしてきました。作ったものをざっと見ても、外観が生き物に見えることと、外観を生き物に似せなくても、なぜか生命感を感じさせる本質的な構造や動きの間を、模索するようなものばかりだなと思います。
 生き物っぽさについては、本川達雄さんがずいぶん以前の本(『生きものは円柱形』)で「生物の体は柔らかくて湿っていて、いつも変化するよね、それに対して機械は固くて乾いていて変わらないよね、それが一番の大きな違いですよね」ってことを言っていて 。ウェットウェアーという言葉がはやった1990年代のことです。
 それを丁寧にひもとくと、1つは作り方が違う。生物って発生と成長で作っていくのに対して、人工物って、加工と組み立てで作る。結果的にそれが形状の違いにも現れていて、生物ってパーティングラインが基本的にはほとんど存在しなくて、目とか口とか一見パーティングに見えるものも連続したカーブの中に閉じた部分があるだけなんですね。
 形態進化学者の倉谷滋さんは、「生物らしい形の典型は螺旋と節だよね」と言っています。生物が成長しながら何かを作っていくと、自然に等比級数的にラインを作ることになって、結果的に色んなところに螺旋が生まれるんですね。
 それから節ですね。最近わかってきたのが、(数学者アラン・チューリングが生物の形態形成の説明に使えると考えた)チューリングパターンが、どうやら生物の本質的な波を作る行為らしくて、発生学的に見ると節もチューリングパターンとして発生している節がある(笑)。まだ仮説に過ぎないらしいですが。
 そうやってみると、ある種の螺旋として発散する形状と、(節のような)繰り返しのパターンとが、生物の典型の形になっているんですね。その辺りを引用すると生き物っぽく見えるのは、なるほどなと思います。

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 素材も、生物においては物性が連続的に変化するのが当たり前なんだけど、人工物は均質な素材の方が扱いやすい。だから均質なもので加工して組み立てる。エネルギーも、生物は常温の水溶液中の化学反応をベースにしてるので基本的には低出力のものがあまねく存在するんです。人工物は、燃焼や電気といった結構高エネルギーなものを1箇所に集めておいて、そいつを分散して使う。
 それが駆動の仕方によく現れていて、筋肉は分散されたアクチュエーターの集積なので力は出るんだけど動きは遅いですよね。だから、我々の全身は筋肉の伸び縮みを使った加速機構になっていて、肘を持ち上げる時、筋肉は肘の根元にすごく近いところで骨を引っ張ってますよね。「逆てこ」になっていて、筋肉が重さの10倍くらいの力を出さないと持ち上がらないんですけど、なぜそんな損なことをしているかというと、速度を得たいから。筋肉がやたら遅いんで、人体のいろんなところが基本的に加速装置になっているんです。だけど人工物は、高速回転のモーターを減速して使うというのが常識的な使い方になっていて。
 継続性についても、人工物は基本的には変わらないように作って、壊れたら修理する。修理の回数は少ない方がいいのが人工物。それに対して、生物はいつも動的な平衡状態にあって、自己修復を続けている。そういう差をどうやって埋めていけばいいのかと。

美意識の2つの極

生物と人工物が正反対ともいえる関係にあるのはなぜでしょうか。その理由を探ると再び登場するのが人間の美意識です。

山中 1907年の『抽象と感情移入』という本でヴォリンガーが指摘しているのは、我々の美意識の中には自然を賛美してそれに感情移入し、自然の中にいることが幸せだと思う感情と、人工物、人間の頭の中にある抽象的な図形とか抽象化された顔だとかに自然の混乱が挿入されていないことに安心を覚える感覚の両方がある。
 混沌とした自然、複雑で変化と多様性があって、それぞれ個別にローカルにできているものに対する畏敬みたいなものが、自然に対する美意識として根本的に存在する。その一方で、シンプルで普遍性があって抽象的なものをそこから発見した時に、何か理解できた気がするという喜びがある。それは科学者たちが呼ぶところの「美しい」ってやつですよね。この2つの美意識のギャップが根本的に横たわっていて、それが生物と人工物の違いに表れている。

