稲穂

書いていると暗い文章になってしまう人間の日記帳。優しい気持ちで読んでいただけると幸いで…

稲穂

書いていると暗い文章になってしまう人間の日記帳。優しい気持ちで読んでいただけると幸いです。 ニホンゴ、マダジョウズジャナイノ。 #エッセイ #映画評 等々…

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  • エッセイ「石橋を後ろ向きに渡る」

    未来の自分に、名も知らぬあなたに向けた日記。

  • 映画評

    おすすめ映画の感想集。ネタバレには気を付けています。

最近の記事

2021/2/24「回顧録」

 適当に生きている。  ここ最近は、自分の生き方の不真面目さを痛感することが多い。暗い方向にばかり思考を進め、できる努力から目をそらして、楽をしているだけなんだと思い知る。  どうやら4月から私は働くらしい。  それを決めたのは自分だけれど、いまいち実感も湧かなくて、「普通」のレールから反れなくてよかったとだけ思っている。  最後だから、と人に会うことも増えた。このような状況だから大人数は避けているけれど、大学4年間で知り合った数少ない友人たちと、改めて話をすることがあ

    • 2020/08/18「未だ訪れぬ見せ場のために」

       ラストシーンを見終わっていないドラマのようだ。  21年という時間を見終わり、まだラストシーンを見ていないから、私は生きているのだ。「私と未だ出会わぬ誰かとのエンディングを見るまでは、ドラマのここぞという見せ場を見るまでは。」そう思いながら生きているのだ。  ふと気づいてしまった。 「そんな見せ場が今後待っているという保証はどこにある…?」  21年という時間、小中高大と、勉強、勉強、勉強。  勉強はしなくてはいけないものだった。リーダーシップを培わなければ。海外

      • 2020/08/13「私のことは私が決める」

         就職活動もひと段落ついた今日この頃。  志望度合いの高かった応募先から合格通知をもらえたことで、昨年からずっと張りつめていた自分の気持ちが、ぷつんと切れてしまった。大学で親しくしている友人に、話の流れで結果を伝えると、一緒に喜んでくれた。家族もまた、喜んでくれた。  ただ、時々言われる「その志望先でいいの?」という軽い言葉が胸を掠っていくのが、もやもやとして少し分からなくなってしまう。  正直、もうこれ以上頑張りたくない。この1年間、志望先のために毎日勉強して、休日、

        • 2020/07/12「値打ちづけの連続の中で」

           時折、どうしようもなく自分が嫌になって胸が苦しくなる。  「他人のものは俺のもの!」とまではいかないが、普段は自信と余裕たっぷりな態度でふざけてみたりする。しかし、本当はどれだけ自分が弱い人間か、よくわかっている。  人から評価されることにいつも怯えてしまうのは、自分の信念がないからだろうか。何事にも堂々と、着々と努力を積む人を横目に、私は形さえ真似ればいいやと中身のないことをしてきたのかもしれない。 そういえば、お習字の先生にはよく「形は綺麗だけどねぇ」と言われてい

        2021/2/24「回顧録」

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        • エッセイ「石橋を後ろ向きに渡る」
          18本
        • 映画評
          2本

        記事

          2020/06/10「生きることは正義か」

            生きることは正義だろうか。  「死ぬこと以外、かすり傷」だなんて、笑いながら姉と話すことがある。別に本当にかすり傷だというつもりで言っているわけではなくて、どんなに大きな挫折をしても、どうにかなるさというつもりで私たちは言葉をかけることがある。  今日家に迷い込んできたイモリを助けた。夕食の準備をしている時に、ゴキブリ〇イ〇イにつかまっているイモリを発見し、「ごめんよ~~がんばれ~~~」と言いながら1時間ほど格闘した。ホイホイの粘着力の強さに何度か負けそうになったが、

          2020/06/10「生きることは正義か」

          好きな○○シリーズ「私の放送を語る」

             NHK杯全国高校放送コンテスト。通称Nコンが今年は中止らしい。    放送部に所属する高校生なら誰もが目指す頂、それがNコン。  私も例外ではなく、高校時代は「今年のNコン何出そう…シナリオシナリオ…」と打ち込んでいた。といっても、私の場合は、「タダで東京に行ける!」という特典に目がくらんでいたわけだけれども。というわけでたまには好きなものについて書いてみようと思う。今回は、「放送」の魅力。    私が放送部に入ったのは高校からで、中学では吹奏楽をしていた。

          好きな○○シリーズ「私の放送を語る」

          2019/12/26「大学生の戯言」

           "誰もが泣きながら、同じだけの苦しみを抱えて生きている。" そんなのは嘘だ。 この世界には確かに階層構造が存在するし、むき出しの不平等で埋め尽くされている。それを簡単に「あなただけじゃない。誰もが苦しんでいる。」と励ましの言葉で使われてしまう。 私はこの言葉を世界から抹消したいくらいに嫌っている。    大学生活を3年も送っていると、だんだんと見えてくることがある。  高校までと違って、大学という場は自由と自治の世界である。良くも悪くも放任主義だ。そんな世界で、

          2019/12/26「大学生の戯言」

          2020/03/22「偶像崇拝禁止令」

           思っていたよりも長い時間を過ごしてきたらしい。  インターネット上の繋がりなんて目に見えないものに価値はないとずっと思っていた。一時の淋しさを紛らわせるような関係を簡単に構築して、簡単に壊してしまえる都合のいい道具だと思っていた、2年前までは。今ではもう、始まりを思い出せない。何を求めていたんだろう。承認欲求か?自己満足か?どれも当てはまるようで核心をついていない。    どうやって出会ったのか、もう思い出せない。  それほどに月日を重ねてきたということなのか、忘れ

