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2020/07/12「値打ちづけの連続の中で」

 時折、どうしようもなく自分が嫌になって胸が苦しくなる。


 「他人のものは俺のもの!」とまではいかないが、普段は自信と余裕たっぷりな態度でふざけてみたりする。しかし、本当はどれだけ自分が弱い人間か、よくわかっている。


 人から評価されることにいつも怯えてしまうのは、自分の信念がないからだろうか。何事にも堂々と、着々と努力を積む人を横目に、私は形さえ真似ればいいやと中身のないことをしてきたのかもしれない。

そういえば、お習字の先生にはよく「形は綺麗だけどねぇ」と言われていたっけ。


 「教師」という存在が酷く怖かった。どうにか嫌われないようにと、勉強だけはそれなりにやって、言うことはよく聞いていた。小学生の頃は、先生がクラス全体に怒れば、「自分が悪いんだ」とすごく怖かったように思う。「できない子」というレッテルを貼られないように、勉強をして、部活動に取り組んで、規則を守った。


 小学4年生の最後の日、担任の先生が泣きながら私に言った。


「もっと自分を出していいんだよ。」


 私は驚いて何も言えなかった。うまくやってきたと思っていたからだ。何が足りなかったのだろうか、私のどこがそう見えていたのだろうか、帰り道、私はぐるぐると考えつづけた。


 他人の評価が自分の生きる価値のように思えて仕方がない。実際そうなのではないかと今でも思う。自分をどこまでも信じたい一方で、周囲のすべての人に嫌われてしまえば、そこで生きる価値は失われてしまうのではないか、それでも生きる意味なんてあるのだろうか。


 こんな暗いことを考えてしまうのは、きっと今の私が「就職活動」という自分の値打ちづけの連続に放り出されているからだろうな。張り付いた笑顔で形ばかりの言葉を述べながら、悲しくなってくる。「本当はもっと弱くて情けない人間だよ。それでも愛してはくれないの」って言いたくなるけれど、要領よく生きて行かなきゃいけないんだよな。きっと。


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