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 (科学者たちは)世界を抽象化してシンプルな法則で理解したときに「美しい法則ができた」と思う。それに汎用性があればあるほど、シンプルな数学で表されれば表されるほど美しいと感じるのは、「こんなシンプルな原理で我々はこの複雑な世界をある程度理解できる」ということに対する喜びですよね。
 人工物はその法則をベースに作られるので、根本的にはできるだけシンプルに作ろうとします。真っ直ぐなものや円筒形だったり、わかりやすいジオメトリーだったり、縦横高さの順に設計したり、あるいは中心軸のまわりに円として設計したり。こうしたことが我々の法則にかなっていて、我々の理解をそのまま転写する形で人工物を作っている。だから、自然界の非常にローカルで複雑な最適化の回答とは、根本的にアプローチが違う美しさを脳内では認識している。
 ただ、このギャップは相当大きかったのが、最近だんだん埋められつつある感覚がある。(理由の)1つは複雑系の科学だと思うし、もう1つは20世紀の初めに抽象を美としてはっきり認識したことも大きいと思うんですよ。
 それまで西洋の美術の世界では、抽象ってちゃんとした美ではなかった。横顔なのに目が真正面を向いているエジプトの壁画は、単に下手な絵だと思われていた。それに対して(ヴォリンガーの指摘などを経て)、むしろ認識として優れているのではないかと西洋美術も気づいて、抽象の表現に入っていく。そこから美術が、それまでの自然賛美から心理探究になっていくわけですけど。美術が向こう側(美しい自然)からこっち(美しい法則)へ寄っていく感じ。
 科学の方も、幾何学こそ最も自然を排した美しいものだったところからスタートして、複雑系の科学が手に入り、コンピューターが手に入り、シンプルな法則が見えない、我々の社会からもどんどん見えなくなっていく中で、美を探すようになってきている。これも、両者が相互に寄りつつあることかなと。
 それ(両者の歩み寄り)が今、我々が新しい美として認識しなければいけないものかもしれない。あるいはクラシックな美のままでも良いけれど、少なくともそれ(シンプルな抽象の美)と両立する世界が想定される状況にあるのかなと思っています。

稲見 話をクリアにするために、あえてお伺いしたいんですけれども、自然と人工物を対比させる場合、自然には無生物と生物がありますよね。ここまでは生物の話だったと思いますが、完全な無生物となると、シンプルなところもあります。

山中 そうですね。宇宙レベルになると急にシンプルになったりしますよね。ただ、星が丸いということも、ある程度科学が進まないと見えなかったことですよね。元々の自然は、我々の周りにあるとても混沌としたもので、生物も無生物も基本的にはそうだった。その中から徐々に抽象的だったり基本原理に忠実だったりするものを認識できるようになってきた状況もあるんじゃないかな。

2つの美意識の歩み寄りは、山中教授のグループが作成するロボットにも反映されています。

稲見 先生の研究室のロボットは、(従来のロボットとは異なり)ワイヤー駆動のものが少ない印象です。

山中 まあそうですね。ワイヤー駆動は1つの筋肉の模倣であって、人工筋肉もそうだし、空気圧もそうだし、一応は使うんだけど、(Apostrophのように)端的に表現するだけで生き物っぽくなるんだから、それ以上頑張って制御するのはやめようよと。
 例えば杉原寛くんと作った「READY TO CRAWL」は稲見先生もよく見ているやつで、現代のからくり人形でもあるんです。稲見先生に「新しい機構学ですね」って言っていただいて、我々にとっても「なるほどそういうことか」と思ったものです。

 この作品などは、先ほどのわかりやすい幾何学をベースに物を作ることから、我々が少しずつ脱しようとしてる動きの1つだと思います。わかりやすいものづくりとは、要するに3自由度なら3つのモーター使うおうぜってやつですね。それぞれちゃんと制御すれば完璧に3次元的に自由に動けるものができるはずで、我々の空間制御の思考ともフィットしていて。そいつを組み立てて、複雑なものを作っていくいうのがロボティックスの基本作法なんですよね。

稲見 機構学が発達して、NCになったときに1自由度1アクチュエーターとなったのが、ここでまた戻ってきた感じですね。

山中 1自由度1モーターは、まさに旋盤で精密な回転体の加工ができるようになったこととフィットしていて、そのことによって1自由度1モーターのすごい精密な重ね合わせができるようになったことが、基本的なロボティクスの発展なんですね。
 それに対して3Dプリンターは、すごい雑だけど複雑な加工をいっぺんにやれるんだよね。精度は全然ないんだけど自由曲面は作れるっていう条件の中で機構学を組み立て直すと、雑だけど生きてるみたいに見えるものを割と作りやすいんですよね。そういう機構学の提案になってますね。

稲見 機構は機構でも、テオ・ヤンセン系とはまた全然違うんですよね。

山中 違いますね。あれはあれでとても精度の高いジオメトリーを要求してる。すごい精度で作らないと動かなくて、みんなにやらせてみても、みんな動かないものしか作れない。

山中研究室のもう1つの作品も、自然の美とサイエンスの再接近をうかがわせます。

山中 以前から知られている、マイクロ流路の中で起こるスラグ流っていう現象があります。2つの混合しない液体を1箇所で合流させると、必ずある種の振動が起こってが交互に入っていく。その現象が綺麗だよね、そいつを使ってわかりやすくビジュアライズする作品を作ってみたらって話から、機械工学科の学生だった山本 凌(しのぐ)君が作ったのが「流点」ですね。

 色んな形状の菅の中に油滴を流してやると、不思議なリズムや生命感が生まれます。それを最後は合流させて、1つのチャンバーの中でもう1回油と水に分かれさせて、混ぜるときの圧力と流速のコントロールが難しいので精密な水頭差ポンプへ持っていって、もう1回流す。これが延々と続く装置なんです。
 ただ、できてから「これはいいよね、でも一体何をしたんだっけ」っていうのはだいぶ議論しなければならなくて。結局彼が見いだしたした答えは、かつては一緒くただった自然界を観察する眼とサイエンスの観察眼が、いつの間にか別物になっていて、ある種の美しさとか快感とかを入れないのがサイエンスの観察であり、逆にそういうものに特化して観察するのが美術の観察と分かれているんだけど、サイエンティフィック・ビジュアリゼーションとは本来それを取り戻す活動なんじゃないかと。科学者がこれを見ても今更なのかもしれないけど、スラグ流を知らない普通の人が、なんでこんなことが起こっているんだろうと学ぶきっかけにはなる。そういうものとしてこれを作ってみましたと。
 こうした文化的な文脈の中でどういう意味を持つのかをまとめて、工学的には安定して動かすための工夫を記述して、彼の修士論文にしました。そしたら(東京大学の)機械系の最優秀論文に選ばれて、日本機械学会の三浦賞ももらったんですよ。こういう文化系的な論文を、機械学会がきちんと評価してくれるんだと喜びました。海外でも、流体のビジュアリゼーションの学会がアメリカにあるんですけど、そこからアメリカでもやってくれないかというオファーが来たり。
 最近の僕の問題意識の中にあるサイエンティフィックな目の美意識のことや、現象自体はクラシックで原理もクラシック、物自体もプリミティブなんだけれど、そういうものを見直す作品にはなったなと思っています。

自在化身体の美と醜

ここで議論が自在化身体に接続します。自在化身体が社会に受容されるために、人の美意識は避けては通れない関門なのです。

稲見 サイエンティフィックビジュアリゼーションは意味も価値もあることなんですけども、ともするとサイエンス側から、昔ながらのコスメティック(見栄えを良くする)デザイン的に思われちゃうところがあんまりよろしくない感じはしています。むしろ、こちら(美術の側)の方が上流かもしれないことをうまく説明できるといいのでは。

山中 そうですよね。その辺を悩みながらなんですけど、自在化身体の話としてあえてこれを出してみたのは、稲見先生のところで作っているものはどれもとても魅力的なんだけど、それを社会化しようとする時に、途端にその問題(美意識の問題)が浮上するようにも見える。だからここでそれを論じるのは、とても意味があるなと思って。肩から生えている機械の手は、どう見えるのが我々にとって受け入れやすいんだろうかといったことは割と本質的な問題かもしれないですね。

図11

稲見 私が第3、第4の腕の話をする時に気になるのが、海外のSF映画とかで腕をたくさん生やしているキャラは大抵悪役なんですよね。スパイダーマン(のドクター・オクトパス)とか。こちら(日本)側だと、阿修羅とか千手観音とかいて、われわれは見慣れた姿かもしれないですが。
 腕が3本4本で悪役になるのは、そこに怖さを感じるからですよね。怖さってどこから出てくるんでしょうね?「不気味の谷」仮説とまた違った観点かもしれないんですけれども。
 先ほどのお話で「美しい」はわかった気がするんですが、一方で「怖さ」も設計可能なものですよね。危険なものを怖く設計するのも1つのやり方なので、怖さもエンジニアリングに使える1つの記号だと思うんです。両方使っているのがギーガーさんとかで、生物と機械、美しさと怖さが両方映えるようなものもありますが。

山中 典型的な怖くないキメラは天使ですよね。だから、我々が生き物に対して持っている根本的な嫌悪感とセットになっていると思うんですけど。多脚の動物ってだいたい気持ちがいいものが少ないので、それとも関係あるかもしれないですね。

稲見 それはむしろ我々が進化の過程で、節足動物とか昆虫的なものは生活空間から排除したかったからかもしれないと。

山中 昆虫って微妙な存在だなって思っていて、丁寧に見るととても美しいんだけど、我々にとって恐怖の対象である、自然の混沌の象徴でもあるわけですよね。どこにでも入り込んでくるとか、何を考えているかわからない、やたら増えるとか。我々脊椎動物系の生物がとってきた、世界を整理していく、最終的には機能というもので世界をどんどんわかりやくしていくのとは逆方向に進化した生き物たちが、恐怖の対象になるというのはわからなくもなくて。その辺と絡んでいるかもしれないですね。

稲見 山中先生のロボットが昆虫ぽくないのは、描かれる時に軸が入っているからでしょうか。

山中 軸はとても重要だと思っていて、僕にとって中心軸ってすごく重要なデザイン上のキーラインなんですね。中心軸周りの円をうまく描くと、それなりに人工物らしいものが簡単にできちゃう。中心軸と直交する軸があって、その向きで接続されているものがあると、ロボットの関節なんだなって風に見えてくる。

図12

 これは今議論になってるテーマとも関わりがあって、僕の中では、さっき言ったサイエンティフィックな法則を見出そうとする指向、人工物的な指向と、そいつをなんとなグニャグニャしたカーブで滑らかにつないでやる(という美的な指向がある)。その関係が、自分の中では両者の接点なのかなと感じます。

稲見 まさにそれが、私の印象では両者のハイブリッドそのものなのかなと。骨は生物で、でも軸は人工物なんですよね。それが接続されて1つの絵に入っているという。

山中 これ、なんとなく半分人工化された膝関節みたいに見えることは見えますよね。

稲見 一方で人間の骨格って軸があるように見えて…。

山中 シンプルな摺動軸ってない。

稲見 ってことを考えても、軸の美しさ、軸をはっきり定めているというのは、ものすごい機械的なあり方なのかなと。

山中 そうです。それはおっしゃる通りです。

センサーとしての美しさ

議論は、人が生物に対して感じるバイアスから、美意識の根源へと遡っていきます。

稲見 生物の話に戻ると、我々がいつもいう生物って実はほとんどが動物なんじゃないか。なぜ動物の引用になりがちなんだろうと。
 最近植物学者と共同研究をする機会があって、「植物の周期と変調」という領域名で、先ほどのチューリングパターン的な、植物に特徴的な周期と変調を調べましょうという話なんですが、その中でお伺いしたのがイタリアの女性の研究者で、植物型ロボットという根っこみたいなロボットを作ってる方がいるんです。バイオインスパイアードロボットでも植物型ってあんまり見たことなかったなと。
 そもそもロボット工学という分野自体が、機能と形状の問題で、どうしても生物に引っ張られてしまうというか、困った時にバイオインスパイアードに逃げてるんじゃないかって議論が、私が学生の頃からあって。せっかく人工物で作るのならば、むしろ生物でできないところをやった方がいいはずなのに、なぜかロボット系の研究者は生物を引用しちゃうし、どうしてもそちらに魅力を感じてしまう。だから一般的な機械工学よりも、ロボット工学の方が学生にも人気がある。
 つまり冒頭の「カラスのくちばし」的なところって、実は見た目とか本人の好き嫌いから、無意識のうちに(研究開発に)入ってくる気がするんです。カラスのくちばしを、みんなが作っている印象がある。

