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2019/8/11 「帰ってくる場所」

 虫の鳴く声と遠くで踏切の音がして、電車の走る音が聞こえてくる。外では心地よい風が吹いていて、草木の香りが風に乗って私の頬をなでる。


 この町に帰ってくると、感情が動く前に私の体中が喜んでいるような気がするのは、きっと気のせいではない。特徴的な観光地があるわけでもなく、見渡せば田んぼ、田んぼ、その隣もまた田んぼ。高校生の頃は学校で配られる県のパンフレットに友人たちとケチをつけたものだ。


 3年前、この町を出た。そこから全く違う土地へと移り住んだ。最初はかなり戸惑った。新しい場所になれるのはとても疲れることだったし、楽しくもあった。けれど、どれだけ違う場所に移り住んでも、私が帰ってくる場所はこの町しかないのだと私の体が言ってくる。


 今回母とともに帰ってきたとき、「あ、匂いがする」と思わず声が出て、母に笑われてしまった。この町の匂いだ。スッと体を突き抜ける風と共に、草花の香りがする。家の目の前にそびえる大木がゆれてざわざわと音がする。「おかえり」と揺れるすべての声が、体中で感じるその全てがこの町だった。


 私の生まれ育ったこの町には、風神を祀る神社がある。そのためこの町の建物、行事の多くには「風」がついていたり、風に由縁があることが多い。そして不思議なことに、とてもよく風が吹く。少し外に出ると、ふわっと涼しい風がやってくる。そんな風を今日も感じながら、恥ずかしくも「風神様がいるのかな」なんて思ったりするのだ。


 また、あと数日後にはこの町を離れなければならない。どうしよう。今回はかなり参ってしまう。この町で過ごす生活が私には幸せで仕方がないらしい。本当に参ってしまう。昔はそんなに好きではなかったはずなのだけれど私の体に刷り込まれた記憶の全てが私の帰ってくる場所はここだと言ってくる。ちょっとだけさみしい気持ちをすでに抱えながらも、あと数日の時間をまた体に刻んで、帰ってこられますように。あーさみし。今回は泣かないもんね。

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