          2020/03/22「偶像崇拝禁止令」

          2020/03/06 「自戒」

           面白味のない記事になる、確実に。  だけれど、この気持ちを綴らなければ、言葉にして形づくらなければいけないような気がしている。この曖昧な思いを、縁取り、釘を刺し、捕まえて、存在させる必要があると考えている。  自己満足。音楽はそういうものだろう。あまり大きな主語は使いたくないが、私は誰かのために歌ったことも弾いたことも曲を作ったこともない。ただ一人、私という主人を満たすための衝動が音楽だ。 「落下」 眠い目をこする君の笑い声も分からなくなって 変え忘れた時計の電池も

          2020/03/06 「自戒」

          2019/01/19『あん』(映画評?)

           『あん』という映画がとても好きだ。人と比べて邦画はよく観る方だと思うが、今まで観た映画の中で他の作品とは別次元にあるくらいに、この映画を好んでいる。  簡単なあらすじは下に示す通りだ。 「私達はこの世を見る為に、聞くために、生まれてきた。この世は、ただそれだけを望んでいた。…だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。その店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)

          2019/01/19『あん』(映画評?)

          2020/01/07「願い」

            「生きることが許されないのなら、せめて死ぬことくらいは許してくれよ。」 そう言っている気がした。 私たちは、なぜこの世に生を受け、死に向かって歩き続けるのだろうか。よく考えてみれば、生きていくことの方が異常じゃないか。  20年経ってようやく、この世界には実に様々な考え方を持つ人々がいることを知った。自分の思考と本当に相容れない思考を持つ人間がいることを、ようやく理解した。人の気持ちが分からない人間も、本当に存在するのだ。  首つり自殺をした人の気持ちが、悲しい

          2020/01/07「願い」

          2019/12/30「きみはいい子」(映画評)

           親になれば、自然と子どもが愛しく思える。ともに生活するうちに愛着が湧いて、子どもが無邪気に笑う姿を親は愛してしまうのだ。  子どもはいい子だ。未熟で白紙の状態だから知らないだけで、知らないから時に子どもはいたずらをしてしまうのだ。そうだ、いじめだって子どものいたずらだ。純真無垢だから、知らないから、彼らは時に人を死に追いやるのだ。  哲学者である中村雄二郎は、こうした暗黙の前提を〈見えない制度〉といった。私たちは常に〈見えない制度〉で縛られている。それは人間が共に生きる

          2019/12/30「きみはいい子」(映画評)

          2019/10/31「今日も黄色い線の内側で。」

           駅から一山超えた先にある私の住居は、もうすでにこたつを出したいくらいに寒い季節になってきた。世間では、今日をハロウィンなどとよび、思考停止した頭と体でお菓子などを配り仮装をし、街を練り歩く若者であふれるらしい。私はといえば今日も変わらず大学へいき、憂鬱にゼミを受け、普通の生活に息を切らすのだろう。「だろう」というのは現在朝の2時前であるため、これらは予定に過ぎないからだ。  どうも、のどが詰まる。そして言葉も詰まる。世の中には「吃音症」という症状もあるが、おそらくそれとは

          2019/10/31「今日も黄色い線の内側で。」

          2019/8/11 「帰ってくる場所」

           虫の鳴く声と遠くで踏切の音がして、電車の走る音が聞こえてくる。外では心地よい風が吹いていて、草木の香りが風に乗って私の頬をなでる。  この町に帰ってくると、感情が動く前に私の体中が喜んでいるような気がするのは、きっと気のせいではない。特徴的な観光地があるわけでもなく、見渡せば田んぼ、田んぼ、その隣もまた田んぼ。高校生の頃は学校で配られる県のパンフレットに友人たちとケチをつけたものだ。  3年前、この町を出た。そこから全く違う土地へと移り住んだ。最初はかなり戸惑った。新し

          2019/8/11 「帰ってくる場所」

          2019/8/05 「この感情全て私だけのものだ。」

           とても泣きたい気分だ。というか、もう泣いているようなものだ。  こんなことを書いていたら、私の感情はまた誰かの言葉に枠取りされて、固定されてしまう。それにも泣いてしまいそうだ。知ってほしいと思う反面、「客観的」な主観で私を語られるのが嫌で、私の言葉ですら真実でないのに、あなたの言葉であたかも分かっているかのように語らないでくれ。本当に…語らないでくれ。  正しいと言いたい。私は私のままでありたい。外から押し付けられる私を受け入れたくない。それでも私は誰かに愛されたくてそ

          2019/8/05 「この感情全て私だけのものだ。」

          2019/8/02 「次は私の番だから。」

           20歳というのは、なんだか大切な年らしい。それは通過儀礼として成人するとかいうそれだけの意味ではなくて、自分はどんなものが好きで、嫌いで、どんな性格であるのか、所謂「アイデンティティ」というものがお団子のようにくるくるとまとまってくる、そんな時なのだ。 ―――――――――――――――――――――――  今年の1月に成人式があった。その際、小学校、中学校時代の担任から、当時の作文や掲示物がつまった紙袋を渡された。その中に当時小学6年生だった私からの手紙が入っていた。家に帰

          2019/8/02 「次は私の番だから。」