山中 バイオインスパイアードっていう時に、漠然と我々が思い描く生物が、スケール的に我々に近いものしか思い描いてないというのが根本的にはあるんだと思う。

稲見 それは空間スケールと時間スケールの両方ですか。

山中 そうですね。その意味で植物の時間スケールは我々に理解しにくいし、マイクロなものも美意識として理解しにくい。
 ただ逆も言えて、放散虫っていますよね?非常に微小な世界ではほとんど重力の影響を受けないから、(放散虫のような)生物はとても規格的に放射状に成長した骨格を持つことが多くて。
 我々がマクロな自分たちのスケールとして知っている、微小な細胞たちの微小なプロセスのなかで生まれる複雑な形状に対して、微小な世界だけに目を向けると、実は我々がとてもよく知っているシンメトリーとか円筒とかが自然に生まれている。これに気づいてワクワクしたのか、ある時期から顕微鏡を覗いて喜んで描くアーティストがたくさんで出てきたわけですけど。「宇宙ってそうじゃないですか」っていうのもそうで、我々のスケール感覚から外れると、急にわかりやすい世界になったりもする。
 もちろん、さっき自然界の美意識と法則の美意識という言い方をしたんだけど、(そのうち)自然の美というのは我々の時間感覚と空間感覚にとらわれたものであることは間違いない。そもそも自然界の中で培われてきた感覚がベースになっているんだろうなと思います。
 美意識についてなんとなく最近思っているのは、ある種の真理とか、うまくいっていることに対するセンサーなんだろうなと。そのセンサーがなぜ必要かっていうと、生存に直結するからなんですね。体にいい食べ物を手に入れるとか。だから、美しい果物とか、美味しそうっていうのと美意識って結びつきますよね。食欲と美意識と生存本能が直接結びついている。
 そこに性欲が結びつくのも、健康状態の良い配偶者を見つける感覚と関わるんだろうし、恐怖と結びつくのも強力な敵の存在を発見するのに必要だったのかなと思う。複雑な自然の中でうまくいっていることを発見すると美しく見えるし、それを基本原理として理解できると、生きるのがとても楽になった気がする。それが美意識として機能するんでしょうね。

図13

 ただ、文化の中では美意識は結構歪むし、倒錯もあるので難しいことにはなる。美食が典型的ですけど、子供が苦いものや匂いの強いものが嫌いなのは、腐っているものとか毒性があるものとかに対する根本的な忌避ですよね。素直に美味しいと思うのは、栄養価の高い、カロリーが上手にとれるものであって。
 それに対して、美食はそいつらをわざと使うわけです。忌避の対象であるものを混ぜることによって、忌避そのものが快感になる場合もあるし、スパイスとして本来の甘さやおいしさが際立つ状況も作れる。
 美食はすごく複雑化していて、健康なものを見つける舌とはぜんぜん違うところへ行っちゃってる。視覚文化でも同様なことはあって、色んな文化的な重層と倒錯が混ざっているので、一筋縄では行かない状況になっていると思います。

第3話に続く

自在化身体セミナー スピーカー情報

ゲスト:山中 俊治やまなか しゅんじ
デザインエンジニア
東京大学 大学院情報学環・生産技術研究所 教授

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(Photo: Naomi Circus)

1957年愛媛県生まれ。1982年東京大学工学部卒業後、日産自動車デザインセンター勤務。1987年フリーのデザイナーとして独立。1991~94年東京大学助教授、同年リーディング・エッジ・デザインを設立。2008~12年慶應義塾大学教授、2013年より東京大学教授。腕時計、カメラ、乗用車、家電、家具など携わった工業製品は多岐にわたり、グッドデザイン金賞、ニューヨーク近代美術館永久所蔵品選定など授賞多数。近年は「美しい義足」や「生き物っぽいロボット」など、人とものの新しい関係を研究している。近著に『デザインの骨格』(日経BP社、2011年)、『カーボン・アスリート 美しい義足に描く夢』(白水社、2012年)。

ホスト:稲見 昌彦いなみ まさひこ
東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 教授

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(Photo: Daisuke Uriu)

東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授。博士(工学)。JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト 研究総括。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会代表理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS出版)他。
「自在化身体セミナー」は、2021年2月に刊行された『自在化身体論』のコンセプトやビジョンに基づき、さらに社会的・学際的な議論を重ねることを目的に開催しています。
『自在化身体論~超感覚・超身体・変身・分身・合体が織りなす人類の未来~』 2021年2月19日発刊/(株)エヌ・ティー・エス/256頁

【概要】
人機一体/自在化身体が造る人類の未来!
ロボットのコンセプト、スペイン風邪終息から100年
…コロナ禍の出口にヒトはテクノロジーと融合してさらなる進化を果たす!!

【目次】
第1章 変身・分身・合体まで
    自在化身体が作る人類の未来 《稲見昌彦》
第2章 身体の束縛から人を開放したい
    コミュニケーションの変革も 《北崎充晃》
第3章 拡張身体の内部表現を通して脳に潜む謎を暴きたい 《宮脇陽一》
第4章 自在化身体は第4世代ロボット 
    神経科学で境界を超える 《ゴウリシャンカー・ガネッシュ》
第5章 今役立つロボットで自在化を促す
    飛び込んでみないと自分はわからない 《岩田浩康》
第6章 バーチャル環境を活用した身体自在化とその限界を探る        《杉本麻樹》
第7章 柔軟な人間と機械との融合 《笠原俊一》
第8章 情報的身体変工としての自在化技術
    美的価値と社会的倫理観の醸成に向けて 《瓜生大